彩乃ちゃんのお告げ

 幸せになることと、不幸せになることの境目があるとしたら、それはほんのちょっとした差でしかない。

 たとえばある朝、寝坊していつもより10分だけ遅い電車に乗ったら、ふだん乗ってた電車が事故を起こしていたこととか。毎日のように学校に持って来ていたゲーム機が故障して、家に置いて来たら抜き打ちの持ち物検査があって没収を免れたこととか。

 逆もあって、いつもと違う時間の電車に乗って事故にあってしまう不幸に見舞われたり、その日のラストと決めた練習中のプレーで脚を故障して、サッカー選手としての成功をダメにして、あの時ああしておけば良かったと悔やみ続ける。

 橋本紡の「彩乃ちゃんのお告げ」(講談社、1400円)は、そんな人生における幸せと不幸せのちょっとした差が持っている意味を考えさせてくれる物語だ。3つの話があって、最初の「夜散歩」という話は、智佳子という女性が、とある宗教団体の信者になっていた高校時代の遊び仲間に頼まれて、教祖の孫という彩乃ちゃんを預かる場面から始まる。

 小学5年生の彩乃ちゃは、病気の教祖さまの後を継ぐ最有力の候補者だったけど、それを良く思わない勢力から狙われていて、身を隠す必要があって智佳子の家に連れて来られた。智佳子にはつきあっている英輔という男性がいて、忙しい彼から深夜のファミレスに呼び出された時、いつもは早く寝ていた彩乃ちゃんが着いて来た。

 2人きりで会えると思っていたのに、彩乃ちゃんを連れて来た智佳子に英輔は不機嫌そうな顔をする。智佳子もすっぴんで来てしまった自分がいたたまれなくなってトイレに立って、せめて薬用リップでもとカバンを探ると、そこに入れた覚えのない化粧品や英輔がくれた髪留めが入っていた。化粧して髪留めをつけた智佳子に別れ際、英輔はありがとうと言ってキスをする。思いもよらなかった幸せを奇跡と喜んだ智佳子は、後になって彩乃ちゃんが、ドレッサーで化粧品を触っていたことを思い出す。

 第2話の「石階段」では、彩乃ちゃんは三重県の伊勢市で里山再生に取り組んでいるボランティアの代表に預けられている。辻村という少年は、高校3年生で受験を間近に控えた夏休みになって、進学して就職して働いて生きていく意味について思い悩んだ末に、逃げるようにボランティアに参加して、埋もれてしまった里山の石階段を掘り返す作業をしている途中で彩乃ちゃんと仲良くなった。

 そんなある日。発掘の途中で見つけた祠が、降り出した雨で増水した川に流されてしまうと心配して危険を承知で見に行こうとした辻村に、彩乃ちゃんは「大丈夫」と断言して、それが本当のことになる。やって来たお迎えに彩乃ちゃんが連れていかれる前に、石階段を掘り続けた方が良いと教えられた辻村は、言いつけを守ってちょっとした出会いをつかむ。

 田舎に引っ越してきて、周囲になかなかとけこめなかった少女が、ひとりでお祭りに出かけようとした時に、家で預かっていた彩乃ちゃんが持たせてくれたマニキュアとペンダントがきっかけになって、同級生との間にあった見えない壁が消えていく第3話の「夏花火」。どの物語でも、未来になにが起きているのかを見る力を持っているらしい彩乃ちゃんのおかげで、人生の分かれ道を幸せな方向へと傾けることができた。

 ちょっとささやかすぎるんじゃない? 彩乃ちゃんに力があるのだったら、あらゆる不幸せを幸せに変えて欲しいよね。そう感じる人もいるかもしれない。けれども彩乃ちゃんは全能ではない。自分のおかれている境遇を自分ではどうすることもできない。見えてしまっている未来が永遠のお別れのような悲しいことであっても、変える力は持っていない。そんな彩乃ちゃんが持ってきてくれた幸せに文句を言っては罰があたる。

 なにより現実の世界に彩乃ちゃんはいない。誰も明日のことは分からない。言えるのは、ほんのちょっとした違いが、進む未来を幸せにも不幸せにも変えてしまうということ。だから毎日を精一杯に、悔いの残らないように生きるしかない。起こったことは運命だと受け入れるしかない。

 と、そんな覚悟にも諦観にも似た気持ちが、「彩乃ちゃんのお告げ」に入っている3本の物語からは浮かんで来る。読んだらきっと考える。今をどう生きようかと。そしてたどりつく。今を一所懸命に生きようと。

 電撃文庫でデビューしてしばらく「リバーズ・エンド」のようなSF設定の物語を書いていた橋本紡は、「毛布お化けと金曜日の階段」で、突然の不幸に見回れた姉妹が苦しみの中から再生していく話を書き、アニメ化されドラマにもなった「半分の月がのぼる空」でも、心臓病をかかえた少女を好きになった少年の葛藤を切り出して、かけがえのない時間をめいっぱい楽しむ意味を感じさせてくれた。

 その後も、仕事や人間関係に疲れ、悩んだり苦しんだりしている人たちが、差し込むひとすじの光明を求めて頑張る物語たちを書き続けている橋本紡らしさが、「彩乃ちゃんのお告げ」には良く出ている。

 せっかくの心救われる物語とせっかくのキャラクターが、たった3話ではもったいない感じもあるけれど、神様はそんなに万能ではないし、ささやかだからこそ心に強く響くことがある。だから噛みしめるように読んで感じるよう。この物語に出会えた幸せを。


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