アスクライブ・トゥ・ヘヴン 

 悪く言えばいい加減。良く言うなら柔軟。絶好機に最大効果は挙げられなくても、絶体絶命の最悪期をどうにか凌いでしぶとく生きのび、少しづつでも前へと進む。確率から見れば留まるのが妥当な49%の可能性なら、5分と認めて突き進む。それどころか確率が0.1%であっても、否、ゼロであっても突っ走って突き破って突き抜ける。それが人間の特質。心を持った人間ならではの強さであり、しぶとさだ。

 もしもそんな人間を、合理性を重んじる種族がどこかにいて、敵として対峙したらどこかどう思うか。おかしいと思うだろうし、やっかいだとも思うだろうし、怖いとも思うだろう。圧倒的な数で押しても決して引かずに向かってくる。叩いても叩いても諦めないで立ち上がる。わずかな間隙を縫って反攻され、撃退はされないまでも喉にひっかかった骨のように付きまとわれ続ける。

 だったらどう対処するか。味方につければ良いと融和に向かう勢力があり、徹底して叩き続ければいつかは消え去るからと攻撃に向かう勢力がある。そんな冷食争いの間で、人間の命運が左右されかかっている宇宙が、杉崎ゆきるの「アスクライブ・トゥ・ヘブン1」(少年画報社、571円)の舞台になっている。

 所は惑星フリックル。少女のミニィはその星でたったひとりの人間として、ニードルと呼ばれる人間のような姿をしていながら人間ではなく、一種ロボットの進化したような存在に囲まれながら生きている。両親はどこかへと行ってしまい、ミニィは町はずれの家に住んでは町へと通い、仕事をこなして給金をもらい、毎日をどうにかしのいでいる。

 排除はされないまでも差別はされていて、力もなく性能も劣る人間だからと安い給金しかもらえない。それでも頑張って働いて親のいない家を守って毎日を生きている。江草天仁の名作「びんちょうタン」にも並びそうな薄幸少女の物語。とはいえ儚げではなく、ニードルの親方を相手に給金が少ないと文句もいい、いつか宇宙から王子さまが会いに来てくれるという夢も抱いて、豊かではなくても充実した日々を送っている。

 そんなある夜。宇宙から隕石のようなものが落ちてきて、ミニィが暮らす家の屋根を吹き飛ばす。隕石が次から次へと落ちてきて、地面を穴ぼこだらけにしている星だけに、この前も屋根を修理をしたばかり。また直さなくてはいけないのかと滲む涙を吹きながらながめたその先に、偉そうな口調の人物が立っていて、そして見目麗しい王子様がケガをしてその人物に抱えられていた。

 アズテックという名の偉そうな口調の人物に命じられ、ミニィは王子のケガを直すために必要な道具を揃えるために奔走する。ニードルにあって仲のよかったソナにも最初は秘密にしていたが、王子たちは何者かに追われてフリックルまでたどり着いたいたらしく、王子を狙う勢力の影が一行にじわじわと迫って来る。

 王子を狙っているのはクルーエルニードルという存在。そして王子を助けていたアズテックはシェーンクライトという存在。もとは同じ種族だったものが、王子をはじめとした人間の可能性をめぐって対立していて、王子はアズテックにガードされて旅していたところを、王子の身柄を狙うクルーエルニードルの攻撃に遭い、難を逃れてフリックルへと逃げ来たのだった。

 やがて、ミニィが人間の王子をかくまっていると知って、ソナはミニィやフリックルに危険が迫るのではないかと強く案じる。夢に見ていた王子さまの到来に浮かれ、王子たちが宇宙に還るための装置がある場所へと向かったのを追いかけ、危険がいっぱいのその場所にミニィも向かったことを知って、ソナは命令違反というニードルには不可能なことをし、ニードルに設定された可動限界を超えて、ミニィを救いに走り出す。

 無理を承知で突っ走ることができる人類の存在が、宇宙を大きく揺るがすという壮大なスケールを持ったドラマがこうして開幕。完璧な存在によって統治されているが故に、平衡状態から閉塞状況へと向かうしかなかった宇宙が、ミニィや人間たちの行動によって、引っかき回され引きずり倒されたその果てに、どんな姿へと変わっていくのか、そこで人間がどんな存在意義を確立しているのか、といった展開が楽しめそう。

 そんな宇宙でいったい、ミニィはどんな場所に立っているのか。「いつか追いかけてきなさい」とだけ書き置きを残してアズテックをを唖然とさせ、城を象ったような飾り物をミニィに残し、どうしてそんなものがあるのかとアズテックを驚かせたミニィの母親の正体が、ミニィの宇宙での立場と、そして王子との関係に関わっていきそう。

 そうなると、辺境の惑星に生きるニードルでしかないソナの立場が消えてしまいそうな心配もあるけれど、決して逸脱しない他のニードルたちにあって、自分の“意志”めいたものを示せるソナの存在にも、何か意味があってそれがミニィと王子の物語にも、三角関係以上の関わりを持って絡んでくると信じたい。

 その前に、これだけしぶとい人間が、どうして滅びかかっているのかにも関心が向かう。絶頂期にある現実の人間たちが滅びないために、そして可能性の範囲に押し込められ、管理され形にはめられ息苦しさにありながら、立ち上がれないでいる現実の人間たちに、抗い飛び出して夢をつかむ必要性を感じてもらうために、是非に描いてもらいた部分だ。


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