アメリカ最後の実験

 文中に楽譜が登場する筒井康隆の「ジャズ大名」を読んでも、その楽譜からすなわち旋律を、さらには音楽を耳に感じるということはなかった。音楽の素養があって楽譜を読めれば違ったのかもしれないけれど、そうではない人間にとって並ぶ音符から旋律をうかがい、音として頭に響かせるのには難しさが伴う。

 後に「筒井康隆全集」を買いそろえて応募しもらったLPレコードに収録されていた、音楽としての「ジャズ大名」を聴いてそうかこういう楽曲だったのかと理解した。以後、「ジャズ大名」を読む時にはその旋律が頭に浮かぶようになったけれど、それとは違った意味で、「ジャズ大名」という小説からも実はしっかりと音楽は鳴り響いていた。

 音楽にとりつかれた者たちが繰り広げるセッションが描かれた物語から漂うのは、音楽というものが持つ楽しさであり、嬉しさであり、喜びといった感情が揺さぶられる様子。それを受けて読者もまた、描写の合間に響く音楽というものを耳に聴かずも脳に浮かばせ、浮かれ騒ぐことができるのだ。

 たとえ楽譜を載せてもそこから音楽を響かせられないとしても、言葉によって、物語によって音楽を響かせ届けることはできる。それは言葉によって紡がれる、キャラクターでありシチュエーションでありエモーションでありパッションといったものによってもたらされる。必要なのはだからそうした音楽を語り、響かせるための言葉がそこにしっかり存在しているか、ということだ。

 宮内悠介の「アメリカ最後の実験」(新潮社、1500円)はまさに、言葉によって紡がれ、そして響かせられる音楽とは何かを示してくれる物語だ。ページを開けばそこからあふれ出す音楽の、耳には聞こえない音に心奪われ次へ、次へ次へとページをめくらされ、読み進まされることになるだろう。

 西海岸にあるジャズの名門<グレッグ音楽院>なる音楽学校に入るには、繰り広げられている祭りのライブに飛び入りして観客を沸かせ、そして試験に招かれる必要がある。渡米しその<グレッグ音楽院>学校に入り、そして失踪した俊一という名の父を探して息子の脩は祭りへと赴き、マフィアの息子ザカリーと、巨漢のマッシモと知り合う。

 共に祭りの中から声をかけられ、参加した厄介な1次試験を突破して2次試験に進むことになった3人。それまでの間、脩は父の手がかりを探し、父が滞在中に知り合ったリューイという先住民の血を引く女性の元に残した<パンドラ>なる楽器の存在を知り手に入れる。

 弾いてて謎めくその音色。もちろん音楽に賢いだけあって脩もマッシモも理屈にはすぐに気付き、そして脩はそれを使い誰かとセッションしてどちらかが勝ち残る連弾という2次試験に挑む。そして事件が起こる。脩と知り合いだったらしい男が試験会場で殺され、「アメリカ最初の事件」というメッセージが残される。

 再開された2次試験で脩は、音楽によって自在に人の心理状態を動かすことができる強敵リロイに挑み、突破するも今度は<パンドラ>を奪われる。そして最初の事件に刺激を受けたかのように「アメリカ第2の事件」「第3」「第4」と事件は続いていく。

 そうした展開の中から見えてきた俊一の父親の行方と、暗躍する資本家。いったい何が起こっているのか? そして俊一失踪の真相は? サスペンスのような探索の物語と平行して、脩の、ザカリーの、マッシモの、敗れたリロイの音楽への探求も描かれ、そこから音楽というものが持つ演奏する者を昂揚に縛り付け、賞賛に溺れさせ、聞く者を興奮に導き、退廃へも誘う麻薬のような魅力が全編に流れて、聞かずとも読むだけで音楽への強い欲望を惹起させられる。

   至福の音楽は奏でられるのか。最強の音楽は生み出せるのか。最愛の音楽とは何か。楽器の工夫。演奏の妙味。それらも含めて構成される音楽というものの魅力は逆に音楽なき世界の空虚さも浮かび上がらせる。「アメリカ最後の実験」という表題が示すそんな可能性を宮内悠介は指摘し、そして語る。音楽の凄みを。

 これは小説ではないけれど、読むだけでジャズの凄みがページから浮かび上がる石塚真一の漫画「BLUE GIANT」にも感じる音楽への憧憬を誘ってくれる物語。あるいは、激しいパンクロックのサウンドが頭の中に鳴り響き、世界を貫く浅田有皆の漫画「ウッドストック」に思った、音楽の影響力の凄さを思い出させてくれる物語。それが「アメリカ最後の実験」だ。

 マフィアの息子ながらも音楽が好きで、試験に飛び込み辛苦することなく突破していったザカリーという少年の、天衣無縫な音楽をもう少し、その内面も含め感じたかったする気もするけれど、本当の天才は言葉にしづらいのかもしれず、だからあまり語られなかったのかもしれない。そこが少し気にかかった。

 俊一が手作りで異形の楽器<パンドラ>も、現代はネットを介して解析し、世界各地にデータを転送し、必要とされる場所でパーツを3Dプリンターによって作り出し、製作できるという描写に、“Make”という言葉と、それが意味する行為が時代を変革しつつある状況を思わされた。楽器が音楽を変える。そしてインフラが世界を変える。そんなことも感じさせられた。

 読み始めれば本は手から離れず、目は釘付けとなってめくるページへと捕らえられる物語。だから言おう。宮内悠介の「アメリカ最後の実験」を読むなら場所を選べ、時間を問えと。


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