悪魔の国からこっちに丁稚
THE FALLIBLE FIEND
 ヒューゴー・ガーンズバックは小学生の時に読んでいた。なんて言えば相当に利発な子供だったんですねえと褒められるか、そんな頃からSFマニアだったんだねえと呆れられるかのどちらかだろう。だが、ちょっと待って頂きたい。確かにガーンズバックは小学生の時に読んではいたが、それはあくまでも「27世紀の発明王」であって、決して「ラルフ124C41+」ではない。大人向けに書かれたSF小説を、子供でも分かるようにやさしく翻訳した岩崎書店のシリーズが、このガーンズバックの他にも何冊か教室の本棚に入っていて、童話や昔話に飽きた子供の読書欲を、楽しく満たしてくれた。

 大人になってSFへの道をまっしぐらに駆け上がった(転げ落ちた)のも、こうした子供の頃の「超訳SF」に依るところが大きい。そんな体験があるからこそ、大人向けの小説を子供向けに「超訳」する行為を、原著者への裏切り行為とか原点への冒涜とかいって非難する気持ちは全くない。むしろオーソン・スコット・カードやデヴィッド・ブリンやキム・スタンリー・ロビンスンとかいった現役バリバリのSF作家の作品を「超訳」して、子供向けに可愛いイラストなんぞを付けて売り出せば、10年後、20年後のコアなSF読者を育てることができるのではと思っているくらいだ。

 「大久保町」シリーズを電撃文庫から3冊出している田中哲弥が、スプレイグ・ディ・キャンプの「悪魔の国からこっちに丁稚」(電撃文庫、上下各550円)で初の翻訳に挑戦した。ディ・キャンプといえばアメリカでは大御所中の大御所と言われているファンタジー作家。日本にもファンは多いが、現在本屋で見かける邦訳といえば、1年前にハヤカワ文庫FTから刊行された「勇者にふられた姫君」(620円)など数えるほどで、電撃文庫というヤングアダルトのシリーズから刊行されようと、あるいはマドンナメイトのような真性アダルトのシリーズから刊行されようと、ファンタジーファンは何を置いても飛びつき、購入して、むさぼり読むことになるだろう。

 ただし、この「悪魔の国からこっちに丁稚」を、いわゆる大人向け文庫の翻訳といっしょに考えていると肩すかしを喰らう。いや足払いの方が言い得て妙か。なぜなら田中哲弥の翻訳は、本人が「わからないところはばんばんとばすか、あるいは適当に想像して書くという手法に徹した」(下、訳者あとがき)といっているだけあって、およそ原作とはかけはなれた作品に仕上がっている(と思う。英語が読めないので原文と比較できない)からだ。それはもはや「超訳」というレベルを超えて、まるでスプレイグ・ディ・キャンプという西洋人風ペンネームを持った田中哲弥が書いた、新しいファンタジー作品と言った方が正しいのかもしれない。

 悪魔の国で哲学を学んだ悪魔のズドムは、悪魔の国が人間の世界から鉄をもらうかわりに派遣していた丁稚に抽選で選ばれてしまった。家族といっしょに暮らしたいからと断るズドムを、悪魔の国のお役所は説得して地上へと送り出す。ズドムはそこで魔法使いマルヂビスの丁稚となって、掃除や料理や洗濯などをこなしていた。

 トカゲに似た凶悪そうな姿に似合わず、素直で勤勉で働き者のズドムは、マルヂヴィスの言いつけを守って部屋に侵入して来たマルヂヴィスの弟子を食べてしまい、その反動で本来だったら食べてしまわなくてはいけなかった泥棒を秘宝ともども取り逃がしてしまって、怒りにかられたマルヂヴィスによってサーカスに売られてしまった。相変わらずの朴訥ぶり、脳天気ぶりを発揮して、サーカスでもひと騒動を起こしてしまったズドムは、やがてイールの街に住むマダム・ロスカの代理人に買われていった。

 マダム・ロスカがズドムを買ったのは、マルヂヴィスが持っていた秘宝を使いこなせす呪文を知っているのが、今はズドムしかいなかったため。買われていったズドムはその期待に答えて、秘宝を使って未来を占った。だがそこに現れたのは、イールの街に迫り来る人喰い人種パールア人の大集団の姿だった。やがて街を包囲されたズドムたちイールの住人は、人喰いに脅えながらも近隣の諸国に施設を送って援軍を求める手段に出た。そして街を取り囲むパールア人の網をかいくぐって、援軍を頼みに行く使節には、身体能力の高いズドムが選ばれた。

 以下はズドムの大活躍が続く。援軍を引き連れてイールに戻り、パールア人をけちらして街を救って幕を閉じる。文章の調子は最初から終わりまでポップで軽く、仰々しい文章が並ぶのが翻訳小説だと信じている人に、翻訳小説だって訳し方によってはとても面白くなるんだということを教える、身近な教材となっている。とばしたり想像して書いたと言うくらいだから、文脈が繋がらなかったり鼻白む脱線があったりするのではと心配していたが、そういった箇所はほとんど見られず、すんなりと最後まで読み通すことができた。

 もとより英語の本など読めない身。田中哲弥の翻訳がどれだけディ・キャンプのニュアンスを再現していようと、あるいはディ・キャンプの世界を逸脱していようと解る由もない。それでも「悪魔の国からこっちに丁稚」には、ディ・キャンプとしては唯一の既読作品である「勇者にふられた姫君」とも共通する、朴念仁で甲斐性なしの主人公が何とは無しに大活躍してしまうストーリーがある。正当からちょっとズラしてそこはかとない面白さを醸し出す腕前は、やはりディ・キャンプならではもものだと思う。

 「悪魔の国からこっちに丁稚」は、岩崎書店の「27世紀の発明王」が子供のSFへの興味を喚起して、結果「ラルフ124C41+」のような大人向けのSFを読ませるに至ったような役割は、たぶん果たしそうもない。それでも1冊のヤングアダルト・ファンタジーとして読んだ若者層が、本格SFや大人向けファンタジーへと目を向けるきっかけになってくれればと、心底願って止まない。翻訳の出来不出来、原点の再現性はさておいて、「悪魔の国からこっちに丁稚」の成功が、海外の面白そうなファンタジーを適当に訳してマネーを稼ぐ、悪しき前例とならないとならないためにも、出版社は「超訳」をあくまでも正当への入り口と位置づけて、節度を持って取り組んでいって頂きたい。


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