蒲生邸事件

 「なぞの転校生」や「ねらわれた学園」や「時をかける少女」なんかを、心ときめかせながら読んでいたのは、中学生の時だった。当時は「ジュブナイル」なんていう言葉も知らず、これがSFなんだと思って、学園を襲う陰謀や、謎の組織の暗躍や、時を駆け抜ける人たちの活躍を、胸躍らせて読んでいた。

 そのうちに、クラークやアジモフやハインライン、ヴァラード、ディック、ヴァーリーなんかをハードカバーで読むようになって、大人向けに書かれたSFというものがあることを知った。ニーヴンやホーガンやスターリングやギブンスンなんかを読み始めると、学園を襲う未来人の陰謀も、日本を乗っ取ろうとする謎の組織の暗躍も、子供だましで底の浅い、陳腐でありきたりの設定と考えるようになってしまった。

 最近になってようやく、子供向けに書かれたSF作品にだって、決して大人向けに負けない力と技がこめられていたんだと思えるようになった。時間旅行や地球侵略やパラレルワールドといった陳腐でありきたりな設定を、学園とか家庭とか自分の住んでるこの街とかいった、ごくごく身近な場面に適用しているだけのジュブナイルは、人間の思考能力や想像力の限りを尽くして、新しい世界なり設定を考え出そうと模索している大人向けのSFに比べれば、「志」という意味で劣ると見られている。

 けれども、陳腐でありきたりな設定だからこそ、すんなりと物語の世界に身をおける。ごくごく身近な場面だからこそ、小説の中の出来事を我が身に降りかかる驚きや恐怖として感じることができる。難しい理論もなければ、難しい人間関係もない。解りやすい設定と解りやすいストーリーこそがジュブナイルの身上であり、だからこそドキドキわくわくしながらページをめくり、ラストシーンで「やったー」と快哉を叫び、あるいは「よかった」と涙することができるのだ。

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 宮部みゆきといえば、「火車」でカード破産の怖さを描いた社会派推理小説の書き手として、あるいは江戸情緒にあふれた歴史物の推理小説の書き手として知られている。しかし同時に、「龍は眠る」や「パーフェクト・ブルー」のようなSFマインド、それもジュブナイルに近いSFの雰囲気をまとったミステリー作品を書ける人として、ずっと注目して来た。

 最新作の「蒲生邸事件」もまた、ジュブナイル小説的な興奮と驚きをもたらしてくれる、良質のSF小説だ。もうミステリーとは言わない。戒厳令下の東京を舞台に、雪山の山荘的密室殺人の状況が登場するが、それは本筋とは関係がないし、解決もまったくミステリー的ではない。ミステリー評論家は反則だと叫ぶだろうが、それはお門違いというもの。これはSFなのだ。何でもありなのだ。

 大学受験に失敗し、東京の予備校に入校するために、皇居側にある「平河一番町ホテル」に宿泊した尾崎孝史は、ホテルの壁面に飾られた古びた2枚の写真を目にする。1枚は時計塔のある洋館を写した写真、もう1枚は「陸軍大将 蒲生憲之」という男の肖像写真だった。体をこわして退役した蒲生大将は、昭和11年2月26日に発生した陸軍青年将校の決起、世に言う「2・26事件」の最中に自決。後に遺書として発見された数多くの著作から、対米開戦とその敗北までをも予測した明晰な人間だったとして、高い評価を受けることになった。「平河一番町ホテル」は、昭和23年に取り壊された、その蒲生大将の家の跡地に建てられていた。

 ホテルとはいっても、ビジネスホテルほどの大きさしかなく、宿泊客も少ないひなびたホテルだった。その癖に格式にはこだわっていて、館内に自動販売機がない。仕方なく外に買い出しに出た孝史は、2階の外に付けられた非常階段で、突然消えてしまった不思議な男の姿を目にする。前に1度、ホテルのロビーでみかけたその男は、その周りが薄暗くなって、すべての光を吸い込んでしまっているような、奇妙な男だった。

 消えた男は再び孝史の前に姿を現して、何もなかった素振りをする。奇妙に思った孝史がホテルのフロントマンに話すと、このホテルには幽霊が出ると告げられるた。その夜、寝静まったホテル火事となり、孝史は逃げ場を失って廊下に座り込む。そこに例の男が現れ、孝史を昭和11年の世界へと連れて行く。そこには平河一番町ホテルではなく写真で見た洋館「蒲生邸」が建っていた。

 あらかじめ用意されたように蒲生邸に入り込んだ男だったが、ごねる孝史を現代に戻すために時間を超えようとして無理がたたり、意識を失って倒れてしまう。蒲生邸で働く女中のふきに惹かれつつも、昭和11年に取り残されて途方に暮れている孝史の耳に、一発の銃声が響いた。駆けつけるとそこには、歴史の記述にあったとおりに、蒲生大将が頭を撃ち抜いた姿で死んでいた。

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 小説では、蒲生大将の死をめぐって、自殺なのか他殺なのか、他殺だったら誰が殺したのかが論じられる。しかし推理小説的な謎解きの面白味に、この小説の主題はないように思う。むしろ時間を超える能力を持ちながらも、その能力が決して歴史を変えることができないと知り、「まがいものの神」として苦悩する男の姿や、両親をさげすみ世をすねていた孝史が、過去での出来事を経て大きく成長していく様の方に、小説の力点が置かれているような気がする。

 歴史改変の可能性云々についての説明は、SF小説を何年も読んで来た目にはとくに新しさを感じさせるものではなかった。時を超える力についての説明も安易と言えば安易。だがしかし、たとえ使い古された陳腐な設定が用いられていようと、それを土台にして語られる物語こそが大切なのだと思う。歴史とは何だろうと考えさせられ、意固地で分からず屋だった少年が次第に成長していく様を見つめ、ラストのさわやかでちょっぴり哀しい結末に涙する。極上の時間を与えてくれた宮部さんに感謝しつつ、次なる極上の物語を早く読ませて欲しいと贅沢にも願う。


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