Contents(工事中&予定です)
はじめに 大フィルさんと花の章
大フィルさんの名場面
がんばれ大フィルさんブログ
大フィルさん関連のリンク
大フィルさん(他)のコンサート


2008/12/30
第九 二日目
2008/12/29
第9 一日目
2008/11/27
フーガの技法
2008/11/18
オオウエのブラ1
2008/10/23
アルメニアンダンス
2008/10/17
ダン・タイ・ソン
2008/9/19
ヤナーチェク
2008/9/15
尼響定期
2008/7/24
ラッパとマラ4
2008/7/14
四川地震チャリティ
2008/7/9
じいさん生誕100年記念
2008/6/7
巨人と花の章
2008/5/25
ayumi hamasaki 2008
2008/3/13
高関健/ブル5
2008/3/9
BAN BAN BAZAR
2008/1/24,2/15
オオウエ幻想その他


2007年のコンサート

2006年のコンサート

2005年以前のコンサート
2000年のコンサート


本ページのすてきな壁紙などは、Nagisaさんの作成したものを使わせていただいています。

 

2008年12月30日
第9シンフォニーの夕べ
大植英次:指揮
スザンネ・ベルンハート:ソプラノ
スザンネ・シェーファー:アルト
トマス・クーリー:テノール
サイモン・カークブライド:バリトン
大阪フィルハーモニー合唱団
大阪フィルハーモニー交響楽団
フェスティバルホール 1階GG列R23番 A席

ベートーヴェン:交響曲 第9番

 さて、二日目。
 今日は昨日よりも一列だけ後ろにさがって、ちょっとだけ端に寄った席だったのだけれども。
 ずいぶん印象が違うんだよね。
 それは、席のせいなのか、それとも演奏の微調整のせいなのかはよく分からないけれど。
 そして、それが演奏の満足度にどう影響するかもよく分からないのだけれど。
 
 今日の第九はね、昨日感じた、とんがった部分を全部丸めて、完璧な盆栽に仕立て上げた第九。オオウエエイジの、第九。
 ラッパとかティンパニとか、ちょっとでもバランスを壊す恐れのある危険物は、細心の注意を払ってバランス取って。どこを聴いても意図した音が伝わる、そういう音楽。
 そういう音楽として、ものすごく高得点を与えられるであろう、音楽。
 
 でも、それって音楽なんだろうか。
 
 第一楽章の頭、ちょっとだけだけれども、何が何だか分からなかったんだよね。音が鳴っているのは分かっているのだけれど、音楽として聞こえてこない。
 青空が描いてあるとばっかり思って見ていた絵が、実は深海の絵で。そのことに気がつくまでに感じる訳のわからない違和感。そういう類のものだと思うのだけれどもね。何が進行しているのか分からなかった。
 もちろん、絵を見間違えるのとおんなじで、僕の認識のミスのせいなのだけれども。
 
 席が少し遠ざかったせいもあるかも知れないけれど、昨日はホールと、と言うより僕を満たしていた音の、広がりの輪郭が見えちゃったんだよね。ああ、ホール全体を満たしているものではないんだな、って。
 それは地球に住んでいるのと、宇宙飛行士になって地球を外から見ることの違いみたいな感じで、優劣とか、そういうことではないのだけれど。でも、コンサートにきているのなら、内側に入って聴く方が僕は好きだな。
 
 なんか悪口を言っているように聞こえるかも知れないけれど、もちろん楽しんでいるから二日も行くんだし、この忙しいときに無精な僕が二日も書いているんだよ。オオウエエイジだから、要求するものがずっと上になっちゃって、わがまま言っているだけなんです。もし気を悪くされた方がいたら、許して下さいね。
 
 さて。
 怒濤のブラヴォーコールで終楽章が終わって。
 いつも通りの律儀なカーテンコール。
 3回目か4回目かな。カーテンコールも中盤にやっと差しかかったくらいで、一人で出てきたオオウエエイジ。
 手でみんなを制して、マイクを手に話し始めた。

 皆さんにお詫びがあります。この年末、ベートーヴェンの荘厳な響きで終えるのが一番いいのでしょうけれど、もう一曲だけ演奏させて下さい。
 50年の歴史を誇るフェスティバルホール。大フィルの音楽監督として、またこのホールで演奏した世界中の素晴らしい音楽家の代理として、ありがとうございます。
 1958年に出来たこのホール、一番最初の演奏会は、非公式だったけれど、大フィルの前身、朝比奈大先生が指揮した関西フィルで、ベートーヴェンの(日本語でなんていうか分からないや、とメモを取り出して)献堂式序曲、この第九、そしてエルガーの威風堂々を演奏したものだそうです。
 今日でいったんお別れのこのホール、最後は、最初の日にも演奏した、威風堂々を演奏したいと思います。

