ボックス!

 スポーツは残酷だ。いくら努力したって天性の才能にはかなわない。陸上短距離の100メートル走で9秒台を叩き出すトップアスリートに、普通の人間が努力で追いつけるとは思えない。何かと話題の亀田興毅選手にだって、普通の人が戦って殴り勝つのは絶対に無理だ。

 ならば努力はムダなのか。違う。努力してはじめて分かる才能だってある。才能は見つからなくても、努力は必ず何かをもたらしてくれる。百田尚樹の「ボックス!」(太田出版、1780円)という小説が、そう教えてくれている。

 大阪にある恵比須高校に進学した木樽は、母ひとり子ひとりの貧しい家計を助けるため、特別進学クラスに入り、特待生として奨学金がもらえるよう常にトップ5以内の成績を保ち続けていた。一方の鏑矢は、中学時代からジムで始めたボクシングの能力を買われ、木樽と同じ恵比須高校の体育科に進んでボクシング部に入った。

 幼なじみながら、性格も資質もまるで違う木樽と鏑矢。それなのに不思議と仲が良く、その日も一緒に電車に乗っていた所で、不良の高校生に絡まれている女性を見つけ、鏑矢がボクシングの技術を使って不良を撃退する。木樽はと言えば、鏑矢が助けた女性が通っている高校の教師、耀子だったことを知り、憧れていた耀子の前で強いところを見せられなかった自分を密かに悔いる。

 さらに、中学時代にイジメを受けていた知り合いに再び絡まれ、何もできないまま殴られたこともあって木樽は、強くなりたい、強くなって自分に自信を持ちたいと、鏑矢がいるボクシング部に入部する。奨学金がもらえるように勉強の成績もしっかり維持しつつ、まるで素人の木樽に顧問が出した、ジャブをひたすらシャドーで繰り返す練習メニューを何ヶ月もこなし続ける。

 その間にも鏑矢は、天才ぶりを思う存分に発揮して部内でも最強の強さを見せる。どちらかといえば増長気味で、練習もマイペースで流していたけれど、それでも大阪府の代表になってしまう強さはあってますます増長。ところが、そんな鏑矢と木樽の前に、後に世界チャンピオンになる稲村という同階級で1つ年上の強豪が現れ、立ちふさがったことで鏑矢は天狗の鼻をへし折られ、初めての挫折を味わう。

 天才も、努力家も、努力する天才にはかなわない。そのことをまざまざと見せつけられながらも木樽は、ひたすらにストイックに努力を積み重ね、自分を突きつめ、顧問の指導を受けて身に潜んでいた才能を伸ばし、天賦の才能をもてあましていた鏑矢を倒すくらいの強豪に育っていく。

 努力肌と天才肌の2人の少年が、幼なじみの関係を超えてひとつの舞台で激突する。そんな展開だったら、ボクシングに限らず他のスポーツなり、文化なり政治なりといったテーマの物語に、何度も描かれている。しかし「ボックス!」は、別にもう1人、稲村というとてつもない強さをもったライバルを置き、木樽と鏑矢がそれぞれに目指し、ぶつかり挫折するような流れを組みあげることで、木樽と鏑矢の関係を険悪にさせず、それぞれが認め合い高め合おうとする姿を描いた、他に類を見ない爽やかなストーリーになった。

 ことボクシングの戦績だけで見るならば、努力によって才能を引き上げ、幾度かの栄冠に輝いた木樽は間違いなしに成功者で、才能をもてあました挙げ句に無冠に終わった鏑矢は、哀れな敗者に映るかもしれない。けれども鏑矢は哀れではない。命を削って親身になってくれたマネジャーへの想いから、錆びかけた才能を努力で磨き直して戦った鏑矢は、タイトルとは別の何かをつかんだ。稲村には勝てなかった木樽も、ボクシングを努力によって一生続く自信を得た。

 大事なのは、己を知って増長せず卑下もせず、可能なことを見極めそれを最大限に行えるように日々を生きていくこと。道半ばで挫折を味わった鏑矢は、けれども逃げ出さないで自分が出来る精一杯のことをして木樽を支えた。今もしっかりと自分の道を歩んでいる。木樽は己の限界を知った上で、その限界まで出来ることを積み重ね、後に至るまでの賞賛を得た。

 そんな2人の前に立ちふさがった稲村も、己の成せる限界を突きつめるチャンピオンに輝いた。いつもニコニコと笑っていたマネージャーの丸野も、鏑矢を導き木樽を支え、仲間たちを見守ってそして10年を経た今も、しっかりと守護天使として恵比須高校ボクシング部を変わらない笑顔で見つめている。

 突きつめるて生きる、その生き様の素晴らしさにあふれた、スポーツ小説の新たな傑作。近いところでも誉田哲也の「武士道セブンティーン」(文藝春秋、1476円)があり、「ラン」(森絵都、理論社、1700円)もある、スポーツをテーマに生き方を考えさせ、努力する素晴らしさを感じさせる小説群にあっても、負けず劣らない感動をもたらしてくれることは間違いない。

 ボクシングという、天才が左右し努力が物を言うストイックなスポーツが持つ奥深さについても学べる1冊。天才でもなく努力にも遠い身で読めば、明日にも腕をかまえてひたすらにジャブを打ちたくなるはずだ。


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