スコアのいない、譜面台
今日は、7月9日。
2008年の、7月9日。
1908年7月9日に生まれたじいさんの、100歳の、誕生日なんだ。
もちろん、じいさんは7年前に逝っちゃったのだけれども。その100歳の誕生日を、オオウエエイジが、ブルックナーの9番でお祝いするコンサート、行ってきたよ。
ブルックナーの9番てね、じいさんが、大阪で最後に振ったコンサート。
僕が、最後にじいさんを聴いたコンサート。
8番を2度振っているオオウエエイジだから、じいさんの誕生祝いには、この曲しかないよね。
というわけで。
ちょっとはやめについた、雨のシンフォニーホール。ロビーの階段横には、じいさんのパネルと、楽譜が飾ってあった。
9番のスコアの表紙裏には、この曲の演奏記録が書いてあって。シカゴの客演から2001年までが手書きで書いてあったから、最後のコンサートに使ったスコアなのかな。
それと、手書きのパート譜。じいさんが外遊したときに、フルトヴェングラーと逢って。ブル9を振るならば原典版にしなさいよ、っていわれて、あわてて原典版のスコアを買って。
それをあわてて日本に送って大栗さんに写譜させたって話、どっかで読んだから、このパート譜は大栗さんの手書きかな。
久しぶりに、じいさんモードだね。
もちろん、この演奏会は僕にとっても特別な演奏会でね。普段は予習なんて全然しないのに、先週末、ひさびさに予習をしたよ。じいさんのブル9を予習にするのはいかにもえげつないかな、って思って、シューリヒトのライブ盤を聴いたんだ。土曜日に1000円で買ったやつね。
もちろん、そんなことしても、あるいはしなくても。じいさんの9番、耳に焼き付いてるんだけどね。
9番って、難しい曲だよね。聴くのが、ではなくって評価が。
未完の曲だからね。
ゆったりと荘厳なアダージョで終わるから、体裁は整っているけれど、でも、だからこそ。フィナーレがあったらどんなところまで行っちゃったんだろう、って。未完の曲をありがたがる事が、ブルックナーの本意なのかな、って。そういう余計な事を考えちゃうんだよね。
だから、家で聴く事も少ないのだけれども。
でも、とっても大事な曲なんだよね。じいさんの最後の演奏、CDやDVDで聴き返して、技術的に最高の演奏でなかった事は分かってるけれど。でも、そんなことがなんの関係もないくらい、印象深い演奏だったんだよね。
ああ、今日はオオウエエイジの演奏会だったね。
カップリングは、モーツァルトのピアノコンチェルト。伊藤惠は、じいさんお気に入りのピアニストなんだろうね。何回か見たよ。ベートーヴェンが多かった気がするけれど。
パンフレットによれば、ピアノコンチェルトでも、じいさんはベートーヴェンを偏愛してたんだね。モーツァルトよりもベートーヴェンの方がずっと演奏回数が多かったらしい。
僕は、ピアノコンチェルトをどうこう言う視点を持ち合わせてないから、演奏の事はよく分からないけれど。
2階席の、じいさん最後のブルックナーを聴いた席に近い席から見た会場は、なんか特別な緊張感に包まれていてね。
映像用と録音用と、多分両方があったんだと思うけれど、つり下がった大量13本のマイクと、物々しいテレビカメラ。でも、それ以上に物々しかったのは、会場の雰囲気なんだよね。張り詰めた、っていうのかな。
その空気の中、モーツァルトの最初の数小節を聴いてね。
ああ、よかった。
今日は、音が上まであがってきてる。
つまりは、良い演奏が聴ける、ってこと。
僕は、多分100回くらい大フィルさんの演奏会に行ってるからね。それくらいは、自分の経験則を信じてもいいよね。
かなりの長さのある、いつもはちょっと眠くなるモーツァルトのコンチェルト、今日はずっと楽しんで聴いたよ。
伊藤恵って、いくつになるんだろ。もう既に、昔若かったおネエちゃん、っていう部類に入る、つまりはベテランなんだろうけれど、若いよね。いや、見かけだけじゃなくって。瑞々しい、って言ったらいいのかな、演奏が、ね。
長く続くカーテンコール。
アンコールは、モーツァルトのピアノソナタより。有名な、中学生相手のピアノ教室から聞こえてくるような曲。