 お話の最中に合唱団が退場して、ステージにはハープ2台やらパーカッションやら、チューバやらなにやら、みんなぞろぞろとあがってきて。
 そして始まった威風堂々。
 拍手を要求するオオウエエイジ。
 最後にゆっくりになるところで、一列目の観客の手を取って立たせるオオウエエイジ。それに釣られて総立ちになる観衆。
 曲の最後に、 festival hall ありがとう50年の垂れ看板が出てきて。
 ああ、本当に終わりなんだな、って。
 僕なんかこの10年、数十回しかきていないのに、50年の歴史が降りかかってくるような気がして、総立ちで拍手をするお客さんを見ながら、ちょっとうるうるしてしまったよ。
 そして、オオウエエイジが去り、演奏者も撤収の準備をし始めたステージ。
 お客さんも当然帰り支度を始めた頃。いつの間にか客席の通路に入り込んでいた合唱団員の始めた、蛍の光。
 ハモるでも何でもない、ただのユニゾンの蛍の光、多分客席のみんなも唄っていたんだよね、僕も唄ったけれど。本当にあたたかく、ホールを包んだよ。
 粋なことをするね。
 
 ホールから出て、ロビーへの階段を下りる正面に、ありがとう、また会いましょうの紅い横断幕。演奏中に取りつけたんだね。
 粋なことをするね、これまた。
 
 2013年。どんなホールが出来上がるのかな。シンフォニーが霞んでしまうくらいのホールが出来たらいいね。
 それまで、年末の第九は場所の取り合いだね。大フィルさん、がんばれ。
 
 良いお年を。

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2008年12月29日
第9シンフォニーの夕べ
大植英次:指揮
スザンネ・ベルンハート:ソプラノ
スザンネ・シェーファー:アルト
トマス・クーリー:テノール
サイモン・カークブライド:バリトン
大阪フィルハーモニー合唱団
大阪フィルハーモニー交響楽団
フェスティバルホール 1階FF列R9番 A席

ベートーヴェン:交響曲 第9番

 年末だね。
 年末の風物詩、と言うほどには僕は熱心な第九の聴き手ではないのだけれど、オオウエエイジの振る去年から、久しぶりに大フィルさんの第九に復帰したよ。
 50年の歴史のあるこのフェスティバルホールが、このコンサートを最後に取り壊しになっちゃうから、チケットの足が速くて、ぼおっとしていたらちょっと後ろ目の席になっちゃったんだけれど。
 でっかいフェスティバルホールを、最後に大フィルさんの音で満たしてくれるのか、楽しみにしてたんだよね。

 もちろん満員のフェス。開場のちょっと前についたら、ロビーは人だかりでね。いつものことだけれども。ロビー階の通路には、フェス50年の歴史を振り返るパネルが貼ってあったりして。シンフォニーホール世代の僕らは、フェスの音響をいろいろ悪く云ったりするけれど、昔は大阪随一のホールだったんだよね。有名どころのオケや指揮者や、いろんなヒトがいっぱいきてるんだよね。
 もちろんじいさんの頃の大フィルさんは、このホールが大好きで。大きくてデッドなこのホールに特化してたから、あの大フィルサウンドが出来たんだよね。
 個人的には、このホールの椅子、結構好きだな。となりの人が腰を下ろしたらその気配が伝わってくるシンフォニーホールの椅子と違って、どっしりして。改修後はクッションも厚くなって。結構座り心地がいい。
 まあでも、大フィルさんの定期がシンフォニーホールに引っ越してからは、あんまりきてないのだけれどもね。

