カロライナの殺人者
CAROLINA SKELETONS


 あなたは父親を愛していますか。

 などと、のっけから道徳教育の先生か日曜学校の牧師みたいな説教めいた文章を書いてしまいましたが、デヴィッド・スタウトの「カロライナの殺人者」(堀内静子訳、ハヤカワ・ミステリアス文庫、820円)を読んでいると、めくるページの端々でそう問いかけられているような気がして、とても身の引き締まる思いがします。

 別に父と子の反目と和解を描いた人情ミステリーなどではありません。むしろアメリカ南部に今も根深く残る人種差別問題を強くえぐる社会派ミステリーといえますが、こうした人目につきやすい主題とは別に、主要な登場人物として描かれている2人の男性の、一方は今も暗然と自分の人生に影響力を及ぼす父親への愛憎いりまじった複雑な感情、もう一方はその存在すら否定したい父親によってもたらされた血への呪詛のようなものが描かれていて、ついついそちらに目がいってしまうのです。

 小説は大きく2つのパートに別れます。前半は1944年に実際にカロライナ州で起こったある殺人事件をモデルに、14才だった1人の黒人少年が電気椅子で死刑になる場面までが描かれます。ライナス・ブラッグというその少年は、ある天気の良い午後、牛を牽いて農場へと戻る途中で、自転車にのって花を摘みに行く少女とすれちがい、2言3言、言葉を交わして別れます。リンカーンの奴隷解放宣言から何10年も経っていましたが、根深い人種差別の意識はまだまだ人々の心に深く残っている時代でしょう。加えて南北戦争で破れた南部ですから、その意識たるや著しく強いものだったに違いありません。

 ですから逆に、差別される側の黒人たちにも自衛本能が働いて、たとえばライナスの母親は「白人の女の子を見るだけでもいけないんだよ」「白人の女の子が遊んでいたら、ずっと離れたところにお行き」とライナスに言い聞かせていたそうです。けれどもライナスは、突き上げる本能に従って少女を花畑へと追いかけて、そして2人の少女が惨たらしく殺害された事件の犯人として逮捕されてしまうのです。

 少年以外に犯人がいることは読者には明白です。けれども舞台となったカロライナの人々にとっては、そうであるらしいというだけで、黒人の少年は犯人とされてしまったのです。分の悪いことに少年は、自分が犯人であることを自白してしまいます。実は少年は「見るつもりはなかった」と言っただけでした。しかし誰もが少年のその言葉を殺人の自白ととらえ、少年は憎悪に満ちたカロライナ以外の地で裁判を受ける機会も与えられずに死刑の宣告をうけ、控訴する権利も与えられないまま電気椅子に消えました。

 後半は、1人の元新聞記者がカロライナを訪れる場面から始まります。ライナスの姉の息子として生まれ、早く死んでしまった母親から叔父のことを聞かされていたウィロップは、務めていた新聞社が潰れてしまったのを良い機会ととらえて、過去にいったいなにが行われたのか、叔父は本当に少女たちを殺したのかを知るために、当時の関係者を訪ね歩いて真実を探します。

 当時その街には、白人の住民たちによってリンチを受けるかもしれなかったライナスをガードして、公正な裁判を受けさせることに尽力した保安官、ハイラム・ストーカーの息子にあたる”ジュニア”ことビル・ストーカーが、州警察の警部として赴任していました。けれども過去のわだかまりからか、ウィロップはジュニアに会うことを避けながら、ストーカーの助手だったコディや、ライナスの弁護士だったブリックストーンらに会い、脅したり脅されたりしながら過去に少しづつ近づいていきます。

 そんな彼の登場が、44年の時を経て止まっていた時計を動かしたのでしょうか。彼が接触した人々が、次々と謎の死を遂げてしまうのです。当然疑いはウィロップにかかり、因縁浅からぬジュニアが彼を捜して南部の田舎町をかけまわることになりました。やがて出会った2人の間で交わされた言葉によって、お互いが父親に抱く感情の複雑さが明らかになり、そして冒頭の言葉へと読む人の心を近づけるのです。

 あなたは父親を憎んでいますか。

 ジュニアにとって父親のストーカー保安官は、偉大にして巨大な存在でした。たとえライナスを守ったのが頑な職業への義務感からであって、差別への反発からではなかったとしても、ストーカー保安官のとった行為は尊敬に値し、老いてもなお今も町中の人たちから尊敬されています。けれども現実には施設に入ったまま、口をきくことも満足に出来ない老人になってしまっていて、尊敬していた父親のそんな姿を見ながら、ジュニアは鬱屈した心を抱いて生きているのです。

 ウィロップは父親を知りません。ライナスの姉の息子であるからには、ウィロップには黒人の血が流れているはずですが、そんなウィロップを見て、人は彼が白人なのか黒人なのかを判断できずにいます。つまりは白人に見えるのです。第二部に移った冒頭から、このような事実が提示されていながら、彼の出生について最後まで考えが及ばなかったのは恥ずかしいことですが、それだけに最後で提示される秘密から受ける衝撃は強烈でした。

 その秘密からは、ウィロップが父親に対して、自らの血に対して抱いている複雑な感情がうかがわれ、ストーカーの今も存命の父親に対する愛憎入り交じった感情との対比の中で、偉大な父親を持つことと、父親の存在を認知せずに育つことの、どちらが幸せでとちらが不幸せなのか、それともどちらも幸せなのか、あるいはどちらも不幸せなのかを問いかけているような気がします。

 保安官ではありませんが、よく似た身分である警察官を父親に持つ身が抱く父親への感情は、世代世代によって激しく入れ替わって来ました。力強さを尊敬している時期もあれば、愚直さをバカにしている時期もあって、どれが本当の感情だったのか、今持ってはっきりと語ることはできません。現在はといえば、とりたてて抱く感情がないという時期にありますが、やがてストーカー保安官と似た道をたどった時に、果たしてジュニアのように憎みながらも愛することができるのか、ふつふつと悩みが沸き起こって来ています。

 あなたは父親を・・・・。


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