アメリアの島
I Was Ameria Earhart

 アメリア・イヤハートの名前はひょんなことから知った。徳間書店から刊行された、ふくやまけいこのデビューコミックス「ゼリービーンズ」の主人公が、たしかアメリア・イアハートといった。人工受精が普通になった未来社会で、アウトサイダー的な生き方をしていた女性だったが、アメリアの卵子から生まれたという娘が訪ねて来たことをきっかけに、家族とか社会とかいったものとの関わりに、再び目覚めていくような話だったと記憶している。

 単行本の巻末に、主人公の「アメリア」の名前は、実在した女性飛行士からとったとの記述がイラスト付きで描かれていて、世界一周中に行方不明になったということも知った。後にアメリカのスパイとして日本軍に捕らえられて収容所で死んだとか、いやいや生き延びてひっそりと天寿を全うしたとか、そんな伝説も耳に入って来た。

 女性として初めて大西洋横断を成し遂げ、次に何をするのか注目され続けていたアメリア・イヤハートだが、浴びる称賛と得られる富に反比例するかのように、虚ろでカラッポになっていく自分の心に気がついた。

 夫の愛は彼女が冒険によって稼ぎ出す富と名声への愛であって、生身の彼女自身への愛ではない。そんな夫から逃れるために、夫が集めてくる資金に頼らざるを得ない矛盾。世間が讃える美しさがそろそろ限界にさしかかる39歳という年齢。すべてがわずらわしい地上を離れて、孤独を求めて旅立ったアメリアだったが、ニューギニアのラエを飛び立ち、ホーランド島へ向かう途中で、アメリアと、飲んだくれだが美貌の航空士ヌーナンを乗せたエレクトラは、すべてから逃れたがっていたアメリアの心に応えたかのように消息を断った。

 ここまでが、歴史として語り継がれるアメリアの記録。そして「アメリアの島」(小沢瑞穂訳、1200円)は、ジェイン・メンデルソーンによって綴られた「それからのアメリア」の物語だ。アメリアとヌーナンを乗せたエレクトラは、奇跡にも近い飛行を続けて絶海の孤島へと不時着する。「長さ四マイル、幅二分の一マイルの砂州でしかない」その島は、海岸にココナッツの木々がならび、異国的な花とカラフルな魚でいっぱいの、天国のような島だった。

 あるいは本当の天国だったのかもしれないが、島には神様も天使も原住民もいなかった。時間がたてば喉は乾くしお腹は空く。夜になれば眠くもなる。優しかった日差しは日増しに強くなり、そよいでいた風は暴風雨となってすべてを吹き飛ばす。天国とも地獄ともつかないその島で、アメリアはともに生き延びたヌーナンと生きていくよりほかに道がなかった。

 夫によって、世間の賞賛によって、そしてアメリア自身が心の中に持っていた優越感によって生かされていた都会での生活から、夫が求める富のためでもなく、他者との関係性によってのみ成り立つ優越感を満たすためでもない、もっと原始的な感情、すなわち「生」への欲望が心のすべてを支配するようになった島での生活へと身を転じて、アメリアは変わった。憎んでさえいたヌーナンと結ばれ、富にも名誉にも優越感にも左右されない、ただ純粋にお互いを必要とする関係を築きあげることができた。

 「そこで彼らは自分たちがこれほど幸せだったことはなかったと同時に気づいた。彼らの至福に無言のうちに込められていたのは、いままでは幸せではなかったという共通の認識だった。それぞれに人生の楽しみや勝利や満足は味わっていたが、心からの幸福を味わったことはなかったのだ」(129ページ)

 絶海の孤島にいかなければ、人は心の幸福を味わうことができなないのだとすれば、都会で暮らし、孤独にむかって飛び立つ飛行機を持たない大多数の人々は、「アメリアの島」を読んで絶望を覚えるしかない。隔絶されることによってのみ、人は幸福を得ることになるのだとしたら、大勢の人々に囲まれ、大勢の人々と助けあって生きているすべての人間は、決して幸せになれないことになる。

 だが「アメリアの島」に取り残されたのが、アメリアひとりではなくヌーナンとふたりだったことに、人は希望を見いだすことができる。人はひとりでは幸せになれないのだということを、心の虚飾をはぎとって、純粋な「生」への欲望だけで生きていくことができる「アメリアの島」で、アメリアとヌーナンのふたりが示してくれた.

 大都会で大勢の人に囲まれて暮らしているようで、実は心の孤島にたったひとりで座りこんでいる人のなんと多いことか。「アメリアの島」はそんな心の孤島を飛び立った先にある、最初の寄航地なのだ。飛行士のアメリア・イヤハートは、そこでヌーナンと出会った。「ゼリービーンズ」のアメリアも、そこで自分を慕ってくれる娘(実は違ったのだが)を得て、閉ざしていた心を少しづつ開いていった。

 まずはふたりから始めよう。「アメリアの島」で自分がひとりではないことを感じよう。やがて3人、4人、5人と「アメリアの島」に人は増え、世界がすべて「アメリアの島」に包まれた先に、優越感でも劣等感でもない、お互いがお互いを必要としながら慈しみ合って生きていく、幸せに満ちた世界が見えてくる。


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