 ステージは、両翼配置のオケに、合唱のひな壇。ティンパニの後ろ、合唱の真ん中にソリストの席。大きいステージに大きい編成、わくわくするよね。

 わくわくしたのはいいのだけれど、この演奏、どう聴けばいいのか、難しいなあ。
 なんか、凄いことが起こってるんだよね。弦楽器の合奏とか、ただ者じゃない密度。一楽章の最中、やけに苦しいな、って思って気がついたのだけれども、息を吸うのを忘れてたんだね。それくらいの緊迫感。
 でも一方で、その弦と、ラッパとティンパニが、全く違うテンポ感なんだよね。別々の音楽を演奏しているみたいな、噛み合わなさ。位置的に、ラッパのベルが直撃する場所だったから余計にそう聞こえたのかも知れないけれど。その噛み合わなさが、余計緊張感を高めてたのはそうなんだけれどもね。
 2楽章。
 弦の密度が、木管楽器に伝染して。ソロの掛け合いの中、自分のテンポで突撃するファゴットを見た瞬間、弦と管、そして打楽器の音が混じり合ってね。凄い世界が見えてきたんだよ。
 ラッパのテンポに釣られた(あるいはあくまでもインテンポを貫いたのかな)長原君が、ヴァイオリンの中で飛び出したりするところを見ると、テンポ感の違いは相変わらずなんだろうけれど、もうそういうことは関係なくなってね。それを含めたオオウエエイジの第九が、フェスを満たしたんだよね。

 もちろん、それは素晴らしいことに決まっているのだけれど。
 決まっているのだけれどもね。なんか違うなあ、って思っちゃう僕も、いるんだよね。
 たとえば、ティンパニがフォルテで叩いているときに、ヴァイオリンの細かいフレーズがきちんと聴こえてくる。それ自体はとてもいいことなのだけれど。なのだけれど、ね。その完成度の高さ自体が、なんか箱庭的世界を感じちゃうんだよね。
 野放図な、じいさんが追い求めたサウンドから、えらく遠くにきちゃったな、って。

 ああ、まだじいさんの音を追い求めるんだ、俺、っていう自己嫌悪も少しだけ持ったりして。
 難しいね。

 じいさんがバランス取るのをいやがったのは、それで音楽のスケールが小さくなるのをいやがったんだ、っていわれてるよね(そういう記事を読んだことがある、っていうだけの根拠だけれど)。
 でも今日のオオウエエイジの第九は、バランスを完璧に取った上で、なおかつフェスを、シンフォニーホールではなくてフェスを音で満たして見せた。それを、バランス取ったからスケールが小さくなった、っていうのはフェアでも正直でもないよね。

 演奏の間中、全休止になる度に、フェスのエアコンの音が耳についたよ。これだけ、耳のゲインをあげて、必死に演奏を聴いたのっていつ以来だろう。
 それだけの、演奏だったんだよね。

 それは分かっているのだけれど。
 エフワンと暴れ馬。そんなイメージが聴いている最中に浮かんできたよ。
 制御の効かない暴れ馬を御しながら刻んだ奇跡的なラップタイムと、エフワンマシンで成し遂げた渾身のラップタイム。現時点でのベストラップがおんなじだとして、でも、もっと速くなるってわくわく出来るのって、どっちなんだろう、ってね。

 もちろん、じいさんの50年以上のキャリアが残した最上の演奏プラス神格化され続ける想い出と、オオウエエイジの一回の演奏会を比較するのはフェアじゃない、っていうのはよく分かっているのだけれどもね。

 4楽章。
 バランスのいいソリストの掛け合いと、ラス前のオオウエエイジのためとアッチェランド。そう、これがオオウエの第九。
 第9シンフォニーの夕べになった今年も、頑としてアンコールを拒むオオウエエイジ。

 あたり前だけれども、時代は変わっていくんだよね。
 生で見られるオオウエエイジ、僕は大切にしていくよ。

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2008年11月27日
いずみホール特別演奏会II
〜バロックの極致『フーガの技法』〜
ヘムルート・ヴィンシャーマン:指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
いずみホール 1階K列21番 A席

J.S.バッハ(ヴィンシャーマン版):音楽の捧げ物
J.S.バッハ(ヴィンシャーマン版):フーガの技法

 ヘムルート・ヴィンシャーマンの振るバッハだから、あんまり深く考えずにチケットを取ったのだけれども。
 深く考えずに、っていうのは、どんな曲を演るのか良く知らずに、っていうことね。まあ、バッハの大きな曲なんてほとんど知らないから、深く考える事なんてどっちにしてもできないのだけれど。
 ヴィンシャーマンは、数年前にボッセの代役で、大フィルさんの定期でバッハを振ってね。管弦楽組曲だったっけ。それがもう、呆然とするしかないくらいの良い演奏会で。その後、今度は代役ではなく定期でもう一度バッハを振って。そして今回はいずみホールの特別演奏会。
 最初のバッハは本当に衝撃的だったんだよね。三十人足らずくらいの人数から、聴いたこともない音が出てきて。その頃二階席に座っていた僕が、終演後ぼおっとしながら階段をのぼっていたら、真っ赤な目をしてまだ立ち上がれないおんなの人がいたんだ。その女性の赤い目、まだ覚えているなあ。

