ひとりで完成まで持っていける小説だったら、個人がどこまで出ても、誰からも何も言われないけれど、大勢がさまざまな分野から才能を持ち寄って、ひとつの作品に仕立て上げるタイプの映像なり、ゲームなり音楽といった作品では、誰かひとりが突出した才能を持った人がいて、周囲を引っ張っていくことはあったとしても、その才能だけですべてを完成させられることはない。

 必要なのは対話であり、時には妥協もしながら最善を探って完成に向かって進んでいくこと。天才にとってそれが激しい苦痛で、すべてを自分の色に染めたいと考えるのは、決して間違ってはいないし、力を資金があれば、そうやって天才がすべてを思うがままに仕切って、仕上げて誰にはばかることはない。問題は、それがごく稀にしか起こり得ないことで、大半はどこかで下す妥協、それを認めるゆとりが求められる。

 ましてや、どんぐりの背比べのようなアマチュアの物作りの現場で、たったひとりが思い込みだけで主張を遠そうとした時に、いったい何が起こるのか。才能はなくても才能を信じたいクリエーターを目指す者たちに、等しく存在する強烈な自意識が、突出を認めず妥協を許さないままぶつかり合い、反発から離反を招いて崩壊へと至る。たぶん歴史の上で、そうやって過去に無数のチームが壊れ崩れて消えていっただろう。

 秋傘水稀という人の「アニメアライブ」(電撃文庫、590円)にもそうやって、離反から崩壊へと至ったゲーム作りのチームが登場する。加えて大学生という状況が、遊びの時間にゆとりを与えず就職というシリアスな問題へと心を傾かせざるを得なくさせ、創作への情熱を減殺させて、妥協や協力をしてでも完成に至らせるという執念を殺いでしまった。結果、主人公の真田慶介という大学生が参加していたゲーム開発サークルは、鍵をなる絵を描くクリエーターまで抜けて崩壊し、慶介はすっかりやる気をなくしていた。

 そこに誘いを入れてきたのが、慶介の姉の真田理莉子。起業を目指していてアニメーションを作るチームの創設を考え、メンバーを集めるなかでゲーム作りを経験して来た慶介に声をかけ、チームが作るアニメの企画と脚本を担当して欲しいと頼む。無碍には断れず、拠点となっている秋葉原にある一室を訪ねた慶介は、そこでドイツからアニメに憧れ日本に来たというアニメーター志望のアンネリーゼ・バルシュミーデという少女や、声優の卵で少しづつ評判も広がり始めている観前朱という少女、そして音楽を担当する倉持奈菜という少女と出合う。

 メンバーはその3人だけ。慶介を入れてもたったの4人で、ひとまず4カ月後のアニメーションコンテストに向けて作品を作るというのが「アニメアライブ」の大きなストーリー。主人公以外は女子ばかりというハーレム状況が、主人公を取り合う恋愛沙汰へと発展することはなく、アニメーターはアニメーターで必死に絵コンテを描き、声優の少女からダメ出しをされてもへこたれずに直す根性を見せ、声優の少女も普段の仕事を頑張りながら、自主制作アニメのために精いっぱいの声を出す。音楽の少女も同様。時に思い入れから激しい自己主張が出てぶつかり合うことがあっても、最終的な目標である作品の完成に向けて一致団結していく。

 自主制作でいくらアニメを作ったところで、プロとしてそれで稼いでいくのは大変だという現実が、慶介や理莉子たちにとってはその存在そのものに関わる形で提示されて、2人を迷わせる。けれども、好きだという気持ちの前に現実は乗り越えられ、ピンチが訪れても長く1つの作品に関わってきた者たちだからこそ出せるチームワークで乗りきっていく、そんな姿が感動を呼ぶ。青春に賭ける者たちの共感を呼ぶ。クライマックスのスリリングな展開は、アニメよりも実写のドラマか映画で再現されたらおおいに評判を呼びそう。アニメ作りの大変さと、それに携わる者たちのプロフェッショナルな意識の強さが、間近に感じられるから。

 気になるとしたら、全体にプロのをアニメーターとはそれほどまでに食えない職業なのかと思わされる部分で、時給が平均298円で離職率は9割もあって、普通に生活していくのは不可能だと作品の中で終始訴えられていて、それでも多くのアニメ業界志望者が、世間に夢を与えたいという情熱でしがみついているんだといった、どことなく一般に言われているような業界のイメージが強く打ち出されている。あるいはステレオタイプとも言えそうな。

 主人公の慶介自身、アニメーターでは家族を養えないとか、アニメーターでは子供を大学に行かせられないとか、そんな主張が存在自体に入り込んでいて、それでも諦めず好きな道に自滅を覚悟で突き進んでいくんだという格好良さを見せている。もっとも、本当に生活を犠牲にして家族を諦めて進まなければ、成り立たない業界なのかというと、実際に多くのアニメーターが家族を養い、学校にも行かせながら優れた作品を世に送り出している。才能のある人は存分に稼いでそれなりの報酬を得ているし、そうでなくても大勢のアニメーターが存在して、日々の糧をそこから得ている。でなければこれだけの作品が、日本で作られるはずがない。

 アニメ作りの方式を単純かし、アニメ業界が置かれている環境を誇張し、ライトノベルらしく戯画化して描いて、そのとおりといった共感を誘う作品として意味があるし、面白かった「アニメアライブ」。一方で、アニメ作りは貧乏暇なし金なし希望なしではあっても、情熱だけで死屍累々の上に作られているものではないのだということも、出来れば見せて欲しかったかも。そうでなければネガティブな情報のスパイラルにまみれて、誰もアニメに関わろうとしなくなるし、そういうものだと思われて余計にひどさが増すだけだから。次があるなら期待したいところ。ヒロインに見えているようでそれほど目立っていないアンネリーゼの活躍ともども。


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