あなたのための物語

 死ぬことが怖くない人間なんていない。なぜなら痛そうで苦しそう。病気で死ぬにしても事故で死んでしまうにしても、痛みや苦しみを感じないで死ぬのはなかなかに難しい。

 楽に死ねる方法もあるらしいけれど、死が自分という存在にもたらす影響を考え出すと、肉体の痛みへの怖さよりももっと根深い恐怖心が、じわりと浮かんできて心を痛めつける。

 死んでしまったら自分はどうなってしまうのだろう? 漫画を読んでアニメを見て、美味しいものを食べて、彼女や彼氏のことを思っている自分は消えてしまう。過去に得られた経験も、これから起こるかもしれない幸せな出来事も、死んだら全部失われてしまう。

 それが死ぬということなのだ。と、素直に受け入れられれば苦労はない。けれども、残念なことに人類は、知恵を持つようになった瞬間から、ずっと死ぬことの恐怖と戦い続け、未だに勝利を得られないでいる。

 宗教のようなものが魂の救済を説いてみせても、それは心を安心させる意味しか持たない。現実には魂なんて存在しない。死んでしまえばそこで終わり。肉体も記憶もあとは朽ち果てていくだけだ。

 医学が進歩して人の寿命を長くしても、いまだに永遠の生命は得られていない。江戸時代に生まれて、坂本竜馬や西郷隆盛と同じ空気を吸った人は、この世界のどこにも生きていないのだ。

 ただ、もしかしたら急激に科学が発達して、脳や肉体を若いままに保てるようになるかもしれない。脳そのものの保存は無理でも、記憶をデジカメ写真のようなデータにして、コンピュータ上に移植できるようになるかもしれない。

 角川スニーカー文庫で、幼い身に過大な罪を背負わされた少女の魔術師が、苛烈な運命と闘い、強大な魔術師たちと闘う様を描いた「円環少女」シリーズを展開している長谷敏司という作家がいる。戦場の最前線にある惑星に暮らす少女と、見守る機械化された兵士たちとの日常を描いた「戦略拠点32098 楽園」(角川スニーカー文庫)でデビューしたライトノベル作家だ。

 その長谷敏司が、伊藤計劃の「虐殺器官」や山本弘「地球移動計画」といったSF小説を出している「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」から刊行した一般向けのSF単行本「あなたのための物語」(早川書房1600円)にも、人間の脳にある記憶や感情を、人工的に再現するような技術によって、死の恐怖から人間を解き放とうとする試みが登場する。

 夢のような技術を考案したのは、サマンサ・ウォーカーという女性科学者だ。早くから天才と注目され、人工神経を扱う研究で挙げた成果を元に会社を作って成功させた彼女は、34歳になった今も、共同経営者として巨額の財産を持ち、画期的な研究に挑んでいる。

 ところが、幸福と権勢の絶頂にあって、なおも高みを目指していたサマンサに、ずっと先だったはずの死が唐突につきつけられた。肉体を守るはずの免疫機構が、肉体のあらゆる臓器を敵と見なして攻撃するようになったのだった。

 余命半年と告げられたサマンサは、昔からの仲間によって研究の一線から強制的に退けられ、残りの時間を否応なしに死の恐怖と向き合わされる。体の痛みにさいなまれ続けることも辛いし、命を奪われてしまうことも辛い。けれども、生涯をかけて積み上げてきた業績を、根こそぎ奪われてしまうような屈辱感も、相当に辛い。

 物語からは、死に関連して浮かび上がる、そうした喪失への恐怖をどうやって埋めるのかが、死を考える上で重要なのだと教えられる。

 サマンサの場合は、自分の研究成果を目一杯に使って作り出した、≪wanna be≫という一種の人工知性に物語を書かせてそれを読み、人工知性がどこまで実際の人間に近づけるのかを探って、自分の力量を世に問おうとあがく。それから、法律で禁止されているのを承知で、自分の記憶をコンピュータ上に写し取ろうとも試みる。

 物語を作り出せる人工知性は、もはや人間と同等の存在なのか? コンピュータ上に記憶や感情を写されて誕生した“自分”は、自分と同じ存在といえるのか?

 SFの小説や、アニメや漫画で何度も取りあげられてきて、はっきりとした答えが出ていない難問への挑戦がくり広げられる。タイプの異なる魔法大系がどういう仕組みなのかを考えたり、メイゼルをはじめ個性的な登場人物の会話やアクションを楽しんでいける「」円環少女」シリーズとはまた違った、人間と知性の意味について考えるきっかけがあって、知的好奇心を刺激される。

 人工知性の≪wanna be≫が、サマンサの好む物語を書けるようになっていく姿から、人工知性に未来はあるのかもと思えてくる。けれども、いくら人工知性が発達しても、また自分の記憶をコンピュータ上に再現できても、それは人間とは違うものだし、自分とも違う存在だ。≪wanna be≫がつむぎ出した物語は、サマンサの気持ちを分析した機械からはじき出された、サマンサの願望の裏返しに過ぎない。

 だから、人工知性の研究は無意味で、死を乗り越えようとあがくのも無駄だと、諦めを促す小説なのかというと、「あなたのための物語」は断じて違う。≪wanna be≫との対話があったからこそ、サマンサは残り少ない余生を最後まで過ごせた。

 <≪私≫は、あなたの、お役に、立てましたか>。そう言い残してメモリを消去され、あっけなく消えていった≪wanna be≫の存在に、サマンサは、例え人工知性であっても、自分を思ってくれいていた存在を感じて、自分が生きていたという証を見いだせるようになった。

 自分は確かにいたのだという確信。それさえあれば、死という絶対不可避の“果て”が一切の尊厳なしに訪れても、人は受け入れることができる。

 死を恐れてもかまわない。けれども、それ以上に精一杯に生きることを考えよう。誰かに自分を思ってもらい、自分も誰かを思うこに努めよう。その繋がりだけが、自分という物語を世界に刻み、死という“果て”の向こう側へと導いてくれるのだ。


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