語るべきこと


 言うべきことや語るべきことがなくただ手法だけがある時代、たとえば映画「スワロウテイル」やアニメの「エヴァンゲリオン」を評してそういう風に言うひとがいる。言うべきことや語るべきことを持っているのは基本的に政治家だと私は思う。作家やその他の表現者は言うべきことや語るべきことがあって作品を作るわけではない。
 伝えたい何かがあるから、作るのだ。

村上龍自選小説集第三巻「寓話としての短編」帯より

 引用が長くなったけれども。
 スワロウテイルやエヴァンゲリオン、そして村上龍にとてもミーハー的なはまり方をしている私には、とてもうれしい文章だったよ。
 確かに両者とも、いや、村上龍を含めた三者とも、単純明快なメッセージを発しているわけではないけれども、混沌としたストーリーと、美しい場面場面の描写のむこうに、漠然とした何かが現れてくるような、そんな作品たち。
 漠然とした何か、というのはこの三者の場合、力強さだとか、したたかさである場合が多いのだけれども。

それが、明確なメッセージを持っていることが、必要?

 必要なんかないよ、っていうのが、冒頭の引用なんだけれども、そうだよね。そのとおり。
 すべての作品に、語るべきメッセージを求めるのは、きっとあまえてるんだ。明るく強くしたたかにいきるイェンタウンたちをみても勇気を与えられないで、サン(のポスター)に生きろ、っていってもらうことをありがたがる人たちなんだ。

 テクノロジーの進化に、斬新な演出に、メッセージはないよ。それは、感情の噴出に、方向性がないのと一緒。でも、それらは、伝えたいことにはなりうるんだよ。
 フィルムを、小説を、音楽を、ゲージツだと思ってありがたがる人たちにはわかんないかもしれないけれど。

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