第六大陸 1
THE SIXTH CONTINENT

 500万円くらい、だったかな。フロリダ州はオーランドにある、「ディズニーワールド」の中でも人気の「マジックキングダム」を営業時間の後に借り切って、結婚式を挙げるカップルが日本からフロリダに渡るからって取材に誘われ、付いていったのが1998年3月のこと。肌寒さの残るなか、浦安にあるのとはケタ違いに豪華な「シンデレラ城」の下で、ミッキーマウスと身ニーマウスから祝福を受けるカップルを、午前零時頃まで取材した翌朝、挙式を終えて晴れ晴れとしたカップルに話を聞きに行って聞いた費用が、交通費や衣装代も含めてだいたい500万円くらい、だった。

 親戚も呼ばずたった2人だけで挙げた式だから、高いと言えば高い部類に入るけど、何十人とか何百人とか人を集める披露宴だって、開けば結構な金額がかかるもの。その分を”夢”に回したと考えれば、決して突出した額という気はしないし、やりたい事をやり切った値段として、むしろリーズナブルな値段だったとすら思えないこともない。”夢”はかなうことがなにより。適正価格なんてあってないようなものなのだから。

 とは言えそれが1兆5000億円にもなると、いくらかなうといってもさすがに腰がひけてしまう。10分の1の1500億円になったといっても、普通の人が”夢”をかなえる値段にしては大きすぎて手が出させない。ところが世にはお金に糸目をつけない人種というのがいるもので、小川一水の「第六大陸 1」(早川書房、680円)に出てくる巨大レジャー産業の会長さん、妙という孫娘の”夢”のために、それくらいのお金を出してしまうから剛毅と言うか奢侈と言うか。そこはそれ、娘の嫁入り道具に数千万をかける中部地方に生まれ育った人だから、あって不思議はない話なのかもしれないけれど。

 さて問題なのがその”夢”で、「第六大陸」の舞台となっている2025年の常識すらも逸した壮大にして壮絶なものだったから後鳥羽総合建設も驚いた。後鳥羽総合建設というのは後鳥羽択道という男が一代で築き上げた建設会社で、そのモットーはこの地球上に建築物を作れない場所は存在しない、といったもの。事実灼熱のサハラ砂漠に人工降雨施設を含む大規模緑化基地を建設し、氷点下40度の南極オングル島にウラニウム抽出施設を建設し、カラコルム山脈のゴッドウィンオースチン山9合目に宇宙線の通年観測基地を建設し、おまけにそこまで届く全長25キロのロープウェイまで建設してしまったというから凄まじい。とてつもない技術と、それを使いこなす人材を持った会社なんだと想像できる。

 そして今また、南沙諸島の水深2000メートル地点に直径30メートルの耐圧ドーム7つを組み合わせた深海都市「ドラゴンパレス」を建設するという、建設業界的にも偉業なら地球人類的にとっても偉業を成し遂げ、そのお披露目へと向かう遊覧潜水艇の中で起こった小さな事故と、大きな出会いが後鳥羽総合建設と社員で機動建設部に所属する青峰走也を”夢”としか思えないプロジェクトへと向かわせることになった。月に「基地」を作ること。国家プロジェクトですら十分にはなしえていない、月に拠点を作るという事業を、民間企業のお金と技術と人材だけでやって欲しいという、エデン・レジャー・エンターテインメント(ELE)からの依頼を後鳥羽択道は受け、その最前線に青峰走也が立たされることになった。

 冒頭でつづられる、「ドラゴンパレス」へと向かう遊覧潜水艇が起こした、深海ならではの蛇口破裂事故のエピソードひとつとっても、技術面から乗っている人たちの心理的な反応までを正しくシミュレートし、納得できるような形で状況を描く力を存分に見せてくれる小川一水だけあって、以後に繰り出される、そしてどんどんとスケールアップしていくエピソードのどれもが、突拍子もない”夢”を現実のものとしてくれる可能性を伺わせて、胸をわくわくとさせてくれる。

 潜水艇で走也が出会った、ELE会長の孫娘・妙を連れて月面にある中国の基地へと視察に出向いた際の描写は、宇宙線降り注ぎ穴がいとつ開いただけでも全滅する月という場所の過酷さを読む人に実感として教えてくれる。国から払い下げられたロケット打ち上げ事業を営む天竜GT社が、実績のなさを理由に打ち上げ依頼を敬遠され、事業運営に苦労する様は一筋縄ではいかない、宇宙を相手にした商売の難しさを感じさせてくれる。そしてけれどもいかな困難や苦労であっても、困難なことなら打開できる技術を見つけだしなければ作りだし、苦労は”職人魂”とでも例えられそうな前向きの精神でもって乗り越えていく展開に、知らず引き込まれ一緒になって感動を味わわされている。

 深海潜水艇での出会いから数年が過ぎ、依頼主と請負企業という関係をはみ出して、困難なことに手を取って挑むという、パートナー的な雰囲気を見せ始めていた走也と妙の間柄に、微妙な差異が生まれ始めているのが気にかかるところ。それは実はもともとあったものなのかもしれないけれど、同じ月に「基地」、というよりほとんどレジャーランドに近い施設を民間企業がぶっ建てるという人類的な”夢”と、個人の内奥に秘められ育まれた半ば叫びに近い”夢”との差異が、プロジェクトの行く末、そして走也と妙の将来に大きな影響をもたらさないかと懸念に悩む。そして宇宙開発にかけては”本家”とも言えるNASAの介入が、国家の威信という美名の下でかつてよく起こり、2025年になっても残っているだろう悲劇をもたらす可能性に不安がよぎる。

 もっともそこは小川一水。郵便配達員で、ヘリコプター乗りで、海底探査員で、地質調査員で描いてきた”働く人々”のプライドと熱意が、常に前向きの結果をもたらす話を描き続けてきた作家だけに、繰り出される困難も勃発する悲劇も乗り越えて、走也に、妙に、人類に、読者にとっての”夢”を見せてくれ、可能性をもった想像としてかなえてくれる物語を紡ぎあげてくれると期待したい。


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