成人の日

(一)

 


 高層の街に日が差す短い時間はとうに過ぎていた。
 一瞬、林立するビルの谷間を底まで照らした太陽は、今では無数のビルが形成する地平線にその下弦を触れさせようとしている。もはや、死にかけた太陽は、その街の最上階を弱々しく照らすに過ぎない。
 しかしながら・・・。
 この時刻、街は明かるい。太陽から光りをもらっていた、壁面を覆う窓が、今度はそれを返そうとするかのようにぼんやりと光りを放つのである。それは、この人気のない、無機質の街にも人の住んでいるという証しであった。誰が見るでもない、誰に証明するでもない、それは証しであった。
 その、誰も見るもののない、無数の巨大なスクリーンに、一点、黒いしみがあった。ビルのほぼ中央に位置する黒いしみ、その黒点は、いつも在るものではなかった。昨日までその窓には周りと同じように燈がともっていた。それどころか昨日などは、周りの明りが消されたあとでも、一点だけ明りがともり、暗黒のスクリーンに白いしみを作っていたほどである。
 それが今日は黒いしみになっている。
 白いしみならばまだ分かる。この変化のない社会で人よりも遅くまで起きているということは、珍しいが皆無というわけではない。だが、黒いしみとなると話は違ってくる。この時刻、人は確実に起きている(何といっても唯一の新鮮な娯楽、センター公報があるのだ。)し、起きているとなれば、人は、この平和な社会のなかでは、闇という恐怖に絶えることなど出来はしないのだ。
 太陽は真直な地平線に徐々に溶けていき、スクリーンはますます明るく輝き始める。その、明るさを増したスクリーンのなかで、唯一、黒いしみは相変わらず黒いままである。市民の管理に最も気を使い、誰かが風邪でも引こうものなら大騒ぎするセンターも、この異常をそうとは思わないのであろうか。不気味に沈黙を守っている。
 太陽は、ついにビルの林に飲み込まれ、名残に紅く染めた空も、徐々に色をなくしていった。

 その・・・
 徐々に暗くなっていく部屋の窓辺は、一人の男が座っていた。今朝、自分で窓辺に持っていったソファーに、深々と、足を投げ出して、腕を組んで座っていた。
 男・・・
 不惑にさしかかるかかからないかといった歳であろうか。普段目にすることのない光量と、沈痛な雰囲気のために、一見すると倍も年を取っているように見える。無表情の顔を沈痛な雰囲気で彩っている眼は、開いていた。開いてはいるが、しかし、なにも見えてはいない。執拗に宙の一点に固定された視線のうえに見えない不透明な気体があり、網膜に像を結ぶのを妨げているかのように何も視てはいなかった。ただ目を開け、同じ姿勢で、何時間も動かずに座っていた。
 男の名はユウジといった。
 息子の成人式。
 ユウジの頭のなかには、この言葉が渦を巻いていた。なにも見えていない眼も何時間もピクリともしない身体も、この言葉が見えない鎖と化して全身を縛り上げているせいであるかのようであった。

 二一八〇年・・・ 現在では、かつては人の手に委ねられていた社会的、文化的その他の仕事のほとんどが機械、コンピューターの手に委ねられていた。生産、流通はもとよりサービス、家事、さらには政治まで、機械は人間の仕事の殆どをその手から取り上げたのである。
 人間に残された仕事といえば、〜〜〜これも仕事ということができればだが〜〜〜たった一つのものがあるだけである。人間の、いや全ての動物の最も根本的、根源的な営み、コンピューター万能といわれている現在でもただ一つ人の手から取り上げられなかった仕事、それは育児である。人は、その長い一生のなかでほんの短い間を、その唯一あてがわれた仕事とともに過ごすのである。
 現在、人間の一生は大きく三つに分かれている。まず、生れてから成人するまでを第一の人生という。この期間は親とともに過ごす唯一の期間である、成人というのは肉体年令二十歳以上の人間のことを云うが、薬剤〜〜成長促進剤〜〜の発達でその期間は最大六年ほどにまで短縮できる。一般に、ほとんどの親は子育てを嫌って成長促進剤を使用し、子供の成長するまでの期間を十年ほどに短縮している。次に成人して配偶者をもち、子供が生れてから成人するまでを第二の人生。子供が成人してから死ぬまでが第三の人生である。人は、この三つの人生をそれぞれ違った場所で生活するのである。
 生活の場所、これはスクエアと呼ばれる四角い部屋である。人はそこにふたりまたは三人のファミリーで生活する。ふたりは夫婦、三人は夫婦に子供が一人である。人は一生を三つのスクエアで生活する。まず、第一の人生を両親とともに過ごすスクエア。そして成人すると成人式に出席し、そこで配偶者を割り当てられ、ふたりでファミリーを作り新しいスクエアでの生活が始まる。そして子供が成長すると、第三の人生用の、少し狭いスクエアに移動するのだ。
 スクエアは人の生活の殆ど全ての部分を占めていた。人がスクエアを出るのは、週に一度の買い物にマーケットまで行くときとスクエアを移るときだけだ。第三の人生にあるものはマーケットに行くことができないから、一生スクエアにとじこもったきり、他の人との交流もなく過ごすのであった。人は、仕事の消滅とともに人との付き合いやレジャーへの意欲まで無くしてしまったようであった。

