そよかぜキャットナップ

 大学に入った男子がひとりで「コアラのマーチ」を側に置きつつ読書していたら、同じ必修のクラスにいたらしい同郷の、といっても高校が同じとか幼なじみとかいった訳ではない、まるで見知らぬ割と可愛い女子が近寄ってきて話しかけ、男子が1日に2個3個しか食べない「コアラのマーチ」を、横からかっさらっては1箱まるごと食らう横暴を見せ、そのまま仲良くなってしまう。

 そして、夏に故郷に帰省した際には、こちらは男子とは小学校の頃からの知り合いで、やっぱり同じ大学に進んでいた男子も含めた3人で、故郷にある同じ自動車教習所へと通うにようなったり、いっしょにカブトムシを捕りにいったりする物語を、果たしてミステリと呼んで良いのかというと、多分違う。断じて違う。これはファンタジーだ。あるいは幻想小説だ。現実には起こり得ない出来事を描いた夢物語。絶対にそうに違いない。

 加えて、長谷川弘忠というその本好きの男子は、近所に住んでいる老女で、野菜やら果物やらを育て上げては、お裾分けだと言ってやって来て、そのまま5時間も6時間も喋り込んでいく高丸さんの中学3年生の孫娘に、家庭教師をして勉強を教えて少しばかり慕われるというポジションにも着く。これがミステリであるはずがない。そんなほのぼのとした日常が、殺伐としたミステリに描かれるはずがない。もはや空想科学小説だ。どこにも科学はないけれど。

 そう感じさせる所もある、靖子靖史の「そよかぜキャットナップ」(講談社ボックス、1400円)は、けれどもしっかりとミステリだ。起こる事件は行方不明になってしまった黒猫探し。ハードボイルドだったらそこから闇の組織を叩きつぶすようなアクション満載の展開に行ったり、サスペンスだったら町外れの古い館で遺産にまつわる猟奇殺人に巻きこまれたりする発端になりそうな事件を、そのままズバリの黒猫探しだけで使い切ってしまったその上に、田舎で過ごす夏休みの、どこまでも高い青空のようにカラリとした雰囲気を感じさせてくれる、潔くて爽快な青春ミステリだ。

 弘忠と同じように帰省していた、同じ大学に通う友人の小野啓太が実家で飼っていた黒猫のマコトがいなくなってしまった。田舎らしく家の中にずっと入れているということはなく、近所を自由にほっつきあるいては、夜とか食事の時には戻って寝たり食べたりするという飼い方。それでも、長い時間を一緒に過ごして、しっかり家の猫だと感じていただけに、いなくなってしまうとやはり心配。しばらく体調も良くなかったのか、あるいは余所でご飯をもらっていたのか、食事を残すこともあっただけに心配で、周囲を探し回っていた時に、例の高丸さんから、山間部の山をひとつ持っている山主の家に黒い猫がいたという情報がもたらされる。

 さすがは「舌耕調ばあさん」として近所でも評判の高丸さん。だてに家々を回ってはおらず様々な情報に通じている。都会だったら迷惑がられそうな人でも、嫌わず退けない出受け入れ相手をするという、田舎ならではの濃密なコミュニケーションのひとつの美点が、事件を描く上で大きな意味を持っている。「そよかぜキャットナップ」が、ただ単に仲良し大学生の日常を描くのではなく、帰省先での出来事にしたのには、そうした空気を伝えたかったことがあるのだろうか。

 そんな優しい人間関係に限らず、「そよかぜキャットナップ」の舞台設定は、自然でいっぱいの田舎の風景を、明るくて楽しげに描いている部分でも意味を見せる。「となりのトトロ」を見たばかりだからか、マコトがいるらしい家を訪ねていく時、弘忠に大学でいきなり話しかけ、今は同じ自動車教習所に通っている玉井香織が、いきなり歩いていこうと言い出して、何時間もかけてたどっていった道筋の風景は、夏の田舎道を歩いたことのある人に降り注ぐ日射しの暑さと、流れ落ちる汗のじとじと感と、それでも思い返せばとても得難い経験だったと思わせる、ふわふわとした感情を誘い出す。

 山主の家でいきなりその猫はマコトかとは聞けない一行のうち、弘忠が機転を利かせて自分たちは「里山田園愛好会そよかぜ」だと名乗って相手のふところに入り込み、山には社堂があるという話を聞き出したり、その山にカブトムシ捕りを口実に入り込んだりしながら、ひとつまたひとつと手がかりをつかんでいく展開は、オーソドックスなミステリ的謎解きとして楽しめる。と同時に、カブトムシを捕りに山へと入った経験を持つ人に、楽しかった記憶を思い出させる。小学生のような夏休み。楽しかったあの頃が甦ってくる。

 恋愛にもショッピングにもかまけない3人の姿が、大学生らしくないといえばいえるけれども、日本にはまだまだそんな田舎があって、そんな人たちがいるのかもしれない、たぶん。そう思わせてくれる物語。ひとまず片づいてはいるものの、せっかく結成された「里山田園愛好会そよかぜ」がこれで解散となるのはもったいないし、唯一のヒロインで、弘忠に感心はあっても恋情があるようには見えず、もちろん啓太とも恋愛関係にはないにも関わらず、2人といっしょに遊び回る玉井香織という人間にも謎がある。そんな香織の本当の気持ちも含めて描かれる続編があったら、今度はどんな感動を得られるのだろうか。今度こそスペクタクルか。サスペンスか。やっぱり田舎の日常の豊かさか。


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