ディプロトドンティア・マクロプス

 身長があと10センチ高かったら、いいや5センチでもいいから今よりもうちょっと背が高かったら、人生変わっていたかもしれないと、そんな妄想を抱くことが今も時々ある。

 スポーツをやってプロになっていたかもしれない。モデルから俳優になってテレビに出まくっていたかもしれない。そこまでいかなくってもモテモテの人気者になって明るい性格が醸成されて、真っ当なオトナになれたかもしれない。オタクなんかじゃなく。

 我孫子武丸さんの「ディプロトドンティア・マクロプス」(講談社ノベルズ、740円)は、そんな妄想をかなえてくれるかもしれない可能性がつまった小説。といっても、5センチとか10センチとかいった貧背クンのささやかな願望なんてはるかに超越した、思いっきりビッグな可能性がつまった小説なんだけどね。

 おっと、これ以上は読んでからのお楽しみ。同じ悩みをかかえた者なら、読んで半ばを過ぎたあたりで、ポンとひざを打って踊りだしたくなるはずだから。えっ、いくらなんでもそこまではって? まあまあ、こうも言うじゃないですか。「大きいことはいいことだ」って。ねっ。

 出だしはスムーズにごくごく普通の探偵小説の趣(おもむき)で。京都で探偵事務所を開いている主人公のところに、妙齢の女性が父を捜して欲しいと依頼に来る。聞けば大学教授の父親が、もう1カ月も家に戻らないとか。仕事に貧弱な探偵は、浮気調査でも動物探しでもない真っ当な依頼を即座にオーケー、さっそく調査に乗り出した。

 折悪く探偵の苦境を救うべく、向いの犬猫病院の院長が奇妙な調査を回して来た。病院に来た少女から、いなくなったカンガルーのマチルダさんを探してくれと頼まれた探偵は、すでに先約があるからと断ったものの、カンが働いたのかその消え失せたカンガルーが居た動物園へと向かい、飼育係立ちの奇妙な反応を目の当たりにする。

 絶対にいたはずのカンガルーなのに、飼育係たちは失踪したとも死んだともいわず、どこか後ろめたい表情を見せながら、そんなカンガルーはいなかったと言い張った。少女か飼育係かそれとも自分がおかしいのかと、悩みつつもいったんはカンガルーのことを頭から振り払った探偵は、先約の調査に大学を訪れ、心当たりを調査して、それから依頼主の家を訪れて手がかりを探す。

 家を出た探偵を暴力が襲った。教授を探し突き当たった手がかりに、襲われる要因を見いだせなかった探偵が達した結論は、教授の失踪とカンガルーの不思議な失踪に、どこか繋がる部分があるということだった。仲間を使ってカンガルーの消えた動物園を見晴らせた探偵が、見張りのもとを訪れたその瞬間、ヘッドライトの明かりがその体を包み、そして探偵は命にかかわる重大な体験をすることになった。

 重体だった探偵が、閉じこめられていた教授の治療でピンシャンとした下りに、教授が研究していた内容を足して、それから最初の騒動を読んだあたりで、クライマックスのシチュエーションがパパっと頭に浮かんで来る。予想はそのまま現実となって立ち現れ、予定通りでけれども楽しい、一大スペクタクルが展開される。

 目に浮かぶのは低い家並の京都の街を、覆うように立ちはだかる物体が2つ。始まった頃の探偵小説の趣はもはや微塵も存在せず、ただただ笑いと興奮に包まれながら、眼前(いやいや眼上)で繰り広げられているであろう壮絶なバトルを思い浮かべる。

 さて貧背クンたち、読み終えてポンとひざを打って踊りだしたくなったかな? 踊ったらきっと地面が大変なことになるよって、それはちょっと本質からズレた反応だね。ものには加減ってものがあるよって、それはあまりにも当たり前すぎる反応だな。確かに「大きいこと」は決して「いいこと」じゃないようで、そんな悲しみが一大スペクタクルを引き起こす要因になったみたいなんだけれど。

 でも、うまく使えばもしかして、5センチとか10センチとかいった微細なレベルでの調整も可能なんじゃないかって、そんな希望の1つでも持ってみたくなるのが貧背者に共通の人情ってもの。エンディング部分ではなんだかもう2度と、ささやかであろうと大袈裟であろうと願望はかなわないみたいなんだけど、ここは1つ土下座でもして、もう1度教授には頑張ってもらいましょう。

 できれば注射器は万年筆の形にしてね。


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