エスピオナージ

 「エスピオナージ」という言葉を知ったのは、谷村新司と堀内孝雄と矢沢透が結成していたアリスというグループが唄っていた歌からだった。だから今でも「エスピオナージ」という言葉には、歌詞にあった“悲しき運命(さだめ)”という文言がまず口を衝く。そんな30代、40代の人も多いだろう。

 重く響く谷村の歌声と悲哀にあふれたメロディーから「エスピオナージ」、すなわちスパイは過酷な運命を背負いながらも戦う格好の良い存在だと認識された。当時は娯楽映画の王様だった「007」のシリーズに登場するジェームズ・ボンドの活躍ぶりも、スパイという存在の表には出ない華やかさを感じさせた。だがしかし。

 麻生幾の「エスピオナージ」(幻冬舎、1900円)に登場するエスピオナージたちには、闇を操る格好良さもなければ、闇にひっそりと消えていく儚さもない。任務への忠実さ。そして暴かれた時の惨めさばかりが浮かぶ。

 それなのに、途絶えることなく誕生しては、世界へと散り闇をうごめくエスピオナージたち。彼ら、または彼女たちはいったい誰の為に働いているのか? そして、それらと戦う警視庁公安部のスパイハンターたちは、何を糧に過酷な任務をこなしているのか?

 すべての答えが、麻生幾の「エスピオナージ」には込められている。始まりは、ロシアのスパイに日本の中小企業の幹部が協力していた事案が露見したこと。ウェイトレスに化けカップルに化け対象を見張り、マイクを向け見つからないよう写真を撮る、ファミリーレストランを舞台にした捕り物によってロシアのスパイが摘発される。だが、これがかえって大物に迫る手がかりをとぎれさせる結果を招いてしまった。

 まさしく大失態。取り戻そうと、警視庁公安部で海外のスパイを相手に戦う外事1課の4担に所属する水越紀之警部に率いられたのスパイハンターたちは、新しく赴任してきたロシアの工作員への監視を強めていくが、その行く先々にひとり、気になる人物が姿を見せていることに気がついた。

 どう見ても普通の主婦にしか見えない女、小野寺美津江。だが気になって調べていくうちに、美津江が、そして彼女の夫が過去に3年の空白を持っていたことが分かってきた。何があったのかと遡り、調べた果てに見えてきた2人の悲惨な過去と、現在の暮らしぶりとのギャップから、2人の存在への疑惑が持ち上がる。もしかすると2人は。その思いがスパイハンターたちの動きを活気づかせ、そして警察がかつて出会ったことのない大きな事件が浮かび上がってくる。

 黒いコートを着たスパイたちが、路上で拳銃とか撃ち合ったりするシーンなどないし、変装を繰り返して敵を欺くサスペンスもない。実際のエスピオナージの世界に華やかさなど不要。こつこつと集めたひとつひとつの情報を組み合わせ、何が起こっているかを推定しつつ、真相へと迫り敵を追いつめていく地味で地道な仕事で、それを克明に追った麻生幾の「エスピオナージ」には、だから強いリアリティがある。

 あまりに過酷な環境に、よく働いていられるものだという感慨と懐疑が併せて浮かぶ。仕事に命とプライドをかけているのだと言えば言えるのだろう。だがその結果得られるものは何なのか? 日本人の数百万人の命が救われるのか? 数百億円もの財産が得られるのか? 「エスピオナージ」を読んでも、そうしたモチベーションの部分が今ひとつ分からない。

 リーガル、イリーガルを問わずエスピオナージたちは、どんな情報を探り出しては海外に送り、それが日本という国のどんなレベルにどんな影響を与えているのか? それが見えにくく、スパイハンターたちのあまりに大きなモチベーションの根底に疑念が浮かんで、居心地の悪さを覚えさせる。

 エンターテインメントのスパイ小説なら、核兵器や要人の命や財産といったものにわかりやすい”危機”が描かれる。これならばモチベーションも見えやすい。しかし現実は違うし、モチベーションも事態の大きさなどにはよらない。と、そう理解するのが良いのだろう。たとえ1人の命であっても、幾ばくかの財産であっても、無法に奪われることは赦されないのだという、高くて強い使命感が、きっと彼ら、彼女たちエスピオナージにはあるのだろう。

 栄達や名誉や財産などは二の次。そうした即物的な物に心を寄せるエスピオナージは、カウンターとして与えられる栄達や名誉や財産に流される。必要なのは強い意志。そして愛国心。なるほどだからこそエスピオナージの仕事は地味で、そして尊いのだ。

 たとえ泰平の世に見えても、そしてお互いが友好を深めているように見えても、裏では国の財産は着々と蚕食されて、将来への不安が増大しているのかもしれない。国と国がある以上は、そこにエスピオナージは必須なのだと物語の中では語られる。その描写はどこまでもリアルで詳細。自分がスパイハンターの仲間になった気分すら味わえる。

 バンカケといった用語や、追尾の時に仲間同士で使う符丁などは、調べたり聞いたりすれば分かるもの。だが、分かってもそれをどういうシチュエーションで使うのか、そして働く人たちの仕事に対する考え方や、意見がぶつかりあった時に浮かぶ心理といったものは、その立場に立たないとなかなか分からないものだ。そして「エスピオナージ」ではすべてがアルなものとして感じられる。麻生幾というなぞめいた作家の凄みが改めて示される。

 読み始めたら止まらないストーリー。そこから浮かぶ圧倒的なディテールのリアルさに、読み終えた後で街を歩こうとして誰もがきっと思うだろう。悲しき運命を飲み込んで、崇高な指名のために己を隠して敵を追う、エスピオナージはそこにいる、と。


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