 ともかく、そのヴィンシャーマンのバッハだからね、曲目なんて気にもしなかったんだけど、ホールでプログラムを読んだらね、にわかに不安になってきたよ。
 ポリフォニーの探求。
 数学的、幾何学的構築美。
 一部を除けば、楽器の指定さえ行われていない。
 などなど。えっ? これって実験音楽? おじいさんのタクトから出てくる心地よい響きに浸ろうと思ってきたのに、なんかムツカシそうだなあ。
 ちょっとだけ、そんなことを思ったよ。

 第一部は、音楽の捧げ物。
 30人足らずの、弦楽と木管楽器のこぢんまりした編成の真ん中にデンと置かれたグランドチェンバロ(そんな風に言うかどうか知らないけれど)。そして、いくつかの椅子と譜面台。
 曲は、チェンバロのソロから始まってね。
 曲の成果楽器の成果知らないけれど、気持ちよく解決していく和音とはちょっと違った、どこまで行っても濁った響きが残る曲をソロで弾ききって、自分で蓋をたたんで奏者は一時退場。どうでもいいけれど、この黒いロングヘアのチェンバロ弾きのヒト、僕の友人によく似ていてね、思わず頬笑んじゃったよ。
 その後、ステージ前に出てきたヴァイオリンの長原君とビオラとチェロ。そしてフルート。
 その前からだけど、狭いいずみホールは、一個一個の楽器の音が良く伝わるんだよね。ヴァイオリンの弾きはじめのギッていう音が、シンフォニーホールでは聴けないくらい伝わってくる。
 そんな音場で奏でられるカルテット。ビオラとチェロはこのために、特別客演を連れてきたみたいだけれど。そういえばチェロのヒゲのヒト、あの人のいない演奏会って、覚えているかぎりはじめてじゃなかろうか。トラを連れてくるのもいいけれど、こういうソロは、自前の楽団員の名人芸を見せて欲しかったなあ。
 全体として、特に実験音楽っぽくもなく、楽しかったのは楽しかったのだけれども、なんかどっかに濁りの残る曲だったな。バッハの極北が、どんなところにあるんだろう、たとえばブルックナーの5番を、構成美の極北とかいってみたりするけれど、それよりずっと前にもっとすごいのが出来ているのかな、って思ったのだけれども、そういうものではないんだよね。質的に、ではなくて、方向として。
 プログラムをよく読むと、即興演奏をふくらませて楽譜にしたのがこの曲らしいね。
 つまりは、自分が、そして聴いている人が気持ちいいアドリブのルールを考え出したバッハが、その集大成として自身の最高のアドリブを楽譜化した、っていうことなのかな。
 僕の分かる言葉で言えば、バップを創り出したチャーリー・パーカーはもちろん偉大だけれども、その後のモードやフリーやフュージョンを経てスウィングに戻ったウィントン・マルサリスの音楽とは方向として比べられないよね、っていうこと。
 どっちがいい悪いではなくってね。

 ちょっとだけ濁りのある一部と違ってね、フーガの技法はすごかった。
 多分ありとあらゆるフーガの四十八手が詰め込まれていて、それはもう大変な音楽なのだろうけれどもね。僕が知っているフーガって、小フーガト短調くらいなんだよね。しかもずっと、小フーガと短調、っていう2曲のことだと思ってた。
 おっかけっこと変奏っていうのでそんなに間違っていないのかな。フーガって。
 解説には、いろいろ難しいことをしてますよ、って書いてあったんだけれども。どれも気持ちいいんだよね。単純なおっかけっこが、3人になり4人になり、リズムが跳ねてみたり違うメロディが加わってみたり。でも構造としてはシンプルで、ひとつのパートに耳を澄ませば、それだけで意味のある言葉を喋っている。
 つまり、バッハの作った技法は、みんな人々を気持ちよくする為のものなんだよね。
 僕もそれに乗せられて、どんどん気持ちよくなっていったのだけれども。

