スケヱプ・ピヰド

 「僕の少年漫画のような熱いアクションが中心。ライトノベル的なかわいい女の子の話は他の人にお任せして、格好良くて熱いものを出していきたい」と、第18回電撃大賞の小説部門で大賞を受賞した九岡望が話していたとおり、受賞作として登場した「エスケヱプ・スピヰド」(電撃文庫、570円)にほとばしるのは、戦いに精神と肉体のすべてを捧げた存在たちの熱い想い。そこから「なぜ戦うのか」という問いかけが生まれ、「誰かのために戦う」というひとつの答えが導き出される。

 八洲国にあって、南部を防衛する拠点となっていた都市<尽天>は、かつて八洲国が臨んだ大きな戦いの際に、壊滅的な打撃を被って、都市機能の大半を失っていた。好漢の伍長に身請けされ、家事を請け負っていた叶葉という少女も、決戦に向かう伍長に別れを告げられ、都市の地下にあるシェルターに入って眠りについた。そして20年。叶葉が目覚めた時、激しい戦争は既に終わっていたが、戦争の中で武器として使われていた機械兵たちが、敵を見失って矛先を失った闘争の本能を、なぜか生きている人間に向け、襲うようになっていた。

 それでも人間たちは、50人ほどの集団でこれに立ち向かいながら、<尽天>の廃墟を巡り歩いて、使える物資や食料を探し出し、どうにか日常を送っていた。冷凍睡眠から起こされた叶葉も、その一員として、物資を探して廃墟を歩いていた、そんなある時。踏み抜いて落ちた穴蔵の底で、巨大な火力を持った戦車の形をした兵器に出会い、襲われ絶体絶命となったところを、ガラス槽の中にいる少年を見つけ、何者かと問われ、名を返したところ、傍らで巨大な何かが目覚めた。

 それは機械仕掛けの<蜂>。ガラス槽の中に眠っていた九曜という少年とセットで、<鬼虫>と呼ばれる最強の兵器シリーズの9番目として作り出され、大戦の中に大活躍したものの、同じ<鬼虫>の1番目として作られ、最強を誇った<蜻蛉>によって斬られ、そのまま倉庫の奥で眠りにつき、防衛用の戦闘機械に守られながら、長い時間をかけて自己修復して、ようやく再起動を果たしたのだった。

 とはいえ、指令を下す副脳にまだ損傷があった九曜は、叶葉をとりあえずの指揮官として認め、ようやく動けるようになった。それでも圧倒的なパワーを見せつけ、叶葉を襲おうとしていた戦闘機械を沈黙させた九曜を、叶葉は皆のところに連れ帰る。大戦時に整備を請け負っていた老人から、その正体が<鬼虫>の<蜂>だと知らされた皆は、彼が<尽天>で生き延びようとあがく人々を守ってくれる存在として頼りにする。叶葉も元は人間だったとはいえ、今は完全に戦闘機械の精神を宿して、まったく人間らしさをのぞかせない九曜に、食事を出したり言葉をかけることによって、仲を深めようとする。

 けれども九曜には、他に大切なことがあった。<尽天>の入り口にいて、街に出入りするものを、敵味方の関係なく切り伏せている<蜻蛉>の存在を知って、20年前の敗北の雪辱を晴らそうとする。絶対的な強さを誇り、あらゆるものを破壊してきた<蜻蛉>がどうして、あの時<蜂>を完全には破壊せず、眠りの果ての再戦を望むような真似をしたのか。そして今、どうして<蜻蛉>は生き残った人間たちの命令を聞こうとはせず、ようやく連絡がついた<東京>からの支援すら切り伏せ、ひたすら戦いに向かうのか。

 「敵と戦え」という命令。そして戦って勝利することが、絶対の責務だという、かつての剣豪に通じる心理が、あるいは<蜻蛉>の内に宿っていたのか。人間の精神を取り除かれ、体を切り刻まれ、戦闘機械とされてしまった身が目指す究極が、ひたすらの戦いの中にあると感じていたのか。戦いにこそ居場所を見つけた<蜻蛉>にとって、戦える相手がいなくなるのは許されざる事態。唯一、対当の戦いを繰り広げられる存在として、<蜂>を残しその成長に期待した。それが、20年前に<蜂>を見逃した理由なのか。

 もっとも、真正面から戦って勝てなかった<蜻蛉>に、20年を眠っていて、ようやく目覚めた<蜂>が、普通だったらかなうはずがない。同じ戦いを再び演じるだけで、それでは<蜻蛉>の眼鏡にはかなわない。けれども、20年前とは違う環境が<蜂>にはあった。叶葉の存在。大勢の彼を慕ってくれる人間たちの存在。未だ地下に眠ったままの、平和になって目覚める時を待ち望む大勢の人間たちの存在。支えを得て、仲間を得て、守りたいという気持ちも得て、戦いたいだけの心理を乗り越える力を<蜂>は得る。そして。

 勝つのは、ただひたすらに強さを追い求める心か、それとも誰かを守りたいという願いを内に秘めた心か。戦う者に宿るさまざまな心理を核にして、テクノロジーの鎧をまとわせ描いた、スピーディーでスタイリッシュなバトルアクションストーリー。かわいい女の子は出てこなくても、格好いい男たちを、そして弱さに逃げない女たちを感じて、熱くなれる。そんな物語だ。

 八洲がかつて臨んだ、国を挙げての大戦そのものは描かれず、何を相手にどれだけの戦いが繰り広げられたのかが、不透明のまま残っているし、そこで活躍し、壊れ死んでいった他の<鬼虫>たちの活躍も、未だ描かれていないところに、シリーズ化された場合の今後の物語を、期待してみたくなる。それはどれだけ激しく、あるいは陰惨で、けれども高潔な戦いだったのか。とても気になる。ようやく訪れた平穏を、妨げる存在が現れ<蜂>を失った九曜がどう立ち向かうのか、といったエピソードにも。その時流に妥協しない筆の進みに、期して次を待とう。


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