帝国海軍ガルダ島狩竜隊

 トリケラトプスは美味いのか、と聞かれてそれほど食に関しての経験がない身では、食べたことがないから分からないとしか答えあられないのが辛いところではあるけれど、考えてみればこの世に人間が登場して以降、誰ひとりとしてトリケラトプスを食べたことがない訳で、聞いた人間にだってトリケラトプスが美味いのか、それとも不味いのかなんて分かりようがない。

 だからといって分からないままでいられる程、人間は素直な生き物ではないようで、誰に与えられたか持ち得るに至った想像力を駆使して、トリケラトプスの味についてあれやこれやと考えてみた人がいる。その人こと林譲治によれば、トリケラトプスは果てしなく不味く、硬さはともかくとして脂身が抱負過ぎてその臭いがいかんともしがたく、焼けば脂が燃える臭いに鼻をつまみたくなる有様。焼いてだめなら煮てもだめ。脂身が多いなら保存がきくかというとこれがまたすぐに腐ってしまうそうで、とてもではないが人間の食用には適さないらしい。

 それが本当かどうかはともかくとして、どうしてまた林譲治がトリケラトプスの味なんかを想像する羽目になったかといえば、トリケラトプスを食べる必要に迫られたため、というか作品「帝国海軍ガルダ島狩竜隊」(学習研究社、800円)の中で、登場する人たちにトリケラトプスを食べさせる羽目になったために他ならない。時は昭和19年1月。場所はビスマルク諸島北方に位置するガルダ島に上陸した帝国海軍の第369海軍設営隊は、トラック島防衛のために駐屯して飛行場建設を始めるものの、連合軍はトラック島を落とし歩をマリアナ諸島へと進めてサイパン島をも陥落させてなお前進。憐れというか幸運にもというべきか、ガルダ島の部隊は連合軍の勢力圏内に取り残されたまま、救出もかなわずかといって直接戦う訳でもなく、迫る食糧の払底に頭を悩ませていた。

 ガルダ島の部隊を率いる永妻昌弘海軍少佐は士官として海軍に奉職したものの、奇行がたたったかそれとも奇癖が出たかして海軍を飛び出し物理学者の道を進む。ところがそこでも天才と紙一重の物理学的センスを発揮して、「宇宙は紐でできている」などと当時の概念では戯れ言にも等しい説を唱えた挙げ句に物理学会からも距離をおかされる羽目となり、出戻って海軍が設置を急いでいた軍人設営隊にタイミング良く入り込み、ガルダ島へとやって来てはやっぱり帝国海軍軍人らしからぬ飄々としたスタンスで、取り残された1000人余りの日本人たちの食糧を確保しようと、飛行場を開墾しては作物を植え、島へと分け入っては食べ物になりそうな動植物を探し、挙げ句にトリケラトプスを食べる必要に迫られる。

 帝国海軍が? ガルダ島で? どうしてトリケラトプスなんかを食べるのか? といった疑問に対する答えは読めば分かるとしかいいようがないれど、ヒントを挙げるなら永妻少佐が唱えた紐理論がガルダ島に、トリケラトプスもティラノサウルスも翼竜も存在するワールドを存在せしめることに結果としてなった、とだけ付け加えておこう。それが果たして正しいか、それとも間違っているのかについても、知識を持った人の試算に任せたい。ただいえるのは、仮にそうした世界が存在するものと考えた場合の、世界の有り様についての描写はなかなかに合理性に富んでいるということで、例えば知られている生態系の形とは様相を大きく異にして、中型規模の恐竜だけが姿を消してしまっている理由の説明にも、世界の成り立ちから算を始めて論を立てたらしい合理性が伺える。

 トリケラトプスを狩る手法にまでも、合理性にもとづいた想像の網は及んでいる。帝国海軍の装備の、人間に対してもその殺傷能力が疑われる「三八式歩兵銃」を使って、あの鎧のように頑丈な恐竜を果たして倒すことができるのか、といった部分にもしっかりともっともな理由が説明されている。もちろん歴史上の誰ひとりとして「三八式歩兵銃」でトリケラトプスを撃ち倒したことがない以上、事実かどうかは確かめようがない訳だけど、それを言うならトリケラトプスの味についても同じこと。ならばここは世界の成り立ちから恐竜たちの生態から、軍隊の描写といった物語の隅々にまで行き届いた合理性を前提にした想像力を信じる方が建設的だし、何よりその方が面白いではないか。

 物語のラストで示される、人類の源にまで及ぶエピソードとなるとさすがに推定可能な事実からも大きく外れてしまうだろうし、第369海軍設営隊の活躍が果たした人類の運命にまで及ぶ役割も、その合理性を云々するレベルとはいささか次元が異なる。けれどもこれすらも想像力の範囲内。というより想像力が与えてくれる最高のロマンだといえる。トリケラトプスの味についての描写が与えてくれた楽しさも悪くはなかったけれど、そこだけでとどまる人間の、林譲治の想像力ではなかったという訳だ。

 設定だけならとことんまでハードさを追求しているし、舞台となるのも太平洋戦争末期の人がおおぜい死んでいく描写があって当然の孤島、おまけに相手は最強で鳴る恐竜たちとあって陰惨で壮絶な物語を想像してしまって不思議はない。にも関わらず「帝国海軍ガルダ島狩竜隊」は、永妻少佐を筆頭に出てくるキャラクターたちの描写がどこまでも軽やで脳天気なせいか、読んでいて不思議とほのぼのとした気持ちが湧いてくる。楽しめて、設定なりトリケラトプスの味といった合理性のある描写が勉強にもなって、最後には夢も感じさせてくれる良質のハードSF&シミュレーションノベル、といえば魅力の半分くらいは伝えられるだろう。

 ところでティラノサウルスの味はチキンと食用蛙の中間のような味でなかなかの美味らしい。肉食獣の肉は一般的に不味いといわれていようとも、うまい腐りかけの肉を食べていたからという説明に科学的な根拠が薄いと言われようと、林譲治がそういうのだからそうなのだろう。だからもし、道でティラノサウルスに出会ったのなら逃げず臆さずに食べてあげよう。食べられる心配? それはあるだろう。想像力の範疇ではなく人間は事実として美味いそうだから。


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