蟻族 高学歴ワーキングプアたちの群れ

 中国での刊行が2009年9月のこと。北京に集まり暮らしている、大学やら大学院を出ながら仕事がなく、日々貧困に喘ぎながらアルバイトで食いつなぎ、職探しに奔走し、見つかってもマルチ商法や電話によるセールスで、ほどなくして心を痛めて辞めてしまい、そして職探しに明け暮れたり企業に奔走しながら、見えない未来に絶望の色を深めている。

 そんな、1980年代生まれの若い世代を指して言う「蟻族」という一群に聞き取り調査を行い、その生態をひとつには資料として、もうひとつは一人一人の物語としてまとめたのが、廉思(リエン・スー)という名の、自身も1980年生まれの「80後」世代に属する研究者による「蟻族 高学歴ワーキングプアたちの群れ」(関根謙監訳、勉誠出版、2400円)という本だ。

 刊行直後から大いに話題となって、中国のみならず海外でも評判となり、「蟻族」という存在を世界に知らしめた報告書が、中国での刊行から1年を経た2010年10月に、いよいよ日本でも刊行となった。そのタイミングに合わせるかのように、中国各地で起こり広がった若い世代が中心となった反日デモの首謀を、こうした「蟻族」に求める見解があちらこちらに出始めた。

 ここで問題になるのは、それは本当のことなのか、という点で、本によれば「蟻族」の中心となっている世代は、なるほど高学歴な上に社会に参画できず、未来に不安をかかえて戸惑っていたりするけれど、同時に何かの帰属意識や参加意識に乏しく、何事につけても傍観者的な立場を好むといった調査結果が出ているという。

 日本でも実際、大学は出たけれど就職できないフリーターの人たちは、不安は抱えているけれども、不満を爆発させて暴れ回るよりは、沈み引きこもって暮らす方向へと向かっていた。それと同じ現象が中国でも起こっているとするならば、反日デモに参加していたのはまた違った層なのではないのか、といった見方も出来ないこともない。

 ただ、気を付けたいのは中国での「蟻族」の調査が行われたのは2009年以前で、さらに中国での発売から日本での発売まで1年が経過していたという事実。この間に起こっただろうなにがしかの変化を勘案した時、「蟻族」こそが社会に対する鬱憤を爆発させている集団の、中心にいる可能性がないとも限らない。

 「蟻族」という本には、こういう指摘がある。「インターネットは『蟻族』が外界と交流し憂さを晴らす主要な手段となっている。現在ネット上で活躍する『草の根』集団は、およそ30歳以下の、成長に息詰まって悩む若者たちである。それらの者たちは、激しい競争の中で生まれた焦りや憤りをインターネット上でぶちまけ、少数の者は過激な思想の『ネットフーリガン』となるのである」(56−57ページ)。

 運動の現場には出なくても、自らを隠せるツールの中では不満を明かすくらいに憤った若者たちだという事実が伺える。そしてこうとも。「インターネットの現実に及ぼす影響を無視することはできない。インターネット上の活動に傍観射的態度をとり、実際の関与が少なくても、インターネットというメディアの伝達力や扇動力は極めて大きく、一面的な感情を誇張して一定の影響力を持ち、現実世界においてそれと呼応するような行為に至ることすらある」(64ページ)。

 ツールの利便性が意見の濃縮と増長を生んで伝播へと至り起こる憎悪の空気。そこに刺激される人たちは確実にいるということだ。その上でこうも予言する。「現在、『蟻族』は、相対的な剥奪感が強く、生活満足度が低い状況下にある。もしこのまま我々が『蟻族』の生活状況を改善する措置をとらず、不満の蓄積を放置するならば、将来さまざまな社会的憎悪が蓄積し、集団行動に至る臨界点に達することもある」(65−66ページ)。

 調査から数年、そして刊行から1年、リーマンショックという激震も加わって混迷の度合いを深めた世界経済の中で、「蟻族」たちの絶望感はさらに増して臨界点へとたどり着いた。「その時、ひとたび引き金を引くよな出来事が起これば、状況次第では、大規模な集団行動が発生する可能性もあるのだ」(66ページ)。

 残念にも引き金は引かれてしまって、そして内陸部という北京や沿岸部に加えてよりいっそう「蟻族」の人たちの不安と不満が大きい地域で、低い臨界点は突破され、大規模な集団行動が発生したのかもしれない可能性。それを予言した著者の洞察力にはひたすらに感嘆するよりほかにない。

 一方で、そうした予言を、中国という地に暮らしながらせざるを得ない空気感にも、いろいろと考えさせられる。薔薇色の未来なんて描きようがない若い世代の鬱憤が、インターネット上での極論に刺激された少数の行動に重なり増幅されて集団へと化す。これを止めるにはもはや情報からの遮断ではいかんともし難く、母集団となる不満と不安にのたうちまわる世代を何とかするしかない。

 とはいえ世界経済は上向かず、国内の格差は増すばかり。その中で遍くすべての「蟻族」と、そしてその後に続く90後と呼ばれる世代を社会に参加させられるようなシステムを、作り上げるには、相当な困難が伴う。即座の対応は難しいと言わざるを得ない。

 結果、起こる不満は行動となって可視化され、それに刺激を受けて今度は日本でも似た動きが起こって大きくなって洋を挟んでぶつかり合う。本来ならば自らの国の自らをないがしろにした政府に向けるべき矛先が、そちらには向かないのは甚だ妙な光景だ。けれども、向けたところでどうにもならないといった絶望感が、これまたどちらの国にも蔓延していたりするのだろう。

 かくして内向きの憎悪は渦巻き燃え上がって国を燃やし尽くす。どうにもいたたまれずどうにも滑稽なこのスパイラル。どうやったら変えられるのか。それとももはや変えられないまま最終局面まで突き進むのか。見守りたい。見守るしかできないのがもどかしくとも。


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