anniversary
友人に、他人の誕生日のコレクターがいて。
そいつは、年度がかわるたびに、つまり手帳がかわるたびに知人たちの誕生日をききまくる。ルールは、直接本人にきくこと。
一年間で、どれだけの日が誕生日で埋まるのだろうね、彼の手帳。カレンダーの、どれくらいの日が埋まってるか、考えたことあります?
もちろん他人の誕生日ではなくて、自分にとっての記念の日で。
それは、自分の誕生日でもいいし、卒業式や入社式なんかの節目の日。それから、何人かの、大切な人との大切な日だっていい。
なんかの折りにふと思い出して、ああ、去年の今日はこんなことがあったなあ、とか、六年前の今日は、とか思う日、どれくらいあるんだろうね。ながく生きるっていうことは、想い出がふえるっていうことだから、ずっと生きていれば、いつかは365日、すべての日が記念日で埋まるのかな。
でも、人はどんどん忘れていくものだから、想い出が増えるたびにその前の、それよりも重要でないおもいではこころの引き出しにしまわれていって、結局そんな日はこないのかな。どうおもう?
もし、365日が記念日で埋まってしまったら、どういう気分がするんだろう。充実感があるんだろうか。それとも重苦しくて身動きできなくなるんだろうか。記念日のなかの軽重なんて、まだあるんだろうか。
ぼくはそれをうらやましいと思うのだろうか。もう、昔の話になるけれど、長い間毎日日記を付けていた。そのころは、きっとこんなことは考えなかったんだよね。
毎日を、しっかりなにかに刻みつけている人って、きっと、記念日なんか不要なんだよね。ふう、あれから二年。。。
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