アジュアの死神

 空を飛ぶ者たちの孤高と、戦場に集う者たちの虚無。それらが重なり合ったところに生まれる凄絶な空気感に触れ、読み終えて蕭然とした思いを抱かされたササクラの「緋色のスプーク」(講談社BOX、1000円)。これに続くストーリーが、「アジュアの死神」(講談社BOX、1000円)に綴られる。

 ヒメノという小国で、出撃すれば誰彼となく撃墜死、たったひとりだけ戻ってくることから、“緋の死神”の異名を取っている女のパイロット、ニケを専属で見ていた整備工のアガヅマは、幼なじみの女性も関わった謀略に巻きこまれ、自らも荷担した果てに敵国ともいえるヘルティアへと亡命する。

 そこでアガヅマは、似たような境遇だったり、占領下の生まれだったりする人間たちが集められた部隊で、黙々と任務に就きつつ、部隊を仕切る女性中尉ともいい仲になって、怠惰な日常を貪っていた、そんな日常に終わりが訪れ、ヘルティアとヒメノとの関係に動きが生まれる。

 基地で働く女性整備工の姉が、歌手として慰問に来たステージに立ち、歌い始めたその時、ヒメノからの空襲があって歌手は爆死し、ずっと停戦状態にあったヒメノとヘルティアの関係が熱を帯び始める。さらに、続く戦闘の最中に“緋い悪魔”ことニケまでもが、ヒメノを裏切りヘルティアのスパイとして合流してくる。

 そしてヒメノが、タルヴィングという大国をバックに兵器を揃え、復興に向かおうとしているのを今のうちに叩いておこうと、ヘルティアは海上からの侵攻を画策し、艦船を仕立てて進み始めた洋上で更なる裏切りや寝返りが起こる。

 誰が味方で誰が敵なのかすら分からない状況で戦闘が繰り広げられ、アガヅマもニケも、そんな左右に揺れる立場に置かれることになるけれど、ふたりの間に通う信念なり、心情といったものだけは動かない。

 寝返ったからといって、味方になったとは限らない立場。寝たからといって、信頼を預けたとはいかない関係。だから誰も信じることができない戦場にあって、ただ空を飛び敵も味方も落として平然としているニケと、彼女に熱を上げる訳ではなく、ただクールに守り機体を整備するアガヅマの関係だけが、ひたすらに貫かれ続ける。

 「緋色のスプーク」にも増して空戦と謀略、恋情と憎悪が入り混じる異色のラブストーリー。やがて迎える最期のシーンで、アガヅマとニケの関係は美しくも儚いクライマックスを迎え、不死身にすら見えた“緋い悪魔”の軌跡に、ひとつの幕が下ろされる。

 淡々とした中に、パイロットの孤独と空戦のスリリングさが描かれるという点では、「緋色のスプーク」の時にも浮かんだように、森博嗣の「スカイ・クロラ」シリーズに似たところがある。もっとも、どこか希薄さを漂わせる「スカイ・クロラ」のキャラクターたちとは違い、くっきりと際だつニケやアガヅマ、整備工のカーヤ、上官のエルケ中尉ら登場人物たちの存在感は、ライトノベル的であり人間的であるともいえる。

 それ以上に、戦争が一種の娯楽となった世界が舞台となった「スカイ・クロラ」では、どこか遠い場所で巡らされていただろう謀略と諜報が、この「アジュアの死神」では身に迫るどころか、当事者どうしの戦いとして陰に日向に繰り広げられる。

 同じ国に所属するはずなのに、系列が違うといって裏を明かさないその関係。なおかつ本当に同じ国に忠誠を誓っているのか分からない状況が、一筋縄では読みとれないストーリーとなって読む者たちにスリリングでサスペンスフルな読後感を味わわせる。あるいは文学に近い肌触りを感じさせる。

 ライトノベルで空戦では、アニメーション化された犬村小六の「ある飛空士」シリーズがあって、大国の狭間で揺れる人々にスポットを当ててドラマチックに描き出す。シリーズによっては激しい空戦の描写もある。「緋色のスプーク」なり「アジュアの死神」はそれらともまた違った、熱情よりも冷淡さを基調にした空と戦いの物語をつむぎ出す。

 読めば静かに迫ってくる戦場の乾きと戦争の嘆き。その狭間にあって、自分自身を貫こうとする女と男の生き様に、触れて自分もいつか戦場に立った時、どんな生き様を見せることになるのかを自問しよう。

 遠藤浅蜊の「魔法少女育成計画」でもイラストを手がけるマルイノの耽美で冷熱さを含んだ表紙絵や扉絵も、前作と同様に静謐な世界観と人間関係を描き表している。この絵によって動くアニメーションをいつか見てみたいものだが、可能性はあるのだろうか?


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