 今朝・・・
 ユウジのファミリーは三人で最後の食事を取った。
 二十年間・・・少なくともこの十年間・・・毎日続けてきたささやかな行為だった。決まった時間に起きて決まった順序で洗顔する。そしてユウジと息子のケイが食卓に付いたところに、少し遅れて妻のカレンが、センターから送られてきた食事を運んでくる。メニューさえも七日周期で同じものだった。
 それが今日で最後だった。朝食だけではない。昼食も夕食も、三人での生活そのものが朝食を最後に終ったのだった。
 最後だからといって特別なことなど何もなかった。いつもと同じ時刻に起きて洗顔をし、七日前と同じメニューの朝食を食べる。途中、ユウジが何度かフォークを起き、何か云いたそうに口を開きかけたが、その都度、カレンの無言の眼差しが、ユウジの口を閉ざした。
 今日はケイの成人式だった。ユウジとカレンが二十年間育てたケイが、成人式を迎える日だ。
 ・・・朝食が終った。三人で生活した二十年間が幕を閉じた。ケイは成人式で配偶者を宛てがわれ、新しいスクエアに移るのだ。もうここに帰ることは無い。ユウジとカレンは、この機械化された世界でも人類が手放さなかった唯一の仕事を今、完了したのだった。
 だから成人式に出席するという、親としての最後の権利をユウジは拒絶した。ユウジにとっての子育ては朝食で完結していたからである。ユウジは、いつまでも未練ありげに後ろを振り返るカレンと、カレンを追い立てるようにして連れていくケイを、玄関口で見えなくなるまで見送った。そして、ソファーを窓際に出し、深々と座って腕を組んだ。

 ・・・ユウジは考えていた。
 ほとんど全ての親がそうであるように、ユウジの両親は子育てが嫌いだった。というより、自分が精神的な面で大人に成り切っていなかったために、人の親であるという状態が理解できなかったのだ。成長促進剤を大量に使い、成人するまでの日数を十年に縮め、お前さえ生れてこなかったらと自らの息子を日々呪い続けた両親を、ユウジは決して忘れてはいなかった。
 そんなユウジであったからであろう。ユウジは、カレンと結婚してもすぐには・・・自分を精神的にコントロールできるようになるまでは・・・子供を作らなかった。カレンもよく理解ってくれた。センターが似た考え方の人物を配偶者として与えてくれたのだ。そして、結婚して三年後に生れたケイを、ユウジは成長促進剤無しで、二十年かけて育てることにしたのだった。
 二十年は一瞬だった。
 そして楽しかった。
 ユウジは二十年間の思い出を、走馬燈のように次々と頭によみがえらせかけてやめた。今からそんなことをしていたら、もっと後になってからやることがなくなってしまう。
 とにかく・・・ユウジは思った・・・とにかく俺の仕事は終ったな。
 考えてみれば馬鹿な話さ。こんなことに二十年もかかりきりになって。ほんの二百年も前の人間なんか、本当の仕事の片手間にやっていたっていうじゃないか。
 暇にまかせて歴史などというものを繙いてみたせいであろう。ユウジは二世紀も昔の、人間が、著しく低い記憶力と、不安定な感情とを持て余しながら、それでも懸命に自らの社会を動かしていった、そんな時代が妙に気に入っているのである。そして、自分でも何か社会の役に立つ仕事をしてみたい、そんなことを考えながら、日々を送ってきたのであった。
 とはいうものの、自分の唯一の仕事の、成果には自信があった。二十年かけてじっくり育てたんだ、そこらへんの促成栽培とは違うさ、という秘かな自負があった。成人式でケイの顔を見た、促成栽培の馬鹿な子を連れた馬鹿な親ども、さぞかし驚いたことだろう。ざまあみろ!これが本当の子育てというものだ。
 ケイの成人式に同席して、立派な息子を他人にむかって自慢してやりたい気持が、ユウジには確かにあった。それを止めさせたのは、朝食で子育てが完結したから、などという安易な理由では、実はなかった。ユウジは怖かったのだ。促成栽培の馬鹿息子を連れた親の、十年の苦役から開放される喜びで一杯の顔を見るのが。そしてまた、ユウジが二十年かけて育てたケイを、それがどうした、と一言の下に否定されるのが。ユウジには怖くてたまらなかったのである。
 それはユウジが両親に叩き壊されても、なおかつしっかりと握っている人間への希望の最後の一片を粉々に打ち砕いてしまう、ということがユウジには分かっていたからである。
 人間への希望・・・
 人間はこんなになってしまった。ユウジは考えた。人間はこんなになってしまった。自らの仕事から逃れることばかりを考え、機械に一切を任せてしまった。その結果、人間は日ごとに気力を失い、遊ぶこともせず、いまでは子育てさえも機械に任せてしまいそうな勢いだ。人間の社会性などというものは、どこへ行ってしまったのだろう。それに・・・・・・?
 ユウジの思考は、そこで跡切れてしまった。それに? それに何だというのだろう。ユウジは、普段漠然と感じていた疑問、不安が言葉として形を取りそうになるのを感じた。が、一度跡切れてしまった思考の糸は、もう切口さえも探すことはできなかった。
 まあいい。自分の仕事は終ったのだ。これからはケイが、自分の仕事を引き継いで立派な子供を育ててくれるだろう。そしてその子も・・・。
そんなことを考えながら、ユウジは深い眠りの底へと落ちていった。
 


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