ディアヴロの茶飯事

 「千葉市憂愁」と書いて「チバ・シティ・ブルース」と読む。そして「膚板」は「ダーマディスク」で「砲金灰色」は「ガンメタル」、「電脳空間」は「サイバースペース」と読む。カタカナで表記されるルビから漂うスタイリッシュな印象と、漢字が持っているかしこまった印象とが混ざり合って、どこか現実離れした雰囲気が立ち上る。

 これは“中二病”と呼ばれる人たちが想像した、架空の世界の武器や技のネーミングのことだと言う人がいるかもしれない。けれども違う。20世紀もまだ15年ほどを残していたい時代に生まれた表記。1984年に発表されて、86年に日本語に翻訳されたカナダ人作家、ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」というSF小説でお目見えした。

 訳したのは黒丸尚。広告会社の電通に勤めながら英米SFの紹介に尽力し、数々の翻訳も行った。とりわけギブスンの小説では、「ジャック・イン」という言葉に「没入」という字を当てたり、「氷」に「アイス」、「龍」に「ドラゴン」とルビを振って、英語と日本語が同居する独特の雰囲気を表現し、“サイバーパンク”と呼ばれるムーブメントを活字の分野から先導した。

 サイバーパンクは、コンピューターやネットワークのテクノロジーと、人体や社会の進化とが結びついて大きく改変された世界を舞台に、起こる事件などを描いていく作品を指す言葉だった。もっとも、黒丸尚によるルビを多用した翻訳スタイルが持つかっこよさをすくい上げ、自分ならではの世界観を表現したい時に、そうした表記方法を使う人も増えていった。中二病的なネーミングセンスは、その延長であり、究極に立つものなのかもしれない。

 HJ文庫大賞で銀賞を受賞した斜塔乖離(しゃとう・かいり)という名の作家の「ディアヴロの茶飯事」(ホビージャパン、638円)は、サイバーパンクが持っていた人類や社会の可能性を探って描く先進性と、中二病的な言葉の過剰さをあわせ持った作品だ。宵闇喫茶という場所から始まる物語の冒頭から、「人肉」に「アンヴロジア」とうルビが振られ、そこに客として来たンンアア・幻肢・ゲシュペンストという少年に、マスターから<戯竜族(ドラツヒヱン)>という、よく分からない存在の脚を仕入れてくれるよう依頼が入る。

 ここで気になるのが、ルビはともかく「人肉」という言葉。実はこの「ディアヴロの茶飯事」で舞台になっている世界は、恒星から降り注いだ悪性放射線の影響で人肉を食べる必要がある<摂取者(ゲギン)>という存在が増え、異能を持った者も現れて混乱の極みにあった。ンンアアは、そんな世界にある街<翼都(ドラギヲフ)>で、“死神”の異名をとる剣の達人・我聞を相棒にして、金をもらえば正義の味方にも暗殺者にもなる仕事をしていた。

 そして物語は、“ンンアアと我聞を共に排除しようと襲ってくる犯罪組織があり、公権力として犯罪組織を取り締まる<ゲシュタルト聖几熾軍(ハイクルセイダーズ)>もあってと、三つ巴のような関係の中で激しいバトルが繰り広げられていくる。そこでンンアアは、実は<摂取者>でありながらも表だって人肉を食らうことをせず、苦しみながらも背負った幾つもの剣を振るって敵を斬り伏せていく。

 どこか影を背負ったクールなヒーローといった印象が漂うンンアアだけれど、そう簡単にはいかないところが、この世界の独自性であり物語が持つ底知れ無さだろう。冒頭でマスターが注文した<戯竜族>がいったい何で、それを届けて得た多額の報酬でンンアアが何を手に入れているのか? それを知ると全身が怖気に震えて、他人が信じられなくなる、かもしれなる。

 派手すぎる活躍で、賊徒集団から狙われたンンアアたちは、未来を詠む力を持った我聞の妹・夢魅を人質にとられ、言うことを聞くよう要求される。怒った2人は、書物に封じられた知識や力を引き出し、振るうことができる<詩詠聖匠(ミンストレル)>の少女・ノヱエミアを仲間に引き入れ、夢魅を助けに向かう。そこに、<聖几熾軍>を総監として率いる美貌の少女・シャルダナクも関わって来る。

 目まぐるしい展開の果て。敵を前にしたンンアアが、複数の大剣を振るって、立ちふさがる相手を斬り伏せていくバトルシーンが圧巻だ。洗脳された我聞を相手にンンアアは、禁断の方法でリミッターを外して戦うが、そこで“幻肢”の名を持った者ならではの姿となり、洗脳でたがが外れた我聞すら凌ぐ速度と手数で圧倒する。

 「斬激/斬断\斬裂/斬墜\斬翔 斬檄/斬懐\斬衝/斬烈\斬破/」。視覚に働きかける文字列によって、ンンアアが繰り出す剣の凄まじさが表現される。ルビが独特の雰囲気を醸し出すサイバーパンクと中二病に加え、タイポグラフィによる視覚効果によって、苛烈な物語世界を感じさせようとしている。

 ンンアアの正体といい、シャルダナクの不思議な振る舞いといい未だ謎多き物語。ダークな世界観でくどさにあふれた文体を駆使して紡がれる、ソードパンクとも呼べそうな圧巻のバトルシーンと、本能にあらがえない人間の愚かさを描くドラマを味わおう。口中にひろがるのはもしかしたら、人間の血と肉の味かもしれないけれど。


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