FRAMESHIFT
フレームシフト

 生活が苦しくて子供を殺害してしまった親の話をニュースや新聞で知った時、たいていの人は「無理だと分かっていたのにどうして生んだんだ」と憤る。けれども「だったらあなたは中絶に賛成なんですか、もしかしたら人類に至福をもたらす発明をする科学者か、世界を平和に導く政治家になったかもしれないのに」と突っ込まれた時に、それでも「苦労する可能性が高い子供ならはじめから世の中に出してあげないのが『善意』であり『慈悲』だ」と言えるだろうか。

 事情は分かる。子を生む機能が女性にだけしか与えられていない以上、レイプのような意図せざる行為による妊娠や、母体に及ぶ肉体的な影響、出産後の経済的な事情といった部分で、男性よりも女性に大きな負担を強いるケースが起こりうる。そうした問題を防ぐために、妊娠中絶の自由を求めて戦っている人たちがいることも理解できる。当事者には重大な、それこそ死活問題なのだから。

 一方では、科学が進歩し遺伝子の地図が着々と描かれようとしている現代、生まれる前のそれこそ受精卵の時から、生まれて来る子供に重大な障害が生じる可能性があることが分かるようになっている。「この子が将来、ある病気を発症する可能性は50%です」。そう聞かされた時に人は、いったいどう反応したら良いのだろうか。果たして「ケース・バイ・ケースだね」と割り切ってしまって良いのだろうか。残り50%の可能性にかけるべきなのか。あるいは100%だったらどうなるのか。それでも生まれさせるべきなのか。

 ロバート・J・ソウヤーの新刊「フレームシフト」(内田昌之訳、ハヤワカ文庫、880円)の主人公、ピエールはカリフォルニアにある研究所で遺伝子の研究をしている。彼はハンチントン病という遺伝子が原因になっている病気で父親を亡くし、自分もその遺伝子を受け継いでいる可能性がある。父親か母親の遺伝子のどちからを受け継いでいるかで決まるため可能性は五分と五分。けれども受け継いでいれば100%の確立で発症する。それは”死刑宣告”に等しい。ピエールは遺伝子の検査を受けることができず、あせりつつも日々の研究に没頭していた。

 そんな彼に結婚を意識する恋人が出来た。発症した場合に彼女に与える経済的な負担を考えて、保険に入る必要ができた。カリフォルニアの法律では、遺伝子検査の結果による発症の可能性だけでは、保険への加入を拒否できない。しかし検査を受けていなければ最初の審査が通らない。ピエールはやむなく自分で遺伝子を調べ、ハンチントン病発症の可能性が極めて高いことを知り、上司や契約先の保険会社にそのことを伝える。

 そしてある夜。彼はネオナチに襲われることになった。彼女が持っていたテレパスの能力によって、襲った男が最初からピエールを狙っていたことは分かった。いったいどうして彼が襲われたのか。ピエールがカナダ出身だったからか、それともハンチントン病が原因か。優秀な血統を残し、優生学的に劣る人々を抹殺しようとする思想に染まったナチスドイツの残党の影が一連の事件にちらつく中、ピエールは過去にいわくがありそうな上司の奇妙な干渉を受けつつ、襲われた原因究明と本業である遺伝子に関する研究に没頭していく。

 遺伝子操作の知識があれば、SF作品としての「フレームシフト」で核となっているアイディアに共感なり異論もとなえらるだろうが、そうした知識がそれほどなくてもサスペンスフルなミステリーとして楽しめる。どちらかと言えば科学な部分は物語の上で狂言回し的に使われている雰囲気もあり、「かがくのちから」で世間をネジ曲げ、新しいビジョンを見せてくれる話を期待しているハードSF好きな人には物足りない部分があるかもしれないが、それを補って余りあるスリリングな展開があるから大丈夫だろう。

 気になるのはやはり遺伝子研究の成果としての疾病の回避の部分。もちろん主人公のピエールは、自身がそうした遺伝子を持っている身として、優生学的な差別や区別と戦おうとするスタンスは見せる。けれども優生学が時に「善意」や「慈悲」として語られる性質を持っている以上、それを打ち破るだけの論理を物語の中で明示するのは難しく、遺伝子が原因による病の発症をいかに押さえるかは語られても、人種とか、後天的な不具合といった要素が原因となって起こる差別には、どやって立ち向かうべきなのかは語り尽くされてはいない。

 物語の中で黒人と白人と東洋人を指して、東洋人が知性と理性の面で優れている(しかし性的には白人に劣る、ペニスの長さも含めて)と言われた時に浮かぶ奇妙な優越感が頭から払拭されない以上、人間が「世界はひとつ、皆きょうだい」とばかりに一つにまとまるなんて無理な話。歴史が刻まれて以来の難問がそうたやすく解決されるはずもない。逃げるようだが、やはりその場に当事者として、立ち会ってみなければ心底理解はできないだろう。生きているものの権利と、生まれて来るものの権利のどちらを優先すべきなのか、などということを一切の逡巡なしに断言できるのは「神」だけだ。そして人間は絶対に「神」ではないのだから。

 それにしても、ピエールも巻き込まれた事件の原因が、優生学が振りかざす「善意」でも「慈悲」でもなく、極めて資本主義的な話だったのには正直参った。幾ら何でもそこまでやるものだろうか。まあ、身の程知らずにも「神」の立場を振りかざされるよりは、袖の下の話に帰結してくれている方が悩まず「悪」と断定できるから有り難いのだが。


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