アーマードール・アライブ 死せる英雄と虚飾の悪魔

 八針来夏の「覇道鋼鉄テッカイオー」シリーズと並んで、少年の鬱屈した童貞エネルギーがロボットを動かし、世界を、あるいは最愛の人間を救うという設定でライトノベル界を賑わせた「神童機装DT−O」シリーズ。苦笑を誘う部分を持ちながらも、少年の渇望をダイレクトに形にしたような展開が醸し出す熱さは、世間に刺激を与えた様子。テレビで童貞パワーを全面に押し出したアニメーションが、その後に何本も作られるようになったのを見るにつけ、「DT−O」は少しばかり先行しすぎていたのかもしれないと、そんな思いも浮かんでしまう。

 とはいえ、今の人気が過去の人気を盛り上げることはなく、「神童機装DT−O」は既刊の第3巻で一応の幕を閉じたといった感じ。それはそれで仕方がない、今はだから新たなシリーズで、その熱い筆を振るって欲しいと願うファンの声に答えるように、幾谷正の待望の新シリーズが登場した。その名も「アーマードール・アライブ 死せる英雄と虚飾の悪魔」(講談社ラノベ文庫、640円)は、やはり少年が巨大なロボットに乗って世界の敵と戦うストーリーになっている。

 とはいえ、ロボットを動かすのは少年の童貞パワーではない。人工知能を乗っ取り人類を攻撃するゲーティアなる存在によって文明社会が崩壊し、滅亡の瀬戸際まで追いつめらながらも、人類は人工知能に頼らないで生きるための技術を確立しつつ、一方で対抗策となる存在を送り出し、反抗に出ようとした。それが、自我を持ってゲーティアの誘いに乗らないようにした人型兵器の機甲人形たちだった。

 ピノキオになぞらえられてか、ゼペットと呼ばれる科学者が生み出した7体の機甲人形が、それぞれに少女の姿をした人形知能を持ち、人間のパートナーを得て機甲人形を操り、ゲーティアの攻撃を凌いでいた。そのうち、<リヴァイアサン>の機甲人形を操る人形知能のレヴィアと組んで、ゲーティアを追いつめ英雄となった少年がこの作品の主人公。もっとも冒頭で、人工知能に“声”を届ける電波塔を攻撃した際に、レヴィアに考えてもいなかった事態が発生。敵勢力を大きく削り、人類に救いをもたらしながら少年は、パートナーだったレヴィアを機体ごと失ってしまう。

 もっとも、それで放免にするには少年は強すぎた。彼の技量を買った軍は英雄としての存在を隠し、訓練生からやり直すことで少年に新たな機甲人形を持たせ、戦場へと戻ってもらうことにした。少年は名を“愛生文楽”と変え、訓練生が通う学園に入り、そこで出会ったメフィストフェレスという名の機甲人形と、人形知能のフェレスをパートナーにして、再び戦場へと足を舞い戻る。

 レヴィアを唯一のパートナーと認め、彼女を失ったことを悔いていた文楽は、本心ではフェレスはパートナーにしたくなかった。けれども仇を打ち世界を平和にするには仕方がないと受け入れた。ところが、ずっと知っていたはずの人形知能とフェレスはフェレスはどこかが違っていた。気弱なところは性格なのかもしれない。けれども人形知能ではあり得ない、嘘をつくことをメフィストフェレスはやってのけた。いったい彼女は何なのか。本当にゼペットが作った新たな機甲人形なのか。

 そこで浮かび上がって来るるのが、文楽がレヴィアを失わざるを得なかった理由であり、それによって瀬戸際からさらに先へと追いつめられた人類が、最後にすがらざるを得なかった残酷なテクノロジー。知って文楽は悩み迷う。レヴィアとの関係は決して忘れられない。けれども敵は迫る。その敵が驚くべき相手だったという怒濤の展開の果て、文楽は決断する。そして戦場へと向かう。

 人工知能がゲーティアなる存在に意志を奪われるなら、より強い意志を持った人形知能を生み出してしまえとなる展開が、物語の上での大きなポイント。人工知能の意志といった部分がSFとしてよくあるロボットと人間の関係を超えていて、どういう風にそこを見分けるのかに興味が浮かぶ。チューリングテストなり、ヴォークトカンプフテストのようなものがあったりするのか。決定的な違いがどこにあり、それをゼペットがどうやって生み出したのかが少し気になる。

 もっとも、いくら人工知能が人間に近づいたところで、結果的に越えられない壁があるということも示されていて、彼我の差について改めて考えてみたくなる。クライマックスの激戦を過ぎ、ラブコメチックな展開にいくのはライトノベルとして当然の流れ。ただ、そこへと至る過程で示された残酷な運命が、文楽とフェレスの間にダラダラとした関係を許さない。人類にだって後がないシビアな環境で、文楽はフェレスや他の人形知能たちとどんな関係を築いていくのか。人類の未来はどうなってしまうのか。展開に期待したい。


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