フェノメノ 美鶴木夜石は怖がらない

 とても怖くて。けれどもどこか安心できて。

 そんな不思議な怪談を読みたいなら、一肇の「フェノメノ 美鶴木夜石は怖がらない」(星海社FICTIONS、1300円)を手にとろう。この世ならぬ場所をのぞかせ、誘い込まれる恐怖をたっぷりと感じさせながら、そんな場所へと沈みこんでしまうことなく、この世をしっかり生きていくための道を、それも1人ではなく誰かといっしょに、歩んでいこうとする気持を、与えてくれる物語だから。

 藤枝から都会へと出て、大学に進んだナギこと山田凪人という青年が、身の回りで起こる奇妙な出来事を、謎めいたところのある女子高生とともに解決してく、というストーリー。そう聞くだけでは、ほかにもありがちな設定に思われそうだけれど、夜石という名前の女子高生があまりにも強烈で、個性的すぎて、不思議だとか不気味だとかいった評価を超えた魅力で、読む人をぐいっと引きつける。

 なにしろ実在そのものが疑われている夜石。「異界ヶ淵」という、凪人も参加しているオカルト情報サイトの界隈で、夜石というハンドルネームを持った人物にまつわる奇妙な噂がみだれとんでいる。曰く「夜石に出逢ったやつは七日後に死ぬ」。あるいは「夜石は生きた人間じゃない」。そして「夜石が参加したオフ会は恐ろしい結末を迎える」。生きた人間に対してたてられる噂ではない。ましてやそれが年頃の女の子なら。

 もっとも、その時は凪人も他の誰も、夜石が女子高生だとは知らなかった。身の回りで起こっている不思議なできごとが、単なる思い込みではないかとオカルト情報サイトのオフ会に参加していた人たちに教えられ、安心して帰った自宅でやっぱり、それも突拍子もない形で怪異が続いていると分かった凪人が、誰も残っていなオフ会場のファミレスに戻って、そこで出合ったビスクドールのように整った顔立ちの美少女こそが夜石だった。

 オフ会の開かれているファミレスの前まで来ながら、中に入らず輪にも加わることなしに、窓の外から茂みに潜んで中を観察するような振る舞いを見せていたことが、夜石という少女の奇矯さを示す。美少女ながら身繕いには無頓着らしく、それこそ1カ月は風呂に入らず、近くに寄れ臭気が漂い、倒れて寝かされたベッドの枕にも、酸っぱい臭いが染みつくほど。おまけに吐く。それも突然、仁王立ちしたまま堂々と吐くから、凪人もいったいどうしたものかと戸惑い、慌てる。

 そんな夜石でも、こと霊やオカルトに関する知識と、そして経験に関しては誰に増して深く、そして多かった様子。凪人が借りた一軒家で起こった、七から順に六、五、四、三、二といった具合に、凪人の周辺にカウントダウンが刻まれていく事件について、彼が通う大学にいて、小柄ながら胸の大きなクリシュナさんという女性が示した、合理的で科学的な解釈の、その奥にある本当の可能性というものを夜石は示し、教えることで凪人に真実を知る恐怖へと、彼を引きずり込んでいく。

 「人には見るべきでないものがあるんだよ」。それは凪人の祖母も言っていたこと。同じような言葉を夜石から浴びながらも、凪人は踏み止まらないでさらに奥へ、奥へと足を向かわせる。以前に廃病院を夜石といっしょに訪ねた人たちが、精神をこわして入院してしまった事件の真相を解き明かし、夜石が決して化け物の類ではないと証明しようとしては、その病院に置いてあった、子供の生きたいという強い思いが綴られたノートを持ち出してしまい、そのノートを媒介にして集まるさまざまな思念に絡め取られて、生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い込まれる。

 すぐにノートを捨てれば良かったのに、自分が喘息に苦しんだ経験から、子供の生きたいという思いが込められたノートを捨てられず、手元に置いてさららなる不幸に見まわれる凪人。もっとも、そんな彼の頑なさが、普通は人間に興味を持たない夜石に、彼への興味を抱かせた。凪人がずっと縛り付けられていた、“襖の向こう側”にあるものから彼を解き放つきっかけを作る。それも身を挺して。それで得られる美少女との信頼を思うと人間、やはり自分を偽らず、まっすぐに生きるべきなのかもと思わされる。怖いからと逃げず、向き合うことで得られた凪人の境地が、読む人に安心感をもたらす。彼女となら歩いていけるかもと思わせる。

 自分の内にある恐怖心が自分を突き動かす可能性から、本当に何者かの思念が潜んで人を脅かす可能性、ネットという集合的無意識を集めやすいメディアの台頭が、事態をより複雑化して大きくもしたりする可能性に言及されて、この現代を安閑とは生きていられなくする物語。とはいえ、それは見ようとしてのぞきこむから見られるのであって、見ようとしなければ見られず行き過ぎることはできる。そのバランスをしっかりと噛みしめた上で、その先へと進むべきか、それともここに留まるべきかを選べばいい。あなたならどうするか?

 巻きこまれる恐さを思うと、やはり行かないのが良さそうだけれど、超絶的な美少女の夜石とか、グラマなクリシュナさんとか、キャミソールから飛び出しそうなバストを拝ませてくれる鴉さんといった人たちに出会えて、仲良くなれるならオカルトの世界に飛び込んでいくのも悪くない。人間、恐怖を上回る欲望というものがあるらしい。そしてあとで後悔するのだ。

 イラストを担当しているのは「selial experiments lain」で、現実と幻想の狭間に揺れる少女を描いた安倍吉俊。この世とあの世との狭間に漂う少女の淡い命のようなものを滲ませて、見る人を向こう側へと引きずり込む。物語の世界を増幅させるイラストも合わせ、堪能しよう。そして見渡し考えよう。そこはこの世か、それともあの世なのかを。


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