少女人形と撃砕少年 −さいかいとせんとうの24時

 出自はいったいどこなのか、小説家なのかゲーム作家なのかライターなのか、まったく情報がない中から現れた、渡辺僚一という人の「少女人形と撃砕少年 −さいかいとせんとうの24時−」(集英社スーパーダッシュ文庫、600円)が、一千万不可思議ほど不可思議な話だったので誰も彼もが読むように。どうしてここで一千万不可思議という、とってつもない計数の単位が出てくるのかは本文参照のこと。いずれにしてもとてつもない話だということだ。

 その内容はと言えば、どうやら夏休みに何かあったらしいとほのめかされる中で、そんなキケンな夏休みをくぐり抜けて生き残ったらしい高校2年生の乙川春也という少年が、周囲に怯えつつ仲間を失った悲しみを引きずりつつ、取り戻した平穏な日々を味わっていたところに、夏休みの喧噪と悲劇がフラッシュバックして襲いかかり、そこに追い打ちをかけるような事態が持ち上がる。

 それは、夏休みに起こった抗争で春也が失っはずの、シロという名の見目麗しい自動人形がコンビニのトイレの扉を粉々に粉砕して現れて、前と変わらない姿ときわどい言動で春也を驚かせ喜ばせおののかせる、というものだった。誰かが裏で画策していて、シロとそっくりの自動人形を作りあげ、送り込んで春也を陥れようとしているのか。それとも純粋に、シロが単独で復活して来たのか。

 激しい疑心が渦巻く中、反射的に下半身丸出しのままトイレから逃げ出してしまった春也は、だんだんと事情を飲み込み、どうにか取り戻せたシロとの関係を確かめ合う。とはいえ、起こり得ない状況が起こった以上、それで済むはずがないのも道理。やはり背後でうごめいていた諸々の画策の中で、春也は自分が持っていた力を振るい、想像もめぐらせて真相を暴き、シロとともに生き残るための道を探っていく。

 ほのめかされる記述によれば、どうやら以前、生命の源とされr“ヘルメスの心臓”というものをめぐる戦いがあって、そこで春也は大活躍を見せていたらしい。殺人鬼的に人を壊す知識があり、能力もあった春也は、戦いの渦中でシロという自動人形の少女といっしょに暴れ回っていたらしい。敵には謎の老人や、長く生きて喋りが老人口調の美少女ががいて、春也と相手に戦ったり、対話を繰り広げていたらしい。

 すべてが回想的な記述。そうした過去の経緯と、春也が陥ってフラッシュバックのように浮かぶ描写から、パズルを埋めていくようにして夏休みに何が起こっていたのかを理解し、推察し、そして今の状況を認識して読む必要があるところに、通り一遍の筋書きを追っていく小説との違いがある。その意味ではテクニシャンな書き手による、異色のストーリーテリングと言える。

 1度目では何が起こっていたかが断片的に降ってきて、過去を埋めきれないままもどかしさを感じるところもあるかもしれない。それをもって失敗と見たがる目もありそうだけれど、読み通して全体をつかんだ上で振り返ると、薄かった断片がもう少し濃く見えてきて、全体像が浮かんでくるところがある。だから分からなくても途中で投げ出さず、新しいスタイルへの積極的で果敢な挑戦と見て、読み通しそれからもう1度、読んでみると良いだろう。

 調べるとどうやら、作者が関わったノベルゲームに似た世界観のものがあるようだけれど、登場するキャラも状況の設定も違うから、直接繋げることは難しそう。参考程度にしつつ、ここは特殊な世界観を持った作品があって、その後日譚繋を独立して描くという挑戦を行った希有な作品、つまりは“その後の日常”を軸にして、“最後の非日常”を追う作品と見るのが良さそうだ。

 なによりシロという自動人形の言動が、西尾維新の「物語」シリーズに出てくる戦場ヶ原ひたぎのようにクールで赤裸々でエロエロくて、読んでいてぐいぐいと引き込まれる。春也の妹の兄思い過ぎる言動にも、どうやら春屋と同じ夏休みの戦いを生き残ったらしい三日月紫紺という少女の振るまいも、愉快で読んでいてその姿が目に浮かぶ。

 夏休みの戦いでは、とても凶悪だったらしいシロを見て三日月が即座にとった態度と、そして長く生きているのに学園祭にこだわるその言葉が、そうした存在として世に生み出され、ずっと戦いながら生きてきたことから生まれる平穏への郷愁を誘って、切なさと甘さを感じさせられる。生きていたいのだろう、誰だって、何だって。

 そうした具合に、会話劇の妙と見えない設定を追う楽しみを味わいたい「少女人形と撃砕少年 −さいかいとせんとうの24時−」。イラストを手がけているのはアニメーターでありキャラクターデザインでも知られる馬越嘉彦。表紙と口絵はとても綺麗に描かれていて、そして本文イラストはラフ画のようなビジュアルになっているのが面白い。ファンはご高覧を。そして本文もお楽しみあれ。


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