チョコレートゴシップ

 猫耳だとかツインテールだとか眼鏡だとか、幼なじみの転校生だとか血のつながっていない妹だとか、お稲荷様だとか狼神だとか妖怪ぺとぺとさんだとか、居丈高な癖に陰に回ると惚れっぽいお嬢様だとか銀河帝国のお姫様だとか天国から来た撲殺天使だとかいった、いかにもなヒロインたちが登場する小説のジャンルがある。

 もっとも、そうしたあまりに非現実なヒロインを受け入れるには一般的な感覚の本読みの心に余裕はないらしい。メジャーな場所でそうしたジャンルが語られ讃えられ、賞の候補に挙げられるといった話はほとんど聞かない。その一方で、性的な嗜好や趣味においてマイノリティに属する人たちが出てくる物語は、一般的な小説の現場でことさらに関心を抱かれ、賞の候補にも頻繁に挙げられる。

 なるほど、こうした趣味嗜好性格的にマイノリティに属する人たちは世界中に現実に存在していて、日々を様々な軋轢や好奇心を浴びつつ暮らしている。吸血鬼だとか悪の組織の女幹部といった、非現実的で空想的な産物と並べて比べること自体、間違いだという意見もあって、それはあながち間違ってはいない。

 たとえすれ違う機会がなくても、現実的な存在が抱える悩みや葛藤ならば心を傾けられる。さらにはそうしたマイノリティに属するものには、直接的な感情移入も可能となる。猫耳も妖怪も読者とはなり得ないこの世界で、より広い範囲に受け入れられるのが性的な嗜好や趣味におけるマイノリティであるのも仕方がない。

 だから、という訳なのか、猫耳こそ出しはしないものの猫耳妖怪その他諸々の小説が並ぶジャンルから名を出して来た森橋ビンゴが、一般小説の分野で刊行した初めての小説「チョコレートゴシップ」(角川書店、1400円)が、趣味嗜好においてどちらかといえばマイノリティの部類に入る女の子や男の子を描いたものになるのも、当然の所作なのかもしれない。

 ケーキの作り方に関する蘊蓄めいた幕間的ショートショートを挟みながら、4編の短編が収録された単行本。まずひとつ目の「メンソール・ベイベ」では、一馬という名の“彼氏”と同棲しているトシさんというゲイの男性に起こった事件が描かれる。ゲイではあっても前にいちどだけ、一馬も含めて仲の良かった元村千早という女性にだけは欲情して、身体を重ねたことがトシさんにはあった。

 その時は、安全日だから大丈夫だと言う千早の言葉を信じて避妊はしなかったけれど、程なくして行方知れずになった千早が、しばらくぶりに現れたと思ったら子供が産まれたといい、そしそれはトシさんの子供だといいだしたから驚いた。

 決して責めめ立てて来る訳ではない。けれども拒絶しがたい重さを持って迫ってくる千早を一方に置きながら、同棲していた一馬への感情もあってどうすれば良いのか迷う。その挙げ句にトシさんは、一馬と共にひとつの答えを導き出す。あり得るか、といえば現実には悩ましいもののあって欲しいと思える結論に、心が温まる。

 ふたつ目の短編「夕焼けブランコ」は、芸大で自主制作の映画を撮った時に試した女装が病み付きになってしまったキクチユースケという青年が主人公。自分で身に着けるための下着をデパートに買いにいって、そこで12歳なのに下着を万引きしたサワコという女の子を見つけ、彼女を警備員に突き出したものの保護者代わりになって引き取り、一緒にデパートを出る。

 そのままユースケの部屋へとおしかけて来たサワコに女装癖がバレてしまい、目の前で女装してみせたところサワコは乱暴にもユースケを足蹴にする。それがユースケにとって妙に心地よく、以来部屋へと通って来るサワコに言葉で誹られ、身体でいたぶられることが日常になってしまった。けれどもそんな幸せな日々は続かず、サワコは来なくなりそしてひとつの事件が起こった。

 みっつ目の「アメ車とグルメと太陽と」。こちらも芸大に通う青年が主人公で、彼自身はノーマルながら同じ学校に通う女の子がちょっと不思議だった。ひとりは菅原潤という名で、アメ車みたいに馬力があってスレンダーではあるもののとてつもない大食漢。ラーメンを食べてから回転寿司へと行き、そこで青年の倍は食べてそれでも食べたりないといい出す。

 もう1人は長い黒髪を持った美少女の伊藤勇気で、やはり大食だけれど潤とは違って食べたら吐いてそれから食べる食いしん坊。理由を聞くと「だって、太るの嫌だもん。ししし」と笑う。その奇妙さ故に、一部には不思議ちゃんと慕われいい寄る男も後を絶たなかったが、勇気は一言「まじキモい」切り捨てる暴虐さを発揮。故に特定の彼氏はおらず主人公の青年とも友だち付き合いの域を出なかった。

 徹底して食べまくるアメ車女に吐いては食べるグルメが出会えば、主義の違いから諍いが起こるかもしれない。そんな青年の懸念は杞憂に終わり、2人はいつか知り合いになってお互いの特徴も認知していた。グルメ情報に詳しいからと2人に慕われた青年は、2人を引き連れ食堂廻りをしていた。

 そんな2人が、ともに学校でも1番の女たらしを好きになってしまったから大変だ。恋のかまけて青年とは疎遠になってしまっていた2人が、しばらくしてアルバイトから半分くらい仕事になりかけていた彫り師の仕事場に揃ってやって来て、青年にタトウーを入れて欲しいと頼んできた。

 いったい何があったのか。タトゥーを入れたら元気な2人に戻るのか。戻ったからといって前のような大食のトライアングルが再結成されるとは限らない。それでも良いから少しでも前に進みたいという気持ちが示されつつも、どうなったかという結論は出されないまま物語は終わる。

 帰る場所に戸惑いながらふたりで公園でブランコを漕いでいた「夕焼けブランコ」のユースケとサワコの描写と同様に、ハッピーにしてもアンハッピーにしても答えのが出されない寸止めのエンディングを、落ち着かないと感じる人も少なからずいそうだ。

 もっとも、さあてどうなりますことやら、といった状況から次に繰り広げられる展開を想像するのも物語を読む楽しさのひとつ。最後の話「スナヲナキミト」は、つきあっていた彼女を寝取ったレズビアンの少女が、何年か経って寄こした手紙に結婚すると書かれてあって、最後に会いたいという彼女に呼び出されて出向いた先でさらなる戸惑いに出会う売れない作家の物語。一応はまとまっていはいるけれども、その先に起こるかもしれない破局から再会といった展開を、想像するだけでもなかなかに面白い。

 最初の「メンソール・ベイベ」と同様に、真性のホモセクシャルが異性と関係を持てるのだろうかと考えたりもするけれど、人それぞれで考え方も感じ方も違うもの。そういった人もいるんだと受けとめつつ、紡がれた揺れる心の様をじっくり味わい噛みしめるのが良さそうだ。

 いくら人それぞれとはいっても、猫耳や撲殺天使を現実世界に代入して、自分との関わりを想像して情景を思い浮かべるのには長い訓練と高度なテクニックが必要。森橋ビンゴがライトノベル的な記号を封印しつつライトノベルの世界で培った、空想と妄想の世界に人を引っ張り込んで飽きさせないテクニックで描いた物語たちから、この現実に隣り合わせで暮らしている人たちへの関心を想起し、そうした世界が持つ悩みや哀しみや楽しさや素晴らしさを感じ取ってみては、いかが。


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