神童機操DT−O phase01

 30過ぎとか40過ぎとか、そんな歳かまで童貞でいたら、魔法使いになれるなんて都市伝説めいたものがあるけれど、リアリズムで言うならが童貞が、魔法を使えるようになるはずなんてあり得ないし、そもそも魔法なんてものがない。処女も同様。純血を守り抜いたからって、それで悪魔を退けられる訳ではないし、吸血鬼が襲ってくれることもない。

 とはいえ、伝説が生まれるのには理由がある。食欲に睡眠欲と並ぶ人間にとって重大な欲望、種族を残すという、遺伝子に刻まれた命令から出てくる本能でもある性欲を抑制して、快楽に背を向け童貞を貫く心身には、やっぱりなにがしかのパワーがあるかもしれないと考えて、考えられないこともない、かもしれない。あまり考えたくもないけれど。

 そんな可能性を土台にして描かれたのが、講談社ラノベ文庫が行った新人賞で優秀賞を獲得した、幾谷正の「神童機操DT−O phase01」(講談社、640円)という小説だ。

 簡単に言うなら巨大人型決戦兵器物。大元に得体の知れないテクノロジーがあって、それを改造したり増やしたりして作られた巨大ロボットを運用する計画があったけれど、ある事故が起こって計画は中止となっしまう。中心にいた科学者は粛正を予感し、怒りも感じて脱走し、自ら生みだしたテクノロジーを使って世界に反旗を翻した。

 それはいけないと受けて立ったチームが一方にあって、敵から奪った人型ロボットを動かし戦っていたけれども、生みの親がいるだけあって、なかなか相手も強敵だった。負傷しもはや敗北確実だったパイロットは、どういう理由からか「お前らの中に、童貞は居るかァー!?」という、聞くほどに恥ずかしくなりそうな叫びを上げる。

 それを聞いて、近寄っていったのが、その名も天童貞臣という、姓名の中に「童貞」の文字を背負った少年。自分がそうだと答えると、パイロットからロボットの操縦を託された。それは童貞にしか動かせないというマシン。晴れてなのか雲ってかは本人の意識次第だけれども、その条件に適合してしまった天童貞臣は、ロボットに乗り込み操り敵を蹴散らし、そしてそのままメンバーとして加わって科学者の陰謀に立ち向かう。

 仲間には見目麗しい美女もいたけれど、童貞にしか動かせないという条件を鑑みるとその正体は。けれども美しければそれで。悩まされる。ついているのかいないのかも含めて、いろいろと考えさせられる。

 少子化対策と晩婚化対策として、まだ未経験の人間は耳にタグを付けるよう求められ、はやく捨てるなり、結婚するようプレッシャーをかけられている社会が物語の舞台。けれども主人公がかたくなに童貞を守り、結果ロボットを操れる立場になったことに、いったいどういう理由があったのか。見た目が美女の仲間と同じ理由か違うのか。そこに、過去に犯してしまった過ちへの悔恨と、強い意志が見え、人間という存在の、本能を上回って自分を律する高潔さが示される。

 一方で、傍目にはそういった理由を付けながら、裏ではロボットを操縦できる条件を持った人間を減らそうとしている敵の暗躍ぶりに、それほどまでの力を持った敵を相手にただの童貞どもがどうやって、それもたいした戦力もないままどう立ち向かっていくのかに興味をそそられる。年を重ねればなおいっそう、力が強くなるというものでもないから難しい。

 主人公が抱く心理的なトラウマも、それがきれいさっぱり晴らされてしまえば、童貞でいる理由はなくなって、戦いに加わる資格も失われる。本人的にはそれがオッケーなのかもしれないけれど、ここまで世界に頼られてしまうと、もはや捨てられないものだ、童貞も処女も。そんな若者たちに何か別のケアはないものか。ケアすれば意志が薄まり力も落ちるというものなのか。聞いてみたい。

 抱えた疑問は数あって、そして帰結も見えない物語。ただ、見た目の冗談のような設定とは違って、案外に熱く激しく正義と根性とが繰り広げられる物語でもある。そういったものが好きな人には、設定を脇に置いて熱いバトルを楽しめそう。入り口ではなんだ童貞がパワーを発揮するのかと笑いつつ、読み込んで真剣にさに飲み込まれ、これからの展開を見守りたくなる1冊だ。読み終えて童貞の強さを受け入れ、自らもそうあり続けると誓おう。

 もう遅い? そうだよなあ、普通はそうだそういうものだ。


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