桜坂恵理朱と13番目の魔女

 見えている現実が本当の現実だとは限らない。人々の網膜に写る世界が、物が、人々がたとえ物質的に固定化された、絶対に不変の存在だったとしても、その情報を処理する人の脳が、それぞれに違った捉え方をする可能性はゼロではない。

 神経や脳の働きによって、色が違って見えることがある。持っている情報量の違いや先入観などによって、歪められたり大げさに感じられたりすることもある。さらにこの先、ネットワークと電子デバイスが発達して、受け取れる情報にさまざまな付加価値を付けられるようになった時。見えている現実は見ている人の数だけ存在することになる。こうなるともはや、本当の現実というものなどあり得ず、見えているものが現実なのだと思うしかない。

 それで世界はどうなるのか。コミュニケーションは図れるのか。リアルなコミュニケーションの場が多くあり、共通する話題としての同じ現実を求める同調圧力が強く働いているうちは、多勢の現実というものがまだまだ命脈を保つだろう。けれども、リアルなコミュニケーションに人工知性等が介在して、プロトコルを代替するようになれば、世界は円滑に動いていく一方で、人はそれぞれに見たいものだけを見て生きられるようになる。

 もっとも、それはともすれば、何者かが見せたいものだけを見せられ続けて生きるようになる可能性もはらむ。そんな、テクノロジーによって広がり、歪み、曲げられる世界の見え方を示唆するような小説が、大橋崇行の「桜坂恵理朱と13番目の魔女」(彩流社、1500円)だ。

 専門は日本の近世文学で、魔術や神秘思想にも詳しく、ルドルフ・シュタイナーの神智学を取り入れたライトノベル「妹がスーパー戦隊に就職しました」も書いている作者で、どこかジュブナイルSFを思い出させる淡いトーンの少女のイラストが表紙になっていることもあって、青春と冒険にあふれた物語かと思い手に取り読み始めて、誰もが驚きおののくだろう。いきなり少女が全裸で惨殺されるのだから。

 そんな衝撃的な場面を、ELISという眼鏡型の端末を使い、ネットワークを介してコミュニケーションするシステムを通じ送られてきた、謎めいたメールを開いたことで見せられたのが、25歳になる駆け出し作家の葉山秀司。大学生の時にデビューした彼は、今も大学の研究室に顔を出しては、後輩や知り合いに会ったりしている。

 秀司は研究室にいた4年生の田上愛梨にお金を貸すことになり、そのお礼だからと彼女のバイト先に誘われてる。行くとSMクラブでSの女王様となった愛梨こと真里亞女王様から、激しい調教を受けたるという、ジュブナイルSFとは遠く離れた展開へと転がっていく。

 葉山を担当している女性編集者の赤城知佳が話に加わってきて、秀司に気があるのか違うのか、誘いかけているのかそうでもないのか分からない態度を見せたりする。さらに秀司の先輩で、精神科医の神山桃華という女性も出てきて、前に秀司とはつきあっていたらしく、当時の話をあからさまにしゃべったりする。

 そんな、どこかズレてる美女たちに囲まれ、ハーレム展開になるのかと思ったら話はがらりと様相を変える。ELISのネットワークを通じて、愛梨に何百通もの不思議なメールが届くようになり、そして秀司にも「十三番目の魔女」という者からメールが届くようになる。

 そして2人はそれぞれ何番目かの「魔女」として、同じ魔女たちの集会へと誘われる。そこでELISを通して誘われた魔女たちが、何人も死んだり殺されたりしていることを知る。冒頭で殺されていて、秀司が最初「桜坂恵理朱」と認識した少女も、そんな魔女たちのうちの1人だった。

 ネット上でなにが起こっているのか。魔女とはなにか。ELISを介して秀司の前に繰り返し現れる「桜坂恵理朱」の正体は。本当に実在している人間か。それとも秀司にだけ見える現実なのか。魔術の思想などをよりどころにして解釈が進められていった果て、たどり着いた場所で秀司は知ることになる。ELISがなにを見せようとしていたのかを。

 神秘思想にある肉と魂の関係とも呼応する、意識とネットワークの関係が生み出す幻でありながら、現実でもあるという世界の可能性への言及。それがある物語を読み終わったあと、誰もが今見ている世界が、本当に現実なのかが分からなくなってくるだろう。あるいは現実など最初から存在していなかったと思うかもしれない。

 1度読んでまた読めば、秀司に見えている世界と、赤城さんや桃華に見えている世界との差異に気づくかもしれない。けれども、それを知ったところで秀司にとっての現実は虚構にはならない。見えていたものが彼にとっての現実なのだから。人の数だけ現実が存在することがあり得る世界で、どう感じどう生きていくのかが問われる。

 これから後、秀司は消え去った現実と残る記憶との曖昧さをどう埋め、どう生きていくのだろう。自分だけの現実を信じて、ずっと生きていくことになるのだろうか。ネットがはびこった世界で、そこにのみ現実を見て依存する人の少なくない今と、よりネットが高度化するこれからのありさまを、少し考えてみたくなる。恐ろしさを感じつつ。

 ライトノベルの研究所も出しているだけあって、登場するキャラクターがそれぞれに立ちまくっているのも大きな特徴。赤城さんのような積極的で可愛らしい女性編集者はいたら楽しいし、桃華みたいなエロくて美人の精神科医がいたら嬉しい。もっとも桃華のように、フィニッシュまでの時間を克明に覚えていて、いちいち蒸し返されるのは男性としてとてもキツいけれど。

 そんな多彩な女性キャラクターたちに是非に出会いたいものだけれど、現実はそうは甘くない。だったら求めれば良い。自分だけの現実の中での出会いを。妄想だと誹られようと、それが自分の現実なのだと開き直れば、誰も留め立ては出来ないのだから。


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