銀盤カレイドスコープ VOL.1&VOL2
ショート・プログラム:Road to dream & フリー・プログラム:Winner takes all? 

 まったくもってマスコミという奴は、ひとたび対象にネガティブなレッテルを貼るととことん叩きまくる性分なようで、たとえばサッカーの日本代表監督として、チームを「ワールドカップ日韓大会」のベスト16まで導いたフィリップ・トルシェ監督に対して、在任中から悪罵の限りを尽くし退任後も後任のジーコ監督と比較する形で、徹底してこきおろしてはその業績をなかったもののように取り扱っている。

 その方が読んでいてて面白いからっていう、商売的な理由も半分くらいはあったりするかもしれないけれど、半分くらいは書いている人たちの恨み辛みを吐き出す場として、メディアが使われている可能性もあったりするから困ったもの。そんな質問しかできないのかと、記者会見で面罵されたことを根にもって、我が身の日頃の不勉強を省みることなく悪口雑言を書き連ね、ペンでもって復讐を果たそうとするなんて、ジャーナリストの風上にもおけない。つまるところ日本のマスコミはジャーナリズムではなく、記者もジャーナリストなんかではないってことなんだろう。

 海原零っていう、「第2回スーパーダッシュ小説新人賞」で栄えある大賞を獲得した人のデビュー作「銀盤カレイドスコープ VOL.1、VOL.2」(集英社、各571円)に出てくるマスコミといったら、トルシェ叩きを続ける現実のマスコミに勝るとも劣らない稚拙さ拙劣さで、読んでいて胸がやるせなさでムカムカとして来る。主人公の桜野タズサは16歳の将来を嘱望されたフィギュアスケート選手、なんだけどちょっぴり性格に難ありで、恵まれた美貌と才能と、それから表には見せないはずの努力を徹底的に誇りまくるから大変なもの。取材に来るマスコミは鼻持ちならない奴と嫌い、スケート協会の強化部長も散々ぱら嫌味を言ってタズサをこきおろす。

 コーチをのぞけばまさしく四面楚歌の状況に、並の神経だったら参り果ててしまうところだけど並の神経の持ち主だったらそもそもがマスコミを虚仮にし、権力を持っている強化部長の嫌味に化粧の分厚さへの嫌味で返す、なんてことはしない。12人中10位という惨敗を喫したアメリカでの大会でも、涙を見せて残念がるどころか「順位をどう思う」「今申し上げたばかりです」「4回のミスがあったけど」「ミスは4回じゃなくて5回です」と記者の質問の揚げ足をとっては一段と相手の憎悪を煽る。

 なるほど少女らしさのかけらもなく、定型化されたスポーツマンらしさともほど遠い、高飛車でわがままで鼻持ちならない人間に見える桜野タズサだけど、言ってることは決して間違ったことではない。切り返されて反発するマスコミの方にも非はあるのに、反省するどころか怒りを溜めて、ここぞという場面でタズサに一気にぶつけることになる。

 さてタズサはといえば、アメリカ大会から帰国してしばらくたったある朝、通っている高校での朝礼の最中、頭のなかから呼びかける奇妙な声に驚かされる。はじめは幻聴かと思ったその声の正体は、実は日本に住んでいて日本語が堪能な外国人少年の幽霊で、ちょうどタズサがアメリカ大会に遠征していた最中、同じコロラド州に帰国していたところを雷に打たれて死んでしまったものらしかった。100日経てば成仏できるというその幽霊、ピート最初は諍いばかりしていたタズサだったけど、ほどなくして次々と巡ってきたフィギュアスケーターとしての大き過ぎる運命の分岐点に、2人して挑んでいくことになる。

