25時のバカンス 市川春子作品集2

 異形になっていく私を、あなたは愛し続けてくれますか。そう聞く勇気を、永遠に永劫に持てる人が、この世界にいったいどれくらいるだろう。

 自分という存在に絶対の自信を持っていて、たとえ異形となっても、それは自分なのだと強く世に出て、誰しをも引きつけられると確信しているのだとしたら、それはとても幸せなことだ。

 けれども、そこまでの自信を自身に持てる人はそうはいない。自分を愛してくれているのだとしたら、それは今の自分という存在に固定されているもの。そこからわずかでも異形へと変じた途端、自分だとはもう誰も思ってくれないという不安が、浮かんで身を苛む。

 逆に問うなら、異形になっていくあなたを、私は愛し続けることができるだろうかと、そう自問して明解な答えを出せる人も、やっぱりこの世界にいったいどれだけいるのか、とても曖昧だ。

 顔か心か。容姿か家庭か。そんなものは関係ない、存在そのものがあなたのすべてなんだと、日頃は胸を張って言っていても、相手を構成する要素のどこかが、少しでも欠けてしまった時に、それでも愛しているのだと言い張れるだけの自信を持てるかどうか。同じような不安が、身にまとわりついて離れない。

 異形になっていくあなたは、それでも愛され続ける自信を抱けるのか。異形になっていく誰かを、あなたはそれでも慈しみ続けられるのか。浮かんでくるさまざまな問いに、果たして答えが得られるのかどうかまでは分からないけれど、少なくとも、ひとつの姿勢を見せてくるのが、市川春子の最新短編集「25時のバカンス 市川春子作品集2」(講談社、590円)だ。

 表題作。12歳離れた姉は、奇妙なものにばかり興味を持つ不思議少女。その弟は、家族が目を離した間に木から落ち、目の周囲を怪我して、脳への血流が左目のすぐ下を通るようになってしまい、常に目が真っ赤になる症状を抱え、幼い頃は怪物呼ばわりされていた。

 それから10余年。今は研究者となって、海洋生物を研究している姉の乙女だったけれど、会社の都合で研究機関は閉鎖が決定し、今は後始末の追われている最中。その合間に休暇を取って、灯台の後を利用した保養所に行って、しばらくぶりに弟と過ごすことにした。

 やってきた弟は、目こそ今も赤いままだけれど、体格はがっしりとして背も高くなり、カメラマンとして世界を飛び回っている。その弟に、姉は自分を撮って欲しいといって、25時の海辺に呼び出し、今の自分がどうなっているかをあからさまにする。

 異形。まさしく異形となってしまった乙女だけれども、それでも意識は彼女のままだし、外見もほとんど変わっていない。弟との会話も、少女だったころのまま。そんな姉を弟は前と変わらないまま、愛おしく慈しみ続ける。

 もっとも、その本心はどうだったのか。内臓ならぬ奇妙な者ども専有された姉の肉体。がらんどうとなった内側には何もなく、そして衝撃を受ければヒビがはいって、やがて折れて砕け散る。それでも姉を姉と思い続けて慕える弟の心境の、どこにこれだけの強さがあるのかが分かれば、多分、人を愛するということの意味も分かるのだろう。

 そんな弟からの情愛を、はじめは不安に思っていた姉も、やがて、自分はまだ愛されているという自覚を抱くようになり、身を柔らかくしていく。そんな様がどこか艶めかしくて、余計な親しみを感じさせられる。むしろ肉体的には硬くなっていっているはずなのに、乙女の表情は優しさを増し、態度は開けっぴろげになっていく。

 これが愛されていることへの自信なのだとしたらなるほど、愛し抜いていることを身で示し、言葉で表し続けることによって女性は、愛されている自身を得て、自らをより美しく、艶めかしく昇華させるのだろう。平気で人前で尻を掻くのも、愛されている自身なのだとしても。

 天才であることを、どこか揶揄されるような言動を浴び、すべてを投げ出し、北の果てに行こうとした少年が出合ったのは、町の人たちから妙に慕われている男。王子とすら呼ばれ、風邪をひけば町中の人から供物があつまるその人気ぶりを端で見ながら、少年は彼の下で自分を癒そうとする。

 そんなある時、彼の正体を知り、その将来を知り、なおかつ自分の責任がかかわる形で人の命が失われたことで、少年は自分に決心し、もといた世界へと戻っていく。異形になっていく男は見捨てられたのか。否、むしろその異形さ故に少年からの敬愛を受け、博愛のもとに延命を施されようとしている。

 「月の葬式」という短編に描かれる、異質な存在であり、また異形と変じていく存在との間に通う情動もまた、見かけや出自とは無関係に通う、愛の意味なり価値というものの素晴らしさを考えさせる。

 もう1編、「パンドラにて」はやや方向性が違うものの、異種族との交流から生まれる情愛が、時間を経ても形を変えても続く素晴らしさが描かれる。土星の衛星で学んでいる少女たちの奔放すぎる日々が、卒業という儀式を経ていきなり残酷すぎるものへと転じるその一瞬を、最初はちょっと掴みづらいかもしれない。

 けれども、繰り返し読んで状況を理解するにつけ、渦中にあったナナという少女の、その兄という人物に秘められた冷淡で合理的な性格を重ね合わせた時、見えた恐怖すべき状況に身が震え、けれどもそんな状況にあって、異形たちは異種族への慈しみを見せ、救済の手を差し伸べてくれていることに、感謝と歓喜がわきあがる。

 ありがとう。本当にありがとう。あのまま彼女たちはどこへ行ったのだろうか。どこかでダンスは踊ったのだろうか。想像しかできないけれど、きっと幸福が待っていると信じたい。

 第1作品集の「虫と歌 市川春子作品集」(講談社、600円)に続いて、異形との、異種族との交流が描かれている市川春子の漫画による作品集。その絵柄の繊細さ、キャラクターたちの柔らかさもあって、異形を異形と受けて嫌悪を浮かべるのとは逆に、異形の優しさが感じられて、読んでいて胸がすっときれいになってくる。

 絵柄ならではのメリットであるし、物語の組み立て方もそうした慈しみにあふれている。女性の持つ雰囲気の艶めかしさは前巻以上か。乙女の可愛さといったら、その姿態に加えて弟を思う気持ちも滲んで、とてつもない可愛らしさを醸し出す。そんな情愛のドラマとは別に、異種族との交流という主題において、SFとしても「虫と歌」同様に鮮烈なビジョンを放つ。必読だ。


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