ボディ・レンタル
Body Rental

 人間が犬を咬んだところで、今どき社会面のベタ記事にもなりはしないが、最高学府の頂点を卒業した女性が、スキャンダラスな性描写のある小説を書けば、やはり相当の話題になるらしい。聞けば大江健三郎以来だという、東大仏文卒の佐藤亜有子が書いた「ボディ・レンタル」(河出書房新社、1200円)は、雑誌「文藝」が主催している新人賞「文藝賞」で、正賞ではなく優秀作に留まった作品であるにも関わらず、「AERA」に「FOCUS」に「週刊読売」といった雑誌に、発売前から取り上げられて話題になった。

 図書館勤務という男性の大鋸一正が書いた「フレア」も、やはりスキャンダラスな内容を持ち、「ボディ・レンタル」と同じ「第33回文藝賞」の優秀賞を受賞した作品である。にも関わらず、佐藤ほど多くの媒体で取り上げられたという記憶がない。何かを評価する時に、本来の対象とは別の部分、例えば経歴とか学歴、職業、性別、年齢といった部分に着目して、評価を上乗せすることはよくあるし、マスコミの端に籍を置く者として、女性経営者をことさらにクローズアップする記事を書くといった具合に、自ら経験もしている。

 そういった情報をインプットした後で、それらをまったく排除して、まっさらな状態で対象に接することが出来るほどには達観はしていない。むしろそういった情報を大げさに捉え過ぎ、ゆえに排除し過ぎて、必要以上に評価を下げてしまう恐れすらある。けれども仮にプラスアルファの情報を排除し過ぎていたとしても、「ボディ・レンタル」はなかなかに楽しめる小説だった。

 私を滅して体をレンタルする女性という設定自体に、最初はとりたてて魅力を感じなかった。援助交際を求める女子高生とも、職業的な売春婦とも違った、けれども結果的には同じ「体を売る女性」という存在のリアリティーを、今ひとつ実感できなかったことがその理由だろう。あるいは、生きているという熱に乏しい、怠惰で虚無な暮らしをしている自分と同じフェーズにある存在のように思えて、近親憎悪を抱いてしまったのかもしれない。作者と同じように、本郷にある最高学府の頂点に通う主人公のマヤを、自分と同じなどと言うのは烏滸がましいこと甚だしいが。

 それでも読み進むうちに、マヤという女性が、打算的な部分を殺ぎ落として、自分を突き詰めていこうとしている純粋な存在に見えてきて、マヤの思考や行動に、だんだんと興味が湧いてきた。友人たちとして登場するのは、良家の子女で美人で頭も性格も最高に良い医学部生の桐子、同級生で情熱家で恋人に一途な高倉雅、雅の恋人の友人でインド哲学を専攻している「野獣くん」こと内田氏といった、個性豊かなキャラクターの持ち主ばかり。しかしその中で、ボディ・レンタルという突飛な行動をしているマヤが、発している熱の低さ故に、逆に目立っているのが面白い。

 クライマックスシーン。老人の愛撫を受ける時も、ダンディーな外国人の誘いに乗る時も、同じように私を滅することに徹していたマヤが、内田氏と篭った山のなかで、ほんの一瞬だけ炎を燃やそうとする。けれども不器用な炎は相手を傷つけ、自分を傷つけ、悲劇の結末を呼んでしまう。再び私を滅して「ボディ・レンタル」の仕事に戻ったマヤは、醒めていながらも柔らかさを持った生身の人間であった以前とは違って、熱いとか冷たいとかいった観念とは無縁の世界へと行ってしまう。

 その部分だけが、傷つけ傷つけられる人々の発散する熱気を書き留めた、世間一般的な恋愛小説になってしまうのだが、そこに至る過程が、スキャンダラスな性描写を含みながらも、極めて淡々として冷静に語られていただけに、かえってクローズ・アップされて迫って来る。タイトルにもなった「ボディ・レンタル」という主題を貫くことによって、冷めた主人公の心の奥底に秘められていた、熱くたぎるような思いが伝わって来ることに、読み終えた後で気が付いた。

 プロフィルのようなプラスアルファの要素によって、最初に一定以上の評価を受けても、後が続かなければ生き残っていけないのは、どの業界も同じこと。そして小説の場合は、学歴、職業、性別、年齢云々といった条件だけで生き残っていくことが、なかなかに難しい世界と言えるだろう。それでも「ボディ・レンタル」の佐藤亜有子の場合は、キャラクター設定の妙や、ストーリーテリングの腕前といった基本線に加えて、新しい主題を見つけ、それを旨く料理して見せる術を心得ている所がある。プロフィルのプラスアルファを本当にプラスアルファすれば、それこそ鬼に金棒だ。

 とりあえず、次作にも期待を持ちたい。


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