AOZORA KANSHO TOUR
青空感傷ツアー

 大学時代の知り合いで傍若無人な奴がいて、最初の頃はちゃんと学校に来てたけど、そのうちに授業がなければ学校の近くのパチンコ屋へと行って、何時間か玉を弾くようになった。やがて学校にもあまり来ないようになって、地元でパチンコ屋通いをするようになってプロ並みに大もうけ。稼いだ金で学費を出しつつ、当時大流行してたDC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドの、それも「パシュ」とか「ワイズ」とか「イッセイ・ミヤケ」といった、高い目の服を買いまくっていた。

 学生の身分でシャツ1枚数万円、コート1着10数万円なんて夢天国の代物で、それを買いに行くのに付き合わされて、ブティックの店員におだてられてなけなしの金から何万円もするカーディガンとか買わされて、後でどうしてこんなものに金を突っ込んでしまったのかと、自己嫌悪に苛まれる毎日。そんなこちらの心情などお構いなしに、右へ左へ連れ回されては金を使わされ、辟易とさせらたものだった。

 けれども心底嫌がっていたかといえばそれは違う。だいたいが嫌がっていたら最初から付き合わない。引っ込み思案の自分を変えたかったという欲求と、それを1人では出来ないという弱さが、アグレッシブな他人への依存となって現れたのだろう。自分では責任を負いたくない。だから無理矢理引っ張り回されているんだという体裁を取って、責任の一端を他人におしつけていたに過ぎない。卑怯、と言い換えても良い。

 今にして思えばあの時の経験が、真面目でどちらかといえば引きこもりがちになっていた性格を、ちょっぴりだけど前向きに変えてくれ、服とか音楽とかいろいろなものへの興味を引っ張り出してくれた。もっと一緒に遊んでいれば、さらにいろいろな経験も出来たかもしれないと後悔すら抱いているけれど、ここで今からだって幾らだって経験できると思わず、いろいろやりたかった後悔するあたりに、他力本願的な性格の頑固ぶりが見え隠れする。困ったものだ。

 柴崎友香の「青空感傷ツアー」(河出書房新社、1300円+税)を読んで、真っ先に思い出されたのが大学時代の奴のこと。東京に退職の手続きに行った芽衣という女性が、帰りの新幹線で待ち合わせて一緒に座った年下の友人、音生の口から出て来る言葉は、東京に住む彼氏を訪ねた時に、はち合わになった女への果てしない罵詈雑言。安いカーディガンと着ているの、人工皮革の靴を履いているのと身の回りのものを貶すは、その靴を持っていったチョコか何かといっしょに窓から川へと投げ捨ててやったと嘲るは。止まらない悪口を芽衣は、周辺に座っている人目を気にしながら反論もしないで聞いている。

 これで音生が10人並みの容姿だったらただの僻みで終わるところが、音生はモデルだってつとまりそうで、実際にモデルの仕事もしてたことがある超絶美貌の持ち主。そんな彼女から関西弁でひたすらに、誹謗中傷の言葉が吐き出されるものだから10人並みの芽衣はたまらない。どうして付き合わないといけないのかと思いつつ、そこで絶縁を言い出す勇気も出せないまま音生の言葉に生返事の相づちを打っている。

 そんな芽衣の心境にまるで思い至らず、というより他人の心情を斟酌する心理などまるで存在しないかのように、大阪駅までただただ文句を言い続ける音生。なおかつちょっと前まで付き合っていた男を駅まで迎えに来いと呼び出し、自前の車を持っていない彼がえっちら自転車でかけつけると、その自転車を奪い芽衣に漕がせて自分は後ろに乗って、元の彼氏をそのまま駆け足でついて来させるという、暴君ぶりを披露する。

 物語はそこから家に帰ることなく、旅行に行こうと言い出す音生に芽衣がどこまでも引っ張り回されていく展開に。いきなりトルコへ行ったかと思ったら、帰って来たら来たでそこからか家に帰らず芽衣が好意を寄せていて、けれども好意は伝わらなかった男性の実家がやっている旅館へと転がり込み……といった感じで”感傷旅行”を続けて行く。その過程で目に付くのは、音生のおさまらないどころかエスカレートしていく傍若無人な振る舞いだけど、注目したいのはそんな音生に引っ張り回され、トルコに四国に奄美大島に着いて行く、芽衣の優柔不断ぶりだ。

 文句は言うけれど責任はとらない。夢はあるけれどかなえるための努力はしない。壁に当たればそこから逃げる繰り返しだった芽衣のこれまでの人生、つまりはおそらくは今の社会に暮らす大半の人にある停滞感、倦怠感が芽衣の態度から浮かび上がってくる。自分の中にある羽ばたけない、飛び出せないコンプレックスを、誰に気兼をすることもなく、思うがままに話し行動する音生の言動との対比の中に感じさせる。自分は音生にはなれはしない。けれどもちょっとだけなら近づけるかもしれない。ちょっとだけでも近づきたい。近づかなくちゃいけない。そんなことを思わせてくれる。

 もっともエンディングの間際まで音生は徹底して傍若無人だし、芽衣は相変わらず優柔不断。持って生まれた暴君に家来の性格というものは、容易には変えられないのかもしれない。一生は一生でしかなく、それをどう生きるかは自分の勝手。心底そうしたいと思うのだったら音生の傍若無人を真似てみるのも良いし、独り立ちする勇気がないなら音生に振り回されつつ、1人では得られない経験をしてみるのも良い。どちらにしても後悔しないこと。それが大切だ。

 過去の2作「きょうのできごと」(河出書房新社、1300円)と「次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?」(河出書房新社、1300円)のいずれでも、ほんわかとしてほのぼのとして、それでいて青春という奴のほろ苦い感じも持ち合わせているドラマを描いてきた柴崎由香。関西弁による女の子の会話という、聞きつけていない頭に実に良いニュアンスで響く文体もあって、ベタにならずオシャレにもならない、あっけらかんとした雰囲気に浸らせてくれた。

 「青空感傷ツアー」でもその味は健在。加えて音生の芽衣への言葉という形で、優柔不断で曖昧模糊とした日本人的なスタンスを、ひたすらに直裁的で一切の虚飾も宴曲もない関西弁で非難されるものだから、読んでいて身にずばりずばりと突き刺さって、もはや快感のレベルにまで達しているかもしれない痛みに、のたうちまわらせてくれる。3作目の新境地、と言えそうで広がってきた幅にこれからの期待も増してきた。


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