 トリノで開かれるオリンピック。それがタズサにとって目下のところの最大唯一の目標だっけど、立ちふさがっている壁はとてつもなく高かった。代表に選ばれるには国内で長く女王の座にあった至藤響子という選手を超えなければならない。けれども響子は実力も上ならマスコミの人気も遙かに上で、まずは挑んだNHK杯フィギュアで、タズサは初日のショートプログラムをミスして7位という成績に留まり、3位に入った響子との差をつけられる。普通だったら一巻の終わりとなってしまう物語が、ここから一気に巻き返しを見せ、躍動し、輝きを放ち始める。

 明けて女子シングルフリー。味覚を共にしているピートが大嫌いだというトマトを食べまくっていたほど、鬱陶しいと思っていたピートの声に励まされたタズサは、4位に食い込み最終成績でも4位まで順位を上げる。3位の響子の後塵を拝する結果にはなったけど、フリーでの快調な演技がNHK杯でのオリンピック代表決定を協会に踏みとどまらせ、次の大会での結果を見てから決定するという方針を打ち出させる。

 続くフィギュアスケート全日本選手権、タズサはオリンピックでまだ15歳ながら女子フィギュア界のトップに君臨するリア・ガーネット・ジュイティエフ選手と同じ使用曲になりそうだからとショートプログラムの曲を替え、中身もすべて変える”暴挙”に出る。響子を褒めそやすマスコミのタズサに対する風当たりも一段と激しさを増し、そんなマスコミの態度を煽っては状況に油を注ぐタズサの言動もあって、大会は緊張感のなかで初日を迎えることになる.

 タズサはオリンピックに出られるのか。出ても果たしてリアに勝てるのか。次々に立ちふさがる難関に、外での減らず口や高飛車な態度を負けん気に変えて挑むタズサの頑張りと、そんなタズサを声で励まし支えるピートの姿が胸に響く。技のひとつひとつを丁寧に描写し、その時の選手の心理にもしっかりと踏み込み、あたかも目の前で演技が繰り広げられているかのように、そして自分が銀盤を舞っているかのような気持ちにさせてくれる文章が、感動をなおいっそう高いものにしてくれる。ひとつ、壁を超えてさらに立ちふさがる壁を超えようとする自身と勇気をもたらしてくれる。

 クライマックスの1歩下がった、それ故に後から染みてくる感慨。そして本当のクライマックスとして訪れるピートとの別れの瞬間のわき上がる感動。じんわりと涙が浮かぶ。その筆致。その構成力。そのストーリーテリング。とてもじゃないけど新人のデビュー作とは思えない。次にどんなものを見せてくれるのか。どんな世界を描いてくれるのか。期待が膨らんで仕方がない。

感心したのが嫌味と憎悪にまみれたメディアの描き方で、脅して焦らせ騙して煽り、おもしろおかしく都合の良いように運ぼうとする姿が実にリアルに描写されていて苦笑させられる。国の希望を背負っているんだ、国民の血税が使われているんだとさも自分が国家を背負っているかのように非難の言葉を向けてくる老記者の姿は、アトランタ五輪で有力選手をプレッシャーに沈め、苦渋の果てに”暴言”を吐かせて選手生命を半ば途絶えさせたマスコミを思い起こさせる。後になって登場する、下調べをした上で選手に敬意とユーモアをもって接する海外のマスコミとの対比が嫌でも目について哀しくなる。

 もっともそこは天下無双の桜野タズサ、「実力で勝ち取ったものを泥棒扱いするマスコミに感謝しろって?」(VOL.2、75ページ)と切り返し、「貴方のような無名人間の、ひがみと嫉妬。そう言い換えるなら、理解もできますけど」(76ページ)と奥底にある心理を喝破する。「オリンピックになったら突然、何処からともなく湧いて出てきて、ロクな知識もないのに専門家面しちゃって、でも競技なことなんて分からないモンだから、バカの一つ覚えでメダル、メダルって勝手に騒いで押しつけて」(同)という言葉の痛快無比なことと言ったら。オリンピック候補、メダル候補になったすべての選手がこれをやり始めたら、新聞やテレビのスポーツ報道もさぞや面白いものになるだろう。


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