ドラゴンキラーあります

 胸か? 尻か? それが問題だ。

 なんのことだ? つまりは趣味の問題で、柔らかく突き出て、触れれば弾力を感じさせてくれる胸こそが、男性にとってエロスの象徴なのだという一派に対して、狭いようでいて広がりがあり、張りがあって触れれば手のひらにおさまり至高の感触を覚えさせてくれる尻にこそ、エロスの神髄があるという一派もあって、どちらが正統かを巡りc有史以来、長く争いを繰り広げている。

 本当か? 少なくとも「C・NOVELES大賞」で特別賞を受賞した海原育人の「ドラゴンキラーあります」(中央公論新社、900円)というファンタジーの世界では、この命題が人間関係の善し悪しに関わり、果ては命すら掛け合う問題となってクローズアップされている。

 舞台は凶悪にして強大なドラゴンが跋扈する大陸。常人ではまるで太刀打ちできないドラゴンに対抗するべく、人類はとある方法で“ドラゴンキラー”という存在を生み出しては、ドラゴンが現れる場所へと送り込んで戦わせていた。一方で人類は、国々の間でも争いを繰り広げていて、その時も戦場で敵と味方が対峙していた。

 そこに現れたドラゴンを、退けるべく送り込まれたドラゴンキラーがなぜか暴走。敵兵ばかりか見方の兵もお構いなく、戦場にいる人間はすべて殺戮する暴挙に出た。その惨状をかろうじて生き残ったのがココという男。あまりの衝撃に軍には戻らず、辞めて自分たちを恐怖に陥れたドラゴンキラーに復讐したいという気持ちを引きずりながら、犯罪者たちが吹き溜まった街で便利屋稼業に勤しんでいた。

 とにかくおっかない街で、とある事情からひったくりをしようとしたロディという青年は、美女から反撃を食らってその場で脚をぶち抜かれてしまった。通りかかったココは、顔見知りだった美女をとりなし、青年を引き連れ住居の下にあって美女がウェイトレスとして働く酒場へと行き、禿頭のマスターやもうひとりのウェイトレスの美女を見てふと思った。

 やはり女は尻だ。尻に限る。

 ウェイトレスの美女2人のナイスなバディは、マスターの趣味で胸が激しく強調された衣装に包まれている。それを見てココは、どうして男は胸ばかりを有り難がるのか、自分は絶対に尻だと自問自答する。体の前面にある部分に目がいきやすいのは仕方がない。しかしその感触といえば、「馬に乗って全力で駆けて、空中に手を差し出した程度の弾力だ」。あんなものをいくら揉んだところで嬉しくもない」(23ページ)。しかし尻は違う、あれこそ真理だとココは思う。

 その見解に賛意を示す人も決していない訳ではないけれど、いざ胸が眼前に現れた時に、その質量をもって空虚と談じる勇気の持ち主は多くはない。にも関わらず尻の良さをひたすらに訴えるココは偏屈だということを示唆する目的で、彼の嗜好が示されたのだと考えるのが良さそうだ。

 ともあれココは、マスターかロディの身柄を預けられ、脚を撃たれたにもかかわらず撃ったスプリングという美女への弁償金を支払わせるため、どこかの仕事場に放り込もうとして街を歩いていた。そこに現れたのが、超人的な力を持ったひとりの美少女。振るう力や風貌から、ココは彼女がドラゴンキラーだと確信するものの、リリィという名のドラゴンキラーの少女はひと蹴りで頭蓋を粉砕できる圧倒的なパワーをフルには発揮せず、ココを気絶させるだけで青年を奪還し、去っていく。

 どうしてリリィは自分を殺さなかったのか。訝りながらもココは、街にドラゴンキラーが跋扈していることを情報屋に売ろうと、パン屋であり情報屋でもある家へと出向くとそこにいたのがひとりの美少女。物欲しそうな顔でウィンドー越しにパンを見る少女に、ココは出来心を発してパンを与えようとして拒絶され、その言動からなにやら高貴な身分と感じる。

 情報屋は店のパンと引き替えに少女から話を聞き出し、彼女がさる皇室の皇女で、本来は継承権など持つ身ではないにも関わらず、対抗馬として祭り上げようと画策する勢力や、擁立されてはたまらないと排除を目論む勢力の争いに巻き込まれようとしたところを、ドラゴンキラーのリリィとロディによって助けられ、この街まで逃げてきたと知る。

 そして起こる大騒動。皇女の身柄を確保しろと街の商会に依頼されながら、気が乗らないココは少女を捜すドラゴンキラーのリリィから、仇とねらうドラゴンキラーを撃つ手助けを受ける代わりに少女を助ける仕事を請け負う。ドラゴンキラーを2人もそろえた商会に少女が連れて行かれた後も、リリィと作戦を練って少女奪還のために商会へと立ち向かう。

 もともとはただの花売り少女で、それが食べていくためにドラゴンキラーにさせられた関係で、圧倒的なパワーを持ちながらも人を危めるのが苦手というリリィの設定がひとつのポイント。ドラゴンキラーという人外の存在がどうして誕生したのかという理由、そしてどうして存在しているのかというドラゴンの生態ともリンクした設定が、ファンタジーの世界には当然のように出てくるドラゴンという生き物についての解釈に、目新しさを与えていて楽しませてくれる。

 そんなドラゴンキラーになって、半歩だけ人間よりもドラゴン側に足を踏み入れながらも人間らしさ、乙女らしさを残したリリィの可愛らしさたるや。片目がドラゴン化して、手に鱗まで生えてしまっているのに、自分だって女なんだからちょっとは関心を持ってほしいと、ココ相手にほのめかす態度が実にいじらしい。リリィが仕える皇女のアルマも、身分に似合わず物わかりがよく聡明で、それがいたいけさを感じさせてココならずとも救ってやりたくなる。

 同情だけでは動かず、何をするにも天秤の上に載せて、どちらが自分に有利かを考えるココの計算高さも、小説によくある直情径行なヒーロー像とは違った雰囲気で、逆に目新しさを感じさせる。それでも自分自身の気持ちに決着をつけることを優先して、リリィたちに着いてしまうところが、ココという男の、トップにもなれず黒幕にもなれないで、末端を蠢かざるを得ない身の上を示していると言えそうだ。

 決して追ってが消えることのないアルマと、ドラゴンキラー故に大飯ぐらいとなったリリィを抱えて、ココがこれからどんな活躍ぶり、暮らしぶりを見せるのか。パン屋の主人に仕えて、大人しそうな仕草をしながら実はすさまじい戦闘力を持っている、胸もなければ尻も薄いアズリルという少女に活躍の場はあるのか。次巻への期待も膨らむ。

 もちろん、酒場の花にして毒でもあるスプリングとボニーの暴れっぷりも。そういったキャラクターたちの描写に気を配りつつ、ドラゴンキラーとドラゴンの切っても切り離せない関係を織り込んで、リリィやココや皇女アルマの生きていく姿を描いていってくれれば今は本望だ。


積ん読パラダイスへ戻る