バベル九朔

 成功したからといっても作家は、いつまでも成功し続けられるとは限らない。

 最初に書いた本が人気となって映画化もされ、次に書いた本がドラマ化されて文学賞にもノミネートされ、そして出す本が立て続けに文学賞にノミネートされ、映画化もされて人気作家としての地位を固めたと思ったら、続く作品が今ひとつ評判にならず文学賞からも外れ、やがて後から出てきた若い作家に立ち位置をとって代わられ、だんだんと忘れ去られていく。

 そうはなるまいと誰もが一生懸命に作品を書き、世に問いつつエッセイも書き、講演も行いサイン会も開いて存在感を保とうとする。苦しいだろう。悔しさもあるだろう。けれどもいったん認められた存在を回復しようとあがくことは、まるで知られていなかったデビュー前に味わった苦しみや痛みに比べれば、どうということはないのかもしれない。

 原稿を書き上げ新人賞に投稿しては落ちる繰り返し。そんな明日をも知れない状況の中で、このままで良いのだろうかと焦り迷いながら、それでも原稿用紙に1字1字刻んでいくことでしか前に進めないでいたあの時代。振り返って噛みしめることで、今のちょっと売れていないような気がするもやもやなど、きれいさっぱり吹き飛ばされるものなのかもしれない。そうでないのかもしれないけれど。

 万城目学はどうなのだろう。いわずとしれた人気作家で、デビュー作の「鴨川ホルモー」は映画になり、2作目の「鹿男あをによし」は直木賞候補になってテレビドラマ化もされた。「プリンセス・トヨトミ」も直木賞候補となって映画化されて以後、「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」も「とっぴんぱらりの風太カ」も「悟浄出立」も直木賞の候補に挙がり、「偉大なる、しゅららぼん」は映画になった。

 押しも押されぬ人気作家であり順風満帆に見え前途洋々にも見えるその作家人生に、迷いなんてあるはずがないと誰もが思うだろう。けれども、やはり向かう先に闇のようなものは感じているのかもしれない。いつか落ちるかもしれない人気か、出版そのものが向かっている衰退かは分からないけれど、そうした逆風に向かって突き進んでいく気持ちを、もしかしたら「バベル九朔」(KADOKAWA、1600円)を書くことで、万城目学は奮い立たせようとしたのかもしれない。

 舞台となっているのはバベル九朔という雑居ビル。建てられた当時は周囲を睥睨する高さだったものの、時が流れて本当の意味での高層ビルが建ち並ぶようになると、その狭間に埋もれながら、幾つものテナントを入れつつ出して時代を経てきた。今は地下にスナックがあり1階に中古レコード屋が入り2階に飲食店が入って3階に画廊が入り、4階には探偵事務所が入ったビルの最上階で、九朔という名字を持つ主人公は管理人の仕事をしながら、小説を書いては投稿する日々を送っている。

 大学を出て企業に勤めながらも2年ほどで辞て、作家になろうとした主人公。学生時代から作家をめざして活動していた訳ではなく、仕事を始めたもののその日々になじめないでいる中で、文章を書く面白さを感じるようになり小説を書き始めたらこれが面白く、だったらと仕事を辞めて小説家をめざすことにした。祖父が建てたという雑居ビルの管理人の仕事がありそうだからと相続した叔母に頼み込んで入ったそのビルで、カラスを追い払い水道メーターの検針を行い貯水タンクの点検を行いながら日々、小説を書いていた。

 けれどもなかなか小説家にはなれなかった。投稿しても1次にすら残らない。最初のうちはそれでも気持ちが続いたけれど、最近はいよいよこれが最後かという思いが浮かび、就職できるだろうかという迷いも抱きながら大長編を書き上げ、あとは扉に題字を書いて添えて送るだけになっていた時。しばらく前からビルに出没しては空き巣をしていたらしい女が屋上に現れ、主人公に迫って来た。扉はどこにあるのかと言って。

 水道メーターを検針していた時に1度、見かけたことがあったその女は、てらてらとした光沢を持った黒いワンピースを着て黒いタイツをはき、大きなサングラスをかけていた。胸元が大きく開いていてのぞく谷間の深さと肌の白さに目も引き付けられたその女が、屋上に立って扉はどこにあるのかと訪ね、そしてサングラスを外して見せた目に主人公は驚き怯え、部屋に引きこもって書き上げた小説を郵便局に持って行けなかった。

 最後かもしれない小説を投稿するタイミングを逸した主人公は、ふたたび現れたカラスのように黒い女に怒りをぶつけるものの、追い立てられて逃げ出し、やがて知らない場所へと迷い込む。そこには巨大な湖が広がり、高いビルがそびえていた。円環の世界。あるいは妄想の世界。過去が積み重なった中を辿り迷いながら主人公は逃げだそうとあがき、過去と向き合い未来すらのぞいた果てに、ひとつの決断をする。

 それは、しがみついてでも踏みとどまり、決して逃げないで前を向き、言葉を生み出し続けること。たとえなかなか思っていた通りにはいかなくても、それでも主人公は決断する。「俺は、ここにいる」ということを。迷っていた心を振り払い、ここにしかいられない俺だと悟って再び歩みを続ける。そんな決意を改めて、主人公にさせつつ作者もしてのけた物語。それがこの「バベル九朔」という作品なのかもしれない。

 繰り出されるビジョンの不思議さが良い。不条理でシュールな情景に引っ張られ惑わされ、どこへと連れて行かれるかもしれない不安という快楽にもみくちゃにされる。今までの、日常に混ざった異界を描いてその上で人々が飄々と、あるいは滑稽に動き慌てる話を描いてきた万城目学とはまるで違って、シリアスで切実で緊張感があって不気味でもある。

 そして自伝的で自省的な物語。それというのも万城目学はデビュー前、小説家になろうと思い立ち、会社を辞めて雑居ビルの空いた部屋に籠もって執筆を続けていたことがあるからだ。いろいろ書いて送って通らずもやもやとしていた日々。これが最後と書き上げ送ったボイルドエッグズ新人賞を「鴨川ホルモー」で受賞して万城目学はデビューし、後は誰もが知っての通り、人気作家の階段を駆け上がった。

 その現実を得てもな浮かぶ未来への不安。過去の苦闘。だからといって逃げないで、そこに居続ける決意を改めて、この「バベル九朔」という物語で満天下に示したのかもしれない。

 万城目学は、ここにいる。そしでどこに行く? 見守るしかない、その歩みを。


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