成人の日

(二)

 


 ・・・目を覚ましたのは、ドアの向こうの物音のせいだった。
 カレンが帰ってきたのだ。そう思ったユウジは椅子に座ったままドアをぼんやりと見つめていた。
 ・・・ドアが開いた。
 しかし、カレンはすぐには姿を現わさなかった。どうせ買い物の荷物で両手一杯なのだろう。しょうがないやつだ。センターから支給される生活必需品のほかに、マーケットで買い物ができるのは、第二の人生にあるものの特権である。第二の人生も今日で最後か。カレンのやつめ、どうせろくでもないものを山ほども買い込んできたのだろう。
 しょうがないやつだ。もう一度そう思いながらカレンを助けるためにユウジは立ち上がった。
 その時、黒い人影がドアのなかに入り込んできた。
 カレンか、お帰り、式はどうだった。ユウジがかけようとした声は、しかし喉に張り付いて、声となる機会を失った。
 ケイだ。黒い人影はケイであった。
 しかし、何故。ケイはもう成人式を迎えて、この部屋に戻ってくることなんか無いはずなのに。
 「どうも、お父さん」
 父の戸惑いを察したのであろう。沈黙を破ったのはケイのほうだった。
 「僕が戻ってきたので不思議に思っているのでしょう。僕はね、今日の成人式でとっても面白い話を聴いたのですよ。それをお父さんにお話したくてね、それで戻ってきたわけです」
 ユウジの戸惑いはどんどん膨らんでくる。
 こんな筈はない。成人式を迎えた子供を、親の元へ戻すなんてセンターが許すはずがない。それに、それにカレンはどうしたのだろう。ケイだけ戻ってきて、何故カレンは戻ってこないのだろう。
 「カレンは」何処へ行ったのか。そう問おうとして、後半の問をユウジは飲み込んだ。ケイの眼が、一瞬、妖しく光ったからである。その眼は、その問いかけを厳しく拒絶しているように思えた。
 そういえば戻ってきてからのケイはおかしい。以前のような父親への尊敬心が全く感じられないし、人を嘲けるような雰囲気を全身から発散している。ケイは、カレンはどうしてしまったのだろう。一体、成人式で何があったのだろうか。
 「母さん? 母さんはちょっとマーケットで買い物をしてから帰るって」
 ケイが一歩ずつユウジに近づきながら言う。
 「それよりも父さん、今日、僕がどんな話を聴いて来たのか知りたくないのですか」
 ケイはいつの間にか椅子に座っている。父の無言のいらえを催促と受け取ってケイが続ける。
 「父さん、生態系って知ってますか? 今よりももう少し昔、動物たちが人間との共存を許されていた頃、動物たちは植物と一緒に生態系というものを形成していたのですって。そして強いものが弱いものを食べ、最も強いもののしたいが最も弱いものに分解され、全体として一つの輪になっていたんですって」
 生態系なら知ってるよ。子孫を残すことだけを目的としていた動物たちが、食物連鎖という鎖のなかで生きていたんだ。しかし、それがどうしたっていうんだ。何故、お前はそんなことを話し出すんだ。
 父の無言を理解の合図と取って、ケイはまた話し出す。
 「ところで現在、その生態系というものがどうなっているかは知ってますね、もちろん」
 それは質問ではなく、確認ですらなかった。生態系が存在するわけなど無いのだ。動物は、遺伝子保存という懐古趣味のサンプルとしての数匹ずつの他は、全て駆逐され、人間の住むための場所として、生活場所を奪われてしまったのだから。
 「もちろん現在、生態系なんてものは存在しません。動物がいないのですから。ところが、ところがですよ、お父さん。今、センターでは、生態系の、人間をもそのなかに組み込んだ壮大な生態系の再興のためのプロジェクトが進行中なんです」
 生態系の再興・・・その一言でユウジは、先程ケイが帰ってくるまえに感じた形とならない疑問が、形を取り、そして同時にその解答までが与えられた気がした。
 そうだったのだ。他人との接触のないこの社会で、子供を立派に育てることが社会のためになるのか、という疑問。社会を形成するために自分が、いや人間そのものが必要ではないのではないか、という不安。これこそがあのとき、漠然と感じたものの正体だったのだ。
 確かに、今の社会において人間は、その構成員という役割さえも演じていないではないか。人間がいなくても社会は続いて行く。人間は、二世紀も昔のターミナル・ケアを必要とする老人のようだ。資源と技術の無駄使い。社会のお荷物なのだ。人間の生きている意義など、どこにも見えないではないか。
 生態系再興のプロジェクト。
 これが、この疑問、というよりは確信に対する鮮やかな解答だ。人間はこれによってのみ、社会を形成しているという満足感とともに生きていけるのではないか。
 「お父さん、聞いているの」
 怒りを含んだ声でユウジが我に返ると、嘲けりの雰囲気をますます色濃くまとったケイが話を続ける。
 「だからね、生態系のなかの動物の生きる目的っていうのは、子孫を残すことだろう。だから、子供が成人したあとの親の役割っていうのは、もう何もないんだ。初期の生態系は微妙なバランスで成り立っていてね、頂上に位置する人間はたくさんいてはいけないんだ。だから・・・だから悪いけど、死んでもらうよ」
 ケイの手にはいつの間にかレイ・ガンが握られていた。
 何のためらいもなく引き金を引く。
 一発・・・外れた。
 「よけないでよ、お父さん。お母さんは納得して死んでくれたよ」
 そうか。カレンも死んだか。今まで私の仕事は一つしかないと思っていたが、社会のため、生態系のために死ねるなら、それも立派な仕事のうちか。
 ユウジは今度はよけずに銃身に身をさらす。
 一発、二発。
 ユウジは声もなく倒れた。人生の最後に社会のための仕事を見つけた男の、満足気な笑顔で。
 「死んだか」
 ケイは末端を操作してセンターへ報告をした。
 「よくやった。ご苦労。今から死体を片付けに行くから待っていてくれ」

 十分後、入ってきたのは、だが、レイ・ガンを片手に持ったロボット・ポリスであった。
 何故、といいた気な顔で崩れ落ちて行くケイにむかってロボット・ポリスは言った。
 「すまんな。生態系に人間は含めないとセンターが決定したんだ。もう一度、こんな社会にしたくはないからな」

 ・・・大きな音がした。
 もうすっかり暗くなった森から、音に驚いた鳥の大群が一斉に飛び立った。
 息をひそめていた肉食獣が、音の驚いて飛び出した獲物を追いかける。
 木の実を食べていた小動物が、あわてて穴の奥に逃げ込んだ。
 ほんの百年間ほど跡切れはしたものの、数百、数千万年続いた営みを、森は相変わらず続けている。
 子を産み、育て、そして死ぬ。生命が陸に上がったときからの行為は、永劫に続いていくのであろうか。
 子孫を残すことに夢中の動物たちは、子孫を残す情熱をなくした動物の街が今、崩れ去ったことを、知らなかった。

 

Fin.


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