フルスケール・サマー

 サイズが肝心なのだ。縮尺ではなく、原寸という。

 永島裕士の「フルスケール・サマー」(電撃文庫、630円)はそんな、原寸の模型を作って学校を、世間をアッと言わせたい人たちの物語だ。ずっと生徒会長や学級委員をやらされていたことで、真面目さと校則の扱いに妙に長けた北条慶介という名の少年が、転校した先で春日野鮎美という少女の隣に座り、教科書や参考書を見せてもらう。

 すると地図帳にはガンタンクと書かれ、鍾乳洞の写真にジムを貫くズゴックを描いたり、南米にある「ジャブロー」の場所に◎で印がしてあった。つまりはそういうのが好きそうな少女。なおかつ放課後に案内された学校で、慶介は学校中に点在している巨大な模型を見せられる。

 作ったのは模型部。戦車もあれば戦闘機もあったりと、いずれも実寸大で超リアル。プロの模型屋が見ても驚くような完成度だったけれど、華々しい成果物として展示はされておらず、むしろ学校からも他の部活動からも邪魔者扱いされていた。

 かつては学校中に名をとどろかせ、卒業生たちも企業に研究機関に大歓迎されるくらいに優れた活動をしていた模型部。それでもやり尽くしてしまえば飽きが来るもので、途中から活動が惰性に代わり、完成するものも少なくなった。フィギュアなどを作るマニアの瞬間の隆盛が一時あったものの、すぐに誰も見向きもしなくなってしまっていた。

 それで末期には、一所懸命に再起をかけて活動していたものの、何か理由があって途絶え以来、まったく活動がなかったのその模型部を、少女は自分がガンタンクを始めミリタリーの乗り物とかが大好きな上に、従姉妹が所属していたという理由もあって、休眠中の模型部に入部を希望する。

 断られこそしなかったものの、誰も部員がいなくなって休眠中の模型部を再開させるには、校内に散らばっている今はガラクタとなってしまった模型部の残骸を撤去しなくてはならないと生徒会から言いわたされる。なおかつ模型から火の手が上がるという事件が発生。裏で画策する存在が見えたものの、生徒会は強引に一掃に乗りだし、まだ動く戦車のような成果物までもが廃棄されよとしていた。

 そこで北条慶介。鮎美と席が隣になって、模型部にも誘われていたことを義理に思ったのか、理不尽な圧力に正義感を燃やしたのか、鮎美が可愛かったのかは分からないけれど、すっくと立ち上がって得意の弁舌を振りかざして生徒会による撤去をしのぐ。そこから模型部の再出発のために必要な条件として挙げられた活動実績を作るべく、作りかけで埋もれていたロボットの再起と、それを活躍させる大会への参加を画策する。

 ロボットで競い合うなら、別に模型部でなくてもロボット部でも良くないか? といった思いは浮かぶし、鮎美にしても慶介にもしても、真剣に模型が好きというよりは、それがうち捨てられるのが可愛そうとか、鮎美が困っているのを見捨てられないといった理由から傾いているだけであって、模型そのものの面白さにどっぷりと耽溺しているようにはあまり見えない。模型への熱い情熱がぶつかりあい、それを描写する際の模型に関する知識がひけらかされるようなマニアック部活物とはちょっと一線を画する。

 もっとも、そうでなければ熱中のあまりに周囲を見ないで突っ走った挙げ句に、中途半端なガラクタばかりを残して消えていった先輩たちと同様になりかねない。客観視できる立場にあって、同情や憐情から浮かんだ模型への関心が本気の熱へと代わっていく様を楽しむというのもひとつの方法。外側から観て模型とは何だろうと考え、それを扱うことは面白いんだろうかと思って対象に向き合える。そして、キャラクターたちが体験を通して楽しさを感じていくのと同様に、読者自身もこれは楽しいかもしれないなあという感覚を味わえる、のかもしれない。

 途中でロボットの制御OSに詳しいからとネットを通じて参加してきた少女と、彼女が作った圧倒的に高度な美少女型ロボットの存在は、どこか“お客さん”だった慶介と鮎美たちを本気にさせる鍵。一方で、高まっていく熱は、どこか膿んでいた天才少女に前を向かせる。オタクばかりでも常識人ばかりでもダメなのだ。そんなことを考えさせられた1冊。続くとしていったい、次は何を作るのだろう? やっぱり戦車か? 10式か?


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