 どんどんどんどん、昇っていって、あともうちょっとでイキそう、っていうときに、なんといきなり、音楽が終わったんだよね。ビオラだかの下降音型だけを残して。
 そして、何事もなかったのように、一番シンプルな、最初の音楽が始まって。

 そう、この曲は未完なんだって。解説によれば遺稿っていう訳ではなくて、もっと前に書かれていたもののようだけれど。とにかく最後まで書いてない。
 別にいいけどさ、未完の曲を演奏しても。ブル9だってモツレクだって未完だし。でも、それぞれ、完成している楽章だけを演奏したり、弟子が書き足したりして、一応曲としての体面を保っているよ、そいつらは。
 何もいきなり、タランティーノの「この部分、フィルム消失」みたいな感じで放り出すこと無いのに。特に編曲byヴィンシャーマンなんだから。
 ホント、あともうちょっとでイキそうだったのに。

 でも、その分。
 アンコールのコラール。主よ人の望みの喜びを、だったっけ。僕の中のバッハの代名詞のこの曲を聴いていて、なんかホントに、ほっとしたんだよね。
 もちろん、メインの2曲も、肩の凝る音楽ではなかったのだけれどもね。でも緊張感はあったのかな。

 もちろん大満足なんだけれど、僕には何がよかったのかよく分からないんだよね。曲がいいのか、演奏がすごかったのか。
 アンサンブルとかソロとか、すごいと思うことはあっても、マイナス面で気になるところは全くないから、それ自体は凄いと思うのだけれど。でもその分、この演奏のここが凄い、っていうところもないんだよね。
 聴こえてくるのは演奏者の音じゃなくって、バッハの音。
 それって、ある意味到達点だよね。
 凄い瞬間に、僕は居合わせたのかも知れないな。

 ボッセには悪いけれど、2004年に代役としてヴィンシャーマンに振ってもらって、大フィルさんはものすごいお宝を発掘したよね。
 もう88歳のおじいさんだけれども、受難曲とか、聴きたいな。

 ただ、ちょっと空席が目立っていてもったいなかったな。シンフォニーホールは大きすぎるけれど、定期にしても大満足の演奏会になると思うのに。

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2008年11月18日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第423回定期演奏会
大植英次:指揮
神尾 真由子:ヴァイオリン
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ブラームス:交響曲 第1番

 まず最初に、ごめんなさい。
 18日のリハーサルの有料見学会。平日の昼間だって言うのに調子に乗ってチケット取っちゃって、案の定いけませんでした。
 もし、行きたかったのにチケットがなくって行けなかった人がいたら、本当にごめんなさい。

 さて。
 今年度の前半は、やたらチャレンジングなプログラムが続いたような気がしたのだけれども、気がつけば今年最後の定期演奏会。
 プログラムはなんと、ベートーヴェンとブラームス。なんて王道なんだろう。
 かなり早くから、この演奏会はSold outだったね。去年聞き損ねたオオウエエイジのブラームスがあったからかな。あれは4番だったね。
 というわけで、通路のすぐ後ろの僕の席の前にも、当然のことながら補助席が並ぶ、満員の演奏会、どんな演奏を聴かせてくれるんだろうね。

 最初のベートーヴェン。ヴァイオリン協奏曲。ソロの神尾さんは98年に11歳っていうから、87年生まれ?? まあいいや。才能に歳は関係ないしね。
 棒は好きだなあ、このヴァイオリン。録音は知らないけれど、生でソロのヴァイオリンを聞くときに一番気になるのは、音量だよね。音がオケに埋もれてたら、どれだけすごくても伝わらない。
 その点、この神尾さんはいいよ。はっきりとした分利能の高い音が、オケに負けないでホールを満たしてね。ヒラリー・ハーンのときほどの衝撃はないけれど、結構長い協奏曲、眠くもならずに楽しく聴けたよ。
 何度目かのカーテンコールでアンコールやって、その後も何回も呼び出される大阪の聴衆にはちょっと戸惑っていたみたいだけれどもね。
 アンコールなんだっけ? いつもはホワイトボード確かめるんだけれど、つい忘れちゃったよ。でも、神尾さん、要チェックだね。

 そして、その後はブラームス。
 どうでもいいけれど、オオウエエイジちょっと痩せた? 顎のあたりがすっきりして、顔が小さくなった印象があるよ。ダイエットならいいけれど、健康には気をつけてね。

