べっぴんぢごく

 世に「美人薄命」と言われるが、その根拠に確たるものはない。嫉妬にもまれて身を削られる。歓心に浮かれて身を滅ぼす。他律自律を問わず美人を平穏から遠ざける要素があると言えば言える。だがすべての美人がそうなるとは限らないし、なったところでそれが薄命薄幸へと至るとも限らない。

 むしろ美人であったからこそ、長命をまっとうしてはその生と性を心ゆくまで、体はちきれるまで味わい尽くす女も世にはいる。例えば岩井志麻子の「べっぴんぢごく」(新潮社、1500円)に登場する、シヲという名のひとりの別嬪のように。

 物乞いの母親から生まれ、母親といっしょに物乞いに歩いていたシヲが、故あって分限者、つまりは先祖代々からの由緒正しい金持ちの家に養女に入る。そして始まる数奇なシヲの一生と、そして彼女から始まる一族の女たちの生涯を描いた物語。

 女たちには天下に鳴り渡る美人もいれば人ならずとも顔を背ける醜女もいる。なおかつ愚直さとは対極の異端者ばかり。にも関わらず、いずれの女たちも悲惨さからはかけ離れ、陰惨さからも外れて、ともすれば世の女たちから羨望すら浴びそうな生涯を送り、そして死んでいく。

 筆頭が物語の主軸となるシヲ。物乞いをして歩いていた時は、薄汚れたなりをしていたが、養女となることが決まり洗うと実はとてつもない美少女だったと判明。以後は村でも評判の美女として讃えられ、縁談も様々に寄せられる。けれども浮かれることはなく、むしろ浮かれるような俗な心など超越していたかのように、シヲは適当極まりない男を選び結婚する。

 相手は性格こそ温厚で生真面目ながらも、顔はまるで馬面という不細工な男。産まれた娘のふみ枝は、そんな父親の血を引き母親にまるで似ていない醜女だったが、シヲはふみ枝を気遣いもせず、むしろ娘であっても別個の人間と冷たくあしらっては、己が生涯を淡々と生き続ける。

 対してふみ枝も冷淡な母親から早くに自立しては、美少女の誉れ高かった友人を罠にはめる狡猾さを見せつつ、自らも物乞いと交わり妊娠したと分かると、母親の計らいをこの時ばかりは受け入れて、寄せられていた縁談にすぐさまのって結婚しては、シヲにとっては孫となる娘を出産する。。

 不義の子としてこうして生まれた小夜子が、また祖母に似て美少女で、世間の好奇を集めるが、これもやっぱり祖母に似て世の常識からは自由の身で、初潮を迎えたばかりで音楽教師の子をはらみ、出産してはそれをふみ枝の子として押しつける。自身は東京へと出て女優をやり歌手をやり、芽が出ず帰郷してもやっぱり衰えない容色を誇りながら、祖母と同じように淡々と生き続けてそして死ぬ。

 まだ幼かった小夜子から生まれ、不細工な母の娘として育てられることになった冬子と名付けられた子供は、性別的には女の子ながらも果たして人なのかと問うと、誰もが答えに窮する存在。良縁などあり得ずこれで絶えるかと思われた家系だったが、事件が起こり舞い込んできた男が、何故かその人ならぬ存在に心を奪われ体を重ね、そしてその人ならぬ存在から、シヲや小夜子に似た絶世の美少女が生まれて来る。

 そこからさらに続く淫乱と放蕩の系譜。すべてはシヲより先の代に起こった禁断の情愛から続く因業の結果と言えるだろう。だからといってシヲも娘や孫や曾孫や子々孫々に、そうした出自を悔い病む者はない。分限者という財力もひとつにはあったが、それよりも己の心に一切の枷をかけずに生きる心根が、誰にも座り育まれていたようで、美少女は美貌を誇って我が意に従い奔放に生き、醜女もそれで自分の性を満足させては生を送る。

 幼くして孕み、母に似ない醜女に産まれ、人ならぬ子を産み、禁断の恋をする女性たちの日々は傍目には地獄に見える。けれどもそれを気にしない当人たちにとって、日々は果たして地獄だったのか。分限者で生活に不自由なく思いにも自在だった女性たちの姿は、むしろ極楽のそれに近かったのではないか。

 そうした己の思いをせき止められない女の有様そのものが、地獄に例えられる女ならではの懊悩の現れなのかもしれない。だがそれでも、日々の糧に困らずに一生をまっとうしていく女たちの有様を、地獄と呼ぶのにはためらいがある。

 最後のエピソードで見せられた、絶える間際まで行った家系が再び繋がっていく展開に、願っても断てない家系の因業を、まさしく地獄であると捉えることも可能だろう。けれども当人たちにはいささかの悔いもなく、むしろ覚えたのは心よりの歓喜であって、やはり地獄と断じるに憚られる。

 「べっぴんぢごく」のタイトルに込めた作者の意図は何なのか。それは真の意味での「地獄」なのか。別嬪かはともかく様々な栄光とそして修羅をくぐり抜けて今に至る作者ならではの感性が吐き出した女たちの数奇にして崇高な生き様に、触れて感じることで何らかの答えが見つかるかもしれない。

 作者とともに女の地獄を味わってみればなお分かるかもしれないが、それには見初められる資格も必要だ。読者はただ紡がれる物語から別嬪たちの感じ味わった、地獄と極楽の日々を垣間見よう。


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