渾身のコンチェルトのあとに、こういう小品でおんなじ拍手を受けるって、演奏者としてはどうなんだろうね。僕は拍手する気にはなれないなあ。コンチェルトで満足してるからね。
まあ、それはいいけれど。
休憩時にロビーに降りたら、テレビカメラがお客さんにインタビューしてたんだよね。
僕がもし、「オオウエエイジが朝比奈さんのようになるためには、どうしたらいいと思いますか」って聞かれたらどう答えようかな、って少し考えたんだけれども。
暗譜をやめて、それから登場するときゆっくり歩く事。そんな答えを考えついたんだよね。
客席に戻ったら、セッティングの終わったステージが見えて。
ひな壇上段に並んだ弦バス。左右に分かれたホルンとラッパ。ああ、オオウエエイジは自分のブルックナーを演るつもりなんだ、って、嬉しくなったよ。
そしたら、気がついた。
指揮者用の、譜面台。
いつもは暗譜のオオウエだから、指揮台に譜面台なんて、ほとんどないのだけれど。どうしたんだろう。
そしたらね。
係の人が、恭しく譜面台においたのは、スコアじゃなくってね。
じいさんの、写真。
そうきたか。
100歳のじいさんに見守ってもらう、そういう演奏をするんだね。オオウエエイジ。
そして、演奏。
9番ってね、さっきも言ったけれど、終楽章(フィナーレ)がない、3楽章の曲。
フィナーレって、山場だよね。クライマックス。もちろん音量的にも、そこが一番大きくなるところ。
この曲はその終楽章がないからね。そのせいか知らないけれど、1から3楽章までの音量が、ブルックナーの他の交響曲に比べてもちょっと、強弱記号で一つか二つずつ、大きい気がするんだよね。
少なくとも、7年前のじいさんの演奏では、そうだったんだよね。
それを蹈襲してかどうか知らないけれど、オオウエエイジも飛ばす飛ばす。のっけの弦から飛ばしまくりで、足つきの9人のホルンがついて行けないくらい。
僕の席が2階のちょっと左側で、ラッパのベルの真正面って言うのもあって、やけに攻撃的な響きなんだよね。
じいさんのブルックナーが、そのトゥッティの響きが、湖面に浮き上がってくる巨大な水泡のようだとしたら、今日のトゥッティは、時折流れ弾が飛んでくる、戦場の土煙。
もちろんだからどうだって訳ではなく、これがオオウエの、現在のブルックナー。
すごいよね。
オケがハレーションを起こす前に、ホールの響きがハレーションを起こし気味。
チューバが、チェロのソリがホールを満たすのは分かるんだけれど、なんと、ほとんど裸のオーボエのソロが、それだけでホールを満たす。
浅川さん、だよね、オーボエ。加瀬さんではあり得ない3楽章のソロ。涙出てきました。
異様な雰囲気の観客と、目の前のじいさんの写真に対峙しながら、自分のブルックナーをやり抜いたオオウエエイジ。
終演後の、望むだけの長さの沈黙。
それが、今日の演奏を、表してるよね。
あたたかい拍手の中、団員へのねぎらいよりも、観客への感謝よりも先に、じいさんの写真に語りかけるオオウエエイジ。ありがとう、って言ったのか、どうだ見たか、って言ったのか、ただキスをしていたのか分からないけれど、ずっと、譜面台の写真に顔を埋めていたオオウエエイジ。
振り返って、その写真に加えて、胸ポケットからもじいさんの写真を取りだしたオオウエエイジ。復活の時と、おんなじ写真だね、多分。
終わらない拍手。
あきれ果てて帰る楽団員。
でも、終わらない拍手。
そして、無人のステージに出てくる、オオウエエイジ。
満場のスタンディングオベーション。
いわゆる、一般参賀。
じいさんの記念特別演奏会だからね、やっぱりこれもやらないといけないよね。
下手最前列の、一番いい席に陣取っていた高校生の男の子達は、一般参賀にもきょとんとして、そこだけ座っていたけれど。
楽しんだもん勝ちだよ。人生も演奏会も。
がんばって、大人のお遊び、覚えてね。
ありがとう、オオウエエイジ。
ありがとう、じいさん。
じいさんの演奏や想い出、僕はこれからも大切になぞっていくけれど。でも、それと同じくらいに、生で聴けるオオウエエイジ、これからも大切にしていくよ。
がんばれ、大フィルさん。
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