コイズミの歌には意志がある。
だからコイズミはPuffyにはなれない。
だからぼくはコイズミが好き。
井上陽水奥田民生のショッピングを聴いた。コイズミの「月ひとしずく」やPuffyの「アジアの純心」で共作した絶妙なコンビで、これらの曲も、アルバムには入っている。ただし、全部の曲がデュエットというわけではなくて、たとえば「月ひとしずく」は、陽水の歌。
奥田民生の曲は、なんというかそのだらしなさがいいよね。ユニコーンのときから、結構はげしい曲も作ってるし、テクニカルにはめちゃくちゃ難しいんだけど、だらしない。
陽水の詩は、それに輪をかけてだらしない。だらしないっていうか、動きがない。動きのない情景の組み合わせ。
今回のアルバムと、コイズミのバージョンで「月ひとしずく」を聴きくらべて思ったのが、冒頭の言葉。
コイズミの歌には意志がある。
コイズミが「ひとにまかせて、僕らは行こう」ってうたうと、なんか楽しそう。すごくふわふわして、気持ちいいんだけど、Let's
Goっていうかんじが、ちゃんとする。井上陽水のそれは、方向がない。「ひとにまかせて、僕らは行こう」っていうけど、僕はきっとどっかに座り込んでて、行かないんだろうなあ、っていうかんじが、ちゃんとする。
もちろんそれは、どっちがいいっていうものではなくて、そういうものだっていうだけ。陽水民生(バンド名ではなく、作詞作曲のコンビとして)の味をどっちが出してるか、っていえば、それは陽水のほうで、おんなじ理由でそれはPuffyの方なんだろうけど。
だから、おんなじ理由で僕はコイズミが好きなんだ。
コイズミの「アジアの純心」なんて聴きたいよね。