バギー・イン・ザ・ドールハウス さかしまの世界

 存在せよ。偏在して。永遠に。

 それは不可能。形があればいつかは崩れる。どこかできっと行き詰まる。だったら。形なんてなくしてまえばいい。つながってしまえばいい。

 デジタルネットワーク。20世紀末に萌芽し、21世紀になって花開いた広大無辺なデジタルの海。その中に身を移すことによって少女たちは、永遠に存在し、そしてどこにでも偏在していられるようになる。

 可愛らしくて残酷なアニメーション「TAMALA2010」を監督した齊藤慶による書き下ろし小説「バギー・イン・ザ・ドールハウス さかしまの世界 上下」(講談社、上下各1400円)には、少女たちの偏在を、永遠にする可能性が示される。

 ワームと呼ばれる、わずか2ミリという極小のカメラが数十兆個もばらまかれては、あらゆる人々の動静をとらえ、把握し、記録できるようになっている日本。「こどもだけは守られねばならない」というキャッチフレーズの前に、のぞき見られるプライバシーへの懸念は退けられ、ほとんどの場所に死角なんて存在しなくなっていた。

 ところが。そんな世界で、駆け出しのアイドルだった13歳の美少女ミサが、全身の661か所を刃物でメッタ刺しにされ、「ブルームズベリ」と掘られた小さなプレートが根本に張り付けられた1本だけ残して、歯を抜かれ死んでいる姿が発見された。

 犯人をワームはとらえていなかった。刺された場面も残っていなかった。突然に現れた死体。空間からわき出た訳ではないその死体を作ったのは誰なのか? ワームにどうしてとらえられなかったのか? 調べてもなにも見えてこない。

 ワームがあればこどもは安全だと喧伝し、導入を推進した警察庁は沽券に関わると、特殊分署内に零局を作って、アイドル殺害の捜査に専任させることになった。しかし局長の女性、久慈絢子は顔のストレスによって半分が黒く爛れる疾患を理由に入院。警察にいた父の縁故で採用されてから、まだ2年しか経っておらず、またキャリアでもないにも関わらず、警視に引き上げられた青年、夏目銀之介が捜査をするよう署長から申し渡される。

 銀之介は、特殊分署の麻野署長の娘で、モデルのような体型をし、天才的な記憶力を持ち、ケンブリッジ大学に通い、たいていの言葉を話せる麻野玲子をパートナーにして、ミサ殺害事件の調査に乗り出す。その先に浮かび上がったのが、残された歯に刻まれた「ブルームズベリ」という謎めいた言葉が指すものであり、そして1901年にロンドンで起こり、12人の少女が刃物によって惨殺された「切り裂きジャック」の事件だった。

 ジャックによって全身をメッタ刺しにされながらも生き残り、今なお命を保っているといわれているバギー・タデマという名の金髪の少女が、あるときは包帯姿で全身からチューブを垂らしてベッドに横たわり、またあるときはドールハウスに生きる人形として現れては、現実と非現実との狭間へと銀之介を導き、迷わせながら真相へと誘っていく。

 2009年の段階で見える行き詰まりの空気は、物語の舞台となっている2013年にははあるいはとてつもなく逼迫したものとなって、世界を満たしている可能性は低くない。そんな行き詰まりしか見えない現実にあって、可能性をどこかに求めようとする少女たちの心を引き寄せ、有限の存在を永遠に偏在するものへと変えようとする動きが始まり、日本の将来を激変させようとする。

 ワームが作られた意味。死なないままいずこかへと移送された切り裂きジャックの行方。それらが重なり合っては、1901年のロンドンにあって、少女たちをナイフによって“解放”した切り裂きジャックを100余年が経った未来へとよみがえらせ、重たい空気から逃げ出したいと願う少女たちに、ナイフと魔術をふるわせる。挑む銀之介。そして玲子。2人は少女たちを救えるのか、それとも……。

 歴史小説にミステリーと、過去に多くの物語が題材に選んだ切り裂きジャック。そして魔術。ともすれば衒学的になりがちなガジェットの詰まった物語を、魔術師の血を持つ銀之介に、イカフライ好きで喋ればぞんざいすぎる口調を持ち年齢を聞けば驚くばかりの玲子、警察庁の職を辞しメディアを利用しながら真相に迫ろうとする久慈絢子といった特徴のあるキャラクターたちによって引っ張らせ、導かせることで読んでいて筋を追いやすく仕上げている。

 現実が虚構に融け出す場面も、書く人によっては小難しくしがちで、どちらがどちらか分からなくなってしまいがちな所を、映像作家ゆえの描写力なのか、目で見ているような感じに状況を追っていけるから、安心して現世へと戻ってこれる。

 途中、玲子と田舎で質素に暮らす場面もあって、そのささやかだけれど温かそうな幸福さに、ずっと留まっていたいと思わせる。残念にも夢は終わり、2人は最後の決戦へと挑んでいくことになるけれど、そうして訪れたクライマックスの先に訪れる世界の姿に人は、解放の喜びを感じるのだろうか。それとも、混沌の再来に身をさらに縮ませるのだろうか。

 21世紀の切り裂きジャック物としても読め、アイドルが巻き込まれる苛烈な運命を描いた物語とそても読め、ネットワークによる監視社会がもたらす便利さと薄気味悪さを描いた啓発の書としても読めて楽しめる、幻惑のエンターテインメントが誕生した。異色作にして傑作というより他にない。

 圧巻のクライマックスを経て事件は終わりを告げて、物語も幕を閉じ、キャラクターたちともお別れしなくてはいけなさそうだけれど、少女たちが存在し、その偏在する永遠を求める思いが失われない以上、きっとジャックは再び現れ、銀之介を呼び戻し、玲子を招いて2人の活躍に再び見えさせてくれるだろう。期待し、待とう。


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