 ブラームス。
 そういえば、じいさんのコンサートに始めていったときの曲が、ブラ1だったな。
 朝比奈の三大Bと言われつつ、ブルックナーやベートーヴェンほど思い入れがないから、実はあんまり曲をよく知っていないのだけれども。
 それにしてもよく鳴るオケだね。
 僕の好きなホルンのヒトはこの前退職しちゃったんだっけ? ちょっと寂しいけれど、今日のソロも、すごいよかったよ。

 あらためて、僕は曲をよく知らなかったからだと思うのだけれども、ブラ1ってこんな曲だったんだ。
 こんな、っていうのは、別に貶しているのでも褒めているのでもなくて、文字通りの意味なのだけれども。
 こんな、大運動会的なフィナーレだったんだ、って。
 その前からね、オオウエエイジが全く指揮を止めてオケに任せっきりになるところがいくつかあって。
 少し前に読んだじいさんの評伝で、「じいさんの指揮棒が丸を書き始めたら、それはよきにはからえっていう合図だと思ってた」って言う楽団員さんの言葉があってね。それより分かりやすいよね、オオウエエイジの「よきにはからえ」。そんなことを思いながら観ていたよ。

 この日の演奏会で、ちょうど買おうかどうか迷っていたじいさんとアフィニスのブラ1があったから、買っちゃったよ。
 まだ聴いていないけど、オオウエエイジのブラ1とどうちがうのか、ちょっと楽しみだな。
 

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2008年10月23日
大阪フィルハーモニー交響楽団 スペシャルライブ
下野竜也 × 外囿祥一郎
下野竜也:指揮
外囿祥一郎:ユーフォニアム
丸谷明夫:司会(大阪府立淀川工業高校吹奏楽部)
ザ・シンフォニーホール 2階CC列25番 A席

ショスタコーヴィッチ:祝典序曲
アーノルド:ピータールー序曲
M.エレピ−:ユーフォニアム協奏曲
A.リード/中原達彦編曲:アルメニアンダンス・パートI
J.S.バッハ/M.レーガー編曲:コラール前奏曲 おお人よ、汝の罪の深さの大いなるを嘆け
レスピーギ:交響詩 ローマの祭り

 もう終息してるのかも知れないけれど。巷では吹奏楽ブームなんだってね。
 僕らが中高のときにも、ちょうどそういうブームがあったな。ブラスジャーナルとか何とかピープルとか、吹奏楽関連の月刊誌もいくつかあったりして。休みの日には原宿にヤマハのグレイのケース担いだブラバンな人たちが集まって合奏したりとか。僕も一回いったことあったな、そういえば。

 その後、1986年の埼玉栄のダフクロから、僕はずうっと吹奏楽を離れていたのだけれど。
 ちょっと前にBlogに書いたように、テレビでやっていたギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の演奏会を観たら懐かしくなっちゃって。ネットオークションで栄のダフクロのCD買ってみたりして。
 そういう意味では、僕もプチ吹奏楽ブームなんだよね。そういえば、この前横浜で、お昼時に県警のブラス隊がビルの吹き抜けでやっていた演奏で、四半世紀以上ぶりにスパニッシュ・フィーバーなんてやってたな。この曲やりたいっていってた、アルト吹きの女の子、パッチギの沢尻エリカに似てたな。どうしているんだろう、今ごろ。

 そんな中で、大フィルさんのスペシャルライブ。これは、吹奏楽で良く取り上げられる管弦楽や、吹奏楽のオリジナル曲をオケにアレンジしたりして演奏するコンサートなんだけど、行ってきたよ。
 最初は迷ったんだけどね。中高の、吹奏楽部員のためのコンサートに、おっさんが席を取ってしまっていいのだろうか、って。浮くんじゃないだろうか、って。
 まあ、でも楽しそうだから、結局はいつもの通り、チケットを握りしめてしまったのだけれど。

