エトランゼのすべて

 それは誰にでもあったはずの春夏秋冬で。そして彼にしかなかった春夏秋冬で。

 森田季節の「エトランゼのすべて」(星海社FICTIONS、1200円)は、とある1年にめぐりきた、とある少年の春夏秋冬を描いた物語。それと同時に、僕たちの、私たちのかつてめぐりあった春夏秋冬への懐古と、悔恨を惹起させ、今というかけがえのない時間への決意を、改めて感じさせてくれる物語だ。

 奈良と和歌山の間にある田舎町から、頑張って勉強して京都大学に入って、さあデビューだ、彼女と作ってハッピー大学生ライフを楽しむのだと思った針塚圭介。とはいえ、面倒そうな体育会系にも、キラキラとしたテニスサークルにも、1000メートルを越える山に登るハイキングにも、古いデジカメでは小馬鹿にされそうな写真サークルにも、飛び込む勇気を持てなかった。

 そんなとき、掲示板を眺めていて、ふと目に入った「京都観察会」というチラシに惹かれた圭介。京都を気楽にめぐるサークルだという文章を読んで、これなら大丈夫かもと感じて訪ねた説明会の会場で出合ったのは、お嬢さま然としたところのある美人の女性だった。

 彼女は、圭介の名前も出身地も、最近食堂で何を食べたかもピタリと言い当て、占い師か魔法使いかといった面もちで微笑みかける。紹介されたメンバーや、いっしょに説明会に参加した中道香澄という少女とともに新歓へと向かった圭介は、そのまま成り行きで京都観察会のメンバーになる。

 そして始まったのは、何をするでもなく、カフェテリアに週2回集まっては、近況などを喋り、カラオケに行き、飲んだりするという活動。そこに劇的な出合いはなく、ただいたずらに時間だけが過ぎていく。

 サークル活動の合間に、たっぷりとあった時間を使って、圭介はアルバイトに勤しむことになる。それも体力が鍛えられる過酷な労働でも、将来に繋がる発見のある労働でもない、近場の学生食堂での皿洗いのアルバイト。刺激もなければ大きな変化もない時間が、ここでもただ過ぎていく日常に、圭介は少し焦りを覚える。

 その時間に世の中では、もっと人生に劇的な変化が起こっているに違いない。そのチャンスを自分は逃しているかもしれないと。けれども圭介の日常は、彼女ができてバラ色の夏休みを過ごすはずが、特段の彼女もいないまま、サークルの人たちとしゃべり、アルバイトを手伝いカラオケにいくくらい。そんなダラけた日々で本当に良いのかと悶えつつ、外に飛び出す気概も見せないまま、そのままの日常を続ける。

 それが普通。誰もがたぶんそんな季節を経てきた。劇的なことなんてそんなに起こらない。目に見える変化なんて起こらない。だからといって、そうやって過ごした日々は無駄ではなかった。圭介はサークルの先輩たちを通して人間とつながった。それ以上に、圭介や先輩たちによってひとりの女性が救われた。

 名前も名乗らない会長の正体。そして京都観察会というサークルが出来た理由。それを知り、そのなかで活動し、それからの道を開いた経験は、圭介にとってかけがえのないものになり、これからの人生にたぶんなにか意味を持つ。

 たった1回だけの春夏秋冬。そこから得た経験や、出合った人たちはきっと何年後か、何十年後かに思い出となって積み上がり、甦っては悔恨よりも大きな懐古となって心を微笑ませるのだ。

 誰もが迷っていて、誰もが悩んでいて、誰もが彷徨っていて、誰もが苦しんでいる。そんな時間を、だからといって無理に変えようなんて思わないでいい。どんな怠惰な日常にも、どんな沈んだ気持ちでも、きっとそこには意味があるのだと信じよう。

 どん底にあったからこそ、決意できたこともある。平凡だったからこそ、考えられた多くのことがある。そんな積み重ねから得た今を大切にしよう。それでも今、やっぱりちょっぴりの悔恨が浮かんで仕方がないのなら、ここから新しく始めればいいだけだ。時間は無限ではないけれど、それでもまだたっぷりと残っている。誰にでも。

 あの春夏秋冬を厭うことなかれ。これからの春夏秋冬を慈しむべし。


積ん読パラダイスへ戻る