EINSATZ
アインザッツ

 ふと気がつくと、かつて通っていた中学校が、吹奏楽で結構評判を取っていて、普門館と一般に呼ばれるらしい全国大会に出場していた。在学中もそれなりに活動はしていたけれど、強豪という印象はなかっただけに、強くなったのには何か、理由があったんだろうと想像できる。

 音楽に秀でた人が集まるでもない公立の中学校。そこで急に強くなり、そして最近はどうして余り活躍できていないことから、おそらくは指揮する先生の才能や熱情といったものが、関わっていたのだろう。先生が変わって水準が下がって、そのまま停滞しているのが最近、ということになるのか。

 それよりも驚いたのは、かつて通っていた中学校のハンドボール部が、全国でも屈指の強豪になっていたことで、ある年は男子も女子も夏の全国大会で優勝していたし、最近でも男子が、夏の全国大会で優勝していたりした。

 在学中にも確かにハンドボール部はあったけれども、やはり決して強豪ではなかった。いったい何が起こったのか。ここにも、吹奏楽部と同じような経緯があるのだろう。だとしたらブランスバンドと同じ経緯を辿るのか、それともしばらくは強豪で居続けられるのか。明敏な識者の下で、大勢が同じ音を探って鍛錬にはげむ吹奏楽と、数人の強者を育てれば良いハンドボールとでは、違う道が待っているのかもしれない。

 中学校とは違い、自分で選んで進める高校ともなると、その名門校がやはり幅を利かせて、何年も上位にあり続ける。とはいえ名門なら名門なりに、長い伝統なりプライドなりが足かせとなって、いろいろと面倒なことも起こる模様。テレビアニメーションの「らき☆すた」や「かんなぎ」、そして「フラクタル」といった作品の監督をした山本寛が、学生のころに吹奏楽部にいた経験を、きっと元にして描いた「アインザッツ」(学習研究社、1952円)という小説に、そのあたりの複雑で難解な、名門高校のブラスバンド部の様子がつづられている。

 舞台となっている高校は、吹奏楽部の名が全国レベルに知れていた学校で、そこで学生の身でありながら指揮をとって、それなりに好成績を収めたことがあった頼場駈呂という青年。高校を卒業して大学生になってからは、音楽に関わることを止めていたけれど、後輩から頼まれて、やむなく母校の吹奏楽部の指揮をとることになった。

 ところが、行くと1年生はまるで素人で、2年生は前に好成績を収めた経験から、妙にダラけてまとまりがない。指揮をふるっても動かず、どうしようもない状況。おまけに、影響力を与えようと出しゃばってくる先輩たちもいて、そんな間でぎくしゃくしたところもあって、頼場は八方ふさがりに陥りかける。それでも、どうにか部員をまとめあげ、大会に出て指揮棒を振るう。

 結果は今ひとつ。それに落胆した頼場に、気落ちしてやる気を失ってしまった学生たち。先輩の横やりも衰えないまま、崩壊の危機に瀕していたけれど、そんな中でもやる気を見せて頑張りたいという生徒がいて、その声に導かれ引っ張られて現場に復帰した頼場は、前の轍を踏まないように慎重に、けれども確実に部員たちの実力を高めていって、そして栄えある大会での栄誉を得る。

 佐藤多佳子の「第二音楽室−School and Music」(文藝春秋)とはまた違った、音楽に情熱を燃やそうとして、どこか燃やしきれない曖昧さにある学生たちの姿を描いた物語。集団でつむがれる音楽が、誰1人を欠いてもうまくはいかない現実を示し、それに向かってみなが心をひとつにあわせて進む素晴らしさが示される。何より音楽というものに取り組む心地よさというものが、物語から滲み響いて漂ってくる。

 山本寛にとって、これが初めての小説であるにもかからわず、紛う事なき小説になっているのが凄いというか、素晴らしいというか。破天荒な展開はなく、天才もおらず、努力の積み重ねしか描かれていないストーリーは、アニメになったところで、大勢の興味は集められないかもしれない。

 けれども、読めばじっくりと伝わってくる興奮。そしてなぜか響いてくる音楽。なるほどテレビアニメの「涼宮ハルヒの憂鬱」で、冬の日の学校での出来事を粛々と描いて、それなのに画面から目を離させない「サムデイ イン ザ レイン」の絵コンテを切り、淡々とした会話だけで、1話をまるまる持たせたテレビアニメ「らき☆すた」第1話の奇蹟の演出を手がけた、山本寛だけのことはある。

 目を引きつけ、絵を見せる技を文字を追わせ、物語を読ませる技に置き換え示したその才能に、改めて浸り驚き、そしてその才能が世にどんな形でも良いから、改めて問われる日の来ることを願おう。


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