2WEEKSイカレタ愛

 夜ごとに現れるシマウマ男を相手に、制服姿の美少女が手に武器は持たず、肉体だけを駆使してシマウマ男をぶっ倒す。そんな戦いを、偶然に通りがかった少年が眺めているという構図だったら、2001年に発売された滝本竜彦の小説「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」で既に見た。

 「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」ではそこから、雪崎絵理という少女と、夜ごとに現れ暴れ回るチェーンソー男との繋がりへと話が進み、寂しさに圧迫された少女の、今にも壊れそうになっている心を浮かび上がらせる。そんな寂しい少女を、なんの力も取り柄もない少年が見守り、共に戦い突破しようとあがく展開が、平凡さに退屈していた日々から、少しだけ離れられそうな希望を、読む人たちに感じさせてヒットした。

 夜の校庭でシマウマ男と戦う黒戸サツキという名の少女を、上代雪介という名の少年が見守る構図から始まった野中美里の「2WEEKSイカレタ愛」(星海社FICTIONS、1250円)は、けれども、過去のヒット作の線をなぞるようには進まない。もっと殺伐として、そして超越するような展開へと向かっていく。

 考えるならそれは、21世紀も10年以上が経った2012年の日本で、自分たちの生きている今を、そして訪れるだろう未来を、ささやかでもいいから幸せなものにしたいと願う物語では、もはや追いつかないほどに世界は閉塞感でいっぱいに満ち、抜け出せない苦しみに雁字搦めになっているから、なのかもしれない。

 だから、もっと過激に少年と少女は向かい合い、もっと強烈に少年たちや少女たちは自分の居場所をつかみ取ろうと世界を駆け回る。それが「2WEEKSイカレタ愛」という物語。シマウマ男と戦う黒戸には、目の前の怪人だけでなく、自分の家族を追い込んだ反社会的な勢力を、叩き引き裂く力が備わっている。彼女を見ていた雪介自身にも、生命を復活させられる異能の力が宿っている。

 絶対に殺せる少女と、絶対に死なない少年の出会いが、願いの成就を見守るだけのささやかな物語に留まるはずがない。その上さらに「2WEEKSイカレタ愛」には、未来予知やら、状況の計算といった異能を持った少女たちが他にもわらわらと登場。宇宙から来てハムスターの中に宿り、人間に通じる言葉を話しては、雪介や黒戸に不思議の秘密を語る謎の生命体の真の狙いを暴き、戦うというSF的な展開へと向かっていく。

 他人とは違う僕、誰とも相容れない私といった存在がメーンとなって、寂寥感と虚無感を漂わせながら進んでいった、滝本竜彦の世界とはまるで正反対の、集団によって難題に立ち向かう異能バトルが、そこでは大いに繰り広げられる。読めば誰もが、諦めに沈黙することはなく、圧迫に身を任せることもなしに、今を開いて未来を得ようと思い、願って歩み始めるだろう。

 ただ、ありきたりの異能バトル物かというと、そうとも言えるし、そうではないとも言えそう。異能を使うと、それぞれに何かしらリアクションが起こって、払拭するために苦しんだりする。テレビアニメの「DARKER THAN BLACK」に登場する、異能を使えば使っただけ代償を払う必要がある“契約者”たちに近い雰囲気だ。

 果てしないパワーを発揮できる黒戸は、それをふるった代償に次第に強くなるシマウマ男と戦わされる。あれは彼女の心の暗闇が具現化したものではなかった。おまけに最終的には黒戸は敗れ、シマウマ男に食われてしまう。そんな黒戸を校庭で見守り、食われた彼女を生き返らせた雪介も、能力を使うと家に幼い少女が半透明から実体を持って現れて、みぞれという名で雪介の妹ととしてしばらく部屋に存在する。

 それが恐怖かというと、むしろ嬉しいように映る。もっとも、しばらくするとみぞれはどこかに消えてしまって、再び雪介が異能の力をふるえば現れるという繰り返し。自分が作り出したものであっても、そこに存在してしまったものが消えてしまい、闇のような場所へと帰り、そこからまた現れるというのは、雪介の心にある種の負担を与えている。道具を自在に出し入れするのではない、命ある存在を弄ぶことから生まれる心理は、決して楽しいものではない。

 未来を探れる姫髪さんという少女も、それによって変えてしまったひずみが別に出て、そこで起こった状況をずっと心に引きずっている。誰もがいつか捨ててしまいたい力だと、そうした異能を感じているけれど、それを簡単に捨てる訳にはいかない事情が示される。事故を起こした宇宙船から散らばり、雪介や黒戸たちに力を与えたらしい、ネクタールという物質の果たした役割と、それが失われることの意味。運命だからと受け入れられるかというと、これはなかなかに酷な話だ。

 それでも解決の道を探り、みぞれが消えてしまう可能性も見える中、迷いながらもどうにかこうにか事態を解決していく展開に、異能をふるうことによる万能感とはまた違う、必要だからと動き戦う少年少女の意志の強さが浮かんでくる。余計な力を与えてくれてといった懊悩を乗り越え、力が決して人を幸福にするものではないのだという真理も踏み越え、つかみ取る自分たちの時間。だからこそ素晴らしい。

 少年よ、ささやかな希望は捨てよ、少女よ、果てしない野望を求めよ。


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