大雪のあと


久々に、目もくらむような怒りにおそわれている。
雪にたいして、怒っているのではないのだけれど。

 関東圏に大雪の降った夜、案の定首都圏の交通網は完全に麻痺し、東京の夜には深夜まで行き場を失った人々があふれたそうだ。
 雪に無策な国政に対して(雪に無策なのは国政ではなくて市民レベルだと思うのだけれども)批判的なマスコミというのは、もちろん、ありである。マスコミの本質は、批判精神だ、という主張も、認めよう。

でも、あの番組だけは、俺は認めない。

 雪の降った翌日、様々なニュース番組で、昨夜の東京の、滑稽な姿を映しだしていた。交通網の麻痺に対する批判も、様々な形で、なされていた。
 夜11時からの東京テレビ、ニュース23でも、いつものごとく筑紫哲也の批判的な口調で始まった。

 曰く「これだけ首都圏がパニックに陥っている昨夜、みんなが情報をほしがっているときに、某ラジオ局は、のんきに平常番組を流していて、雪情報はまるでなかった。これはマスコミの怠慢である」

 この時点では、開いた口がふさがらなかっただけだった。この日本の、いや、東京通勤圏の何処に、情報収集手段がラジオの、この一局のみに限られている地域が存在するのだろう。雪情報がなければ、他局を聞けばいいではないか。雪情報を流さないラジオ局は、ほめられこそすれ、同じマスコミに批判されるいわれはないはずである。

 曰く「百年に一度の洪水に備えてダムを造る国があるのに、いくら年に一度あるかないかとはいえ、こうも無策なのはなぜか」

 だんだん怒りが募ってきた。百年に一度の洪水の被害と、今回の一夜限りの交通の混乱と、経済的人命的に、どれだけの差があるのか。それがわからないものたちに、天下の公器であるマスコミを自由にさせておいて良いものだろうか。
 さらにいえば、今回の交通網の麻痺は、ハードウェアの問題もさることながら、列車がちょっと止まった隙に、乗客の一部が列車から降り線路を歩き出したことによるものが大きいのではないか、いわゆる人災の部分が大きいのではないか、というのが周囲の人の話から出た私の感想である。

 そして、番組の最後若いアナウンサーが曰く「取材にいって、私がカメラに向かってしゃべっているときに、携帯を片手にピースサインをしている若者が私の後ろに群がった、東京の人たちは本当には困ってないんですねえ」

 目も眩むというのはこのことか。
 東京中が非常に困っている、という演出(やらせ)に、傷が付いたからといって文句を言う筋合いはないではないか。
 一晩家に帰るのが深夜になったというだけのことで、何を困ればいいのか。
 どれだけ困ったところで、血気盛んな若者のいたずらを、止められるわけはないではないか。
 このアナウンサーは、「俺がしゃべっているのにじゃましやがって」という私怨を天下の公器を使ってぶつけたにすぎない。

 ニュース番組に自分の感想を盛り込んでいくのがキャスターだという。
 知識人、と思われているキャスターの、私情、私怨に左右されるこの番組制度、ニュースのゴールデンタイムに持ってくるのは間違っているのではないか?

ワイドショーと中身が変わらないのだから。

 

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