 この日は、東京から直行だったんだよね。早起きで眠い頭を、帰りの新幹線ですっきりさせて準備万端、コンサートに臨むはずだったのだけれども。帰りに開いた本がとっても面白くって、結局読み通してしまって一睡も出来ず。大丈夫かなあ。
 そんな訳で、福島駅から歩いたのだけれども。
 あれ、いつもと違う。
 この時間、駅から離れる方向に向かうのは、大体シンフォニーホール行きで、いつもはオッサンばっかりなのだけれど。この日は、制服姿の高校生、去年まで制服着てたような人たちでいっぱい。
 やっぱり、学生さん半額みたいにして組織営業したのかな。お酒飲めるの、僕だけだったらどうしよう。ちょっと不安だったんだよね。
 でも、会場に行く途中で入った食べ物屋さんで、吹奏楽部のOG一年生くらいの女の子二人組が、
「この前朝から晩まで練習でな、久しぶりやし唇めっちゃきついねん。そしたら先輩がな、2曲くらいは1st吹かなあかんっていってな、エイトの曲で譜面もらってんけど、エイトの1stって、ひたすらきついやんか、伸ばしが。・・・」
 とかいう会話をしていて。ああ、エイトってまだあるんや、って、なんか嬉しかったな。(エイトってね、ミュージックエイトって言う、吹奏楽用の譜面のレーベルなんだけれど。流行歌とかをみんなで楽しもう、っていう感じでお安く、早く出してくれる、ありがたい譜面なんだよね。お世話になりました)

 会場に着いたらね、思ったより制服比率は多くなくって、特に二階席にはほとんどいなくって一安心。別にいやな訳じゃないけれど、ちょっと落ち着かないんだよね。
 でも、やっぱり定期とかに比べると、平均年齢半分くらいに、若い人多かったなあ。

 演奏会はね、吹奏楽の世界では有名な、大阪府立淀川工業高校の丸谷先生が司会をされて。とはいえ僕は全く知らなかったのだけれども。市立川口の信国センセイとか、埼玉栄の大滝先生みたいなもんなんだろうね、こちらでは。
 その丸谷先生、満員御礼で感極まっていたから、企画から選曲まで、いろいろ関わっていたんだろうね。

 あらら、もうかなりの文字数を使っちゃったから、演奏はちょっとはしょるけれど。
 最初は、吹奏楽で良く演奏されるオーケストラ曲。吹奏楽は、勿論弦楽器が無い上に、コンクールだと50人って言う少人数で演奏しなくてはいけないから、弦のパートが味を持つような曲はあんまり取り上げにくいんだよね。どちらかというと管楽器が活躍する曲が多い。
 ショスタコの祝典序曲とか、僕は演奏したことがないのだけれど、そういえばよく聴いたな、あの頃。
 それからユーフォニアムの協奏曲。
 僕は、中学時代はユーフォを吹いていたのだけれどもね、実は。ユーフォって、吹奏楽でしかお目にかからない楽器なんだよね。丸谷先生も言っていたけれど、吹奏楽ではおいしい楽器なんだよね。きれいなオブリガードがみんな廻ってくる。でも、吹奏楽でしかお目にかからない楽器だから、もし僕が高校でもこの楽器を吹いていたら、その後ジャズとかクラッシックとか、そういう音楽に引っぱられたかどうか、ちょっと疑問だよね。そういう意味では、高校でトロンボンに転向させてくれたことに、感謝だよね。
 チューバと一緒で、まず上に音を出す、いわゆる間接音響の楽器だから、協奏曲はちょっと辛かったなあ。もちろん、めちゃくちゃ上手いのはよく分かるのだけれどもね。

 ここから、この演奏会のメインになっていくのだけれど。
 アルメニアンダンス・パートI。
 この曲も、僕は演奏したことがないのだけれど。でも、演奏会やコンクールでは必ず取り上げられていた人気曲。吹奏楽の作曲家としては神様とされているリードの中でも、1,2を争う人気曲だよね。
 この曲は、今回の演奏会のために中川さんていう人に編曲してもらったらしい。
 編曲なのか演奏なのか知らないけれど、原曲ではサックスのソロが、チェロに割り当てられていて。そのチェロの艶っぽさといったらもう。
 ああ、楽しかった。
 せっかく作ったこの譜面、オーケストラの客寄せでも、演奏する吹奏楽から、鑑賞するオーケストラへの移行でもいいから、いろんなところで演奏されるといいね。

 そして。
 やっぱりメインはこれ、ローマの祭り。
 オルガンやバンジョーやバンダ隊。レスピーギのローマ三部作の中でも一番派手なこの曲。ムーティ/フィラデルフィアの大名盤があるけれど、やっぱり生で聴くに限るよね。
 ああ、楽しかったなあ。
 これをきっかけに、吹奏楽のお客さんとオーケストラのお客さん、入り交じって増えたらいいね、両方とも。
 すてきな企画をありがとね、下野さん、丸谷先生。

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2008年10月17日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第422回定期演奏会
ドミトリー・リス:指揮
ダン・タイ・ソン:ピアノ
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

リャードフ:交響詩 ババ・ヤガー
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
ショスタコーヴィッチ:交響曲 第8番

 ダン・タイ・ソンって異様に懐かしい名前だな。僕はあんまり熱心なピアノの聴き手ではないから、あくまで名前だけが、ってことなのだけれども。
 多分、僕が音楽に興味を持ち始めた頃に、ショパンコンクールで有名になったんだよね。勿論見るのも聴くのもはじめてなのだけど。

 そのダン・タイ・ソン。
 すごく、いい。
 クラッシックで、ポロンポロン系のピアニストって、今までほとんど聴いたことないんじゃないかなあ。このまえの小曽根はその意味では期待はずれだったしね。
 ポロンポロン系って、一つ一つの音のタッチが立っていて、全部独立した音に聞こえてくるタイプのピアノのことなのだけれど、僕の中で。
 一番の典型が、山下洋輔。こういうとイメージが伝わるかな。
 そういえば、ダン・タイ・ソンさんは山下洋輔に似てるよね。ちょっと小柄だけれども、メガネをかけたその顔が、そして音が。
 曲もそれに合っていて。いや、山下洋輔にあっているのではなくて、ポロンポロン系のピアノにね。
 パガニーニの主題は、変奏曲のテーマとして有名だったらしいね。さしずめ今で言えば、トリビュートアルバムか競作みたいな感じで、俺も俺もって作っていったんだろうね。
 指揮者のでっかいドミトリーさんから出てくるオケのトゥッティにも負けることのないポロンポロンピアノ。楽しかったなあ。
 プログラムには、ディエス・イレの挿入はリストへのオマージュって書いてあったけれど、これは幻想交響曲のパロディに聴こえるなあ、僕には。
 アンコールの子供の領分。こんな楽しい曲なんだ。ちょっと聴いてみようかな、フランスのピアノ曲。

 あ、このまえに短い曲があったのだけれども、一瞬で終わっちゃったからよく分からないや。短すぎて、吹奏楽コンクールの自由曲にもならないしね。

 そして、休憩はさんで。
 ショスタコの8番。

ここからは、この日のショスタコが良かった、とかショスタコ大好き、とかいう人は読まないでね。

 僕は、ショスタコはめちゃ安だったバルシャイの全集を持っているくらいであんまり意識したことはないのだけれど。あの7番の次の曲、ってことで興味はあったんだよね。
 最初は、7番ほどではないにしろ、開戦前夜のようないつ終わるとも知れない不気味な緊張感が心地よかったりもしたのだけれど。
 長いよね、この曲。
 長すぎ。

 ビオラのソリの凄まじい色気とか、長原君のソロとか、イングリッシュホルンの完璧なソロとか。何より弦楽の緊張感とか。
 聴き所はいっぱいあるんだけどね。だから演奏のせいでは決してないのだけれど。
 長い。
 無意味に長い。

 弦の緊張感と、ブラスの破壊的なトゥッティの繰り返し。
 そして、コーダのトゥッティのあと、スネアのロールで振り出しに戻る、ハイドンのような反則業を3つの楽章に渡って計10回ほども繰り返す、吉本も真っ青のしつこさ。
 4楽章のホルンとオーボエの、字余りでメロディに聞こえないソロ。
 そしてなんと、4楽章で終わらない交響曲。

 二度目の反則業までは笑って済ませてたんだけどね。
 三度目で唖然として、5楽章が始まってからはイライラし通しで。ついに曲の途中で腕時計を見ちゃったよ。

 2楽章で終わってれば、満足して帰ったのにな。
 レニングラードのような緊張感をもう一度、全曲に渡って保つことは無理とあきらめたショスタコーヴィッチが、じゃあ別の緊張感を創ってやれ、っていうことで、なかなか終わらないイライラを味わせようとして創ったんじゃないか、っていう気すらしてくるよね。それかこの曲が終わったら刑務所行きだぞ、とかいわれていたとか。

 オケはよく鳴っていたし、トロンボンを中心としたコラールも、ショスタコっぽくて(っていうか革命っぽくて)好きなんだけれど。

 良かった、この曲オオウエエイジが振らないで。
 だって、嫌いになっちゃうかも知れないもの、いくらオオウエエイジでも。

 あ、勿論、演奏のせいでも指揮者のせいでもないのは分かってるのだけれども、