大赤斑追撃

 刑務所からの脱走でも密室からの消失でも国営カジノの大金庫からのかっぱらいでも、世に不可能と思われている状況の打破がテーマになった話はおしなべて、打破は可能なのだという前提が存在する。

 というか、打破されているはずのラストに向かって、どうやって打破されたのだという部分を想像しながら、小説なら読み映画なら観賞していくのであって、もしも最後までいって「それは不可能でした」と言われ、アッカンベーなんかをされてしまった日には、その読者なり鑑賞者の怒髪でもって、天が穴だらけになることは間違いないだろう。

 極限状況からの生還をテーマにした物語もしかり。迫り来る死への恐怖。度重なる絶体絶命のピンチ。それをどうやって打破したのかといった、一種の”謎解き”を楽しみながら物語を読むなり観ていくことになる。不可能に何かを足すなり掛けるなりした答えは可能だっという、その何かに当たるものを求めるプロセスが、パズルを解くような快感を与えてくれる。結果的には人間の知恵と勇気で切り抜けられたのだという物語が、人を啓蒙し、啓発し、感動させる。

 悲劇をテーマにした物語も世にはあって、「全員死にました、助け合いのドラマがありました、無駄に終わりました、家族は哀しみました」といった類の感動に触れたい読者や鑑賞者がいることは否定しない。人が満ち足りている時や、または満ち足らな過ぎてよりいっそうの不満に優越感を抱きたい時などは、そうした傾向の物語が好まれる。

 けれどもやっぱり、大抵の人間は苦しいよりは楽しい方が好きなはず。悲劇に酔うのではなく、絶体絶命のピンチから鮮やかに脱出してみせる物語が醸し出す希望こそが、人に前を向かせてくれる。

 場所は木星の大赤斑。1644年にカッシーニによって発見されたそれは、年月を経て次第に縮小していく傾向にありながらも、2108年の現在、木星の表面に東西で未だ2400キロメートルの威容を誇って存在し、天文学者や惑星資源に興味を示す国家、資本家、非合法団体からの熱い注目を集めていた。

 民間の宇宙艇フェニックスが大赤斑への調査に向かったのも、「太田のおばちゃん」と艇長のマイケルが呼ぶ天文学者の依頼を受けたからで、予定では大赤斑へと降下して、渦の流れに乗ってぐるりと2周、2週間で大赤斑を回って状態を調べることになっていた。

 マイケルには美鈴という娘がいて、同じフェニックスで航法士の仕事に就いていた。天文学者の経歴があったらしい母親は事故で死亡し、今は父ひとり娘ひとりという家族構成。零細の調査艇を運航するには人出が足りず、反対したくても反対できないという事情もあってマイケルは美鈴を調査艇に乗せて、今回も木星の大赤斑調査というミッションに取り組んでいた。

 折も折。木星を周回する軌道上に一隻の巡航艦があった。宇宙軍に所属する最新艦艇のネルソンで、木星圏を根城に暗躍している非公認貿易船、俗な言葉で言うなら「海賊」の活動拠点を見つけるために、軌道上で待機していたところに入って来たのが所属不明の宇宙艇が木星を航行しているという情報。木星管区本部に提出された航行計画書には該当する宇宙艇の航行予定は入っておらず、ネルソンではもしかすると海賊の可能性もあると考え、宇宙艇を誰何する。

 が。その宇宙艇、つまりはマイケルと美鈴と「太田のおばちゃん」とその配下のモースを乗せた調査艇フェニックスは、モースの不可解なミスによって通信機が故障していて、ネルソンと交信できない状況にあった。いきおい相手の警告も無視してしまう形となり、名門の出身ということもあって功名心に駆られたネルソンの艦長によって、ミサイルによる攻撃と執拗な追跡を受ける羽目となる。

 推力を失って沈めば圧壊が待っている木星の大赤斑。片や武器など搭載せず、あるのは大赤斑に沈めて使うはずだった調査用のプローブと、操船にかけてはなかなかの腕前を持つネルソンに母親の聡明さを受け継いだ美鈴に、天文学者として一流らしい「太田のおばちゃん」の知恵と力と勇気くらいという調査艇フェニックス。こなた強力な武装を搭載した宇宙軍の最新鋭艦ネルソン。圧倒的な力の差と、過酷な環境の中で果たしてフェニックスは無事、大赤斑から帰還できるのか?

 といった具合に、林譲治の「大赤斑追撃」(徳間書店、476円)もまた、絶体絶命のピンチをどうやって打破するかが物語の骨格になっている。その結末は? と聞けば当然のカタルシスが待っているとだけは答えられるが、途中の”謎解き”のプロセスについてはこれもまた当然のように「読んでのお楽しみ」とだけ言っておこう。

 ただ、巨大な重力を持つ木星という、地球には存在しない環境下でこそ表現可能な”謎解き”のパズルがそこにあり、惑星に人が住むようになり宇宙軍が存在しさまざまな兵器が開発された未来社会だからこそ描ける”謎解き”の要素が成立することだけは確か。SFだけが醸し出せる、SFだからこそ味わえる、これが「極限からの生還」をテーマにした物語の醍醐味というものだろう。

 絶体絶命のピンチからどう脱出したのか? といったテーマでひとつには木星・大赤斑での調査艇と巡航艦とのチェイスが描かれる「大赤斑追撃」だが、これとは別にもうひとつ、ネルソンの内部で発生した問題によって絶体絶命のピンチに追い込まれた副官が、そこからどう脱出するのか? といった物語もあって楽しめる。繰り広げられている怪しげな人たちの不可思議な言動から展開は推測可能だが、それもやっぱり「読んでのお楽しみに」とだけ言って、後は読む人の希望を愛する気持ちに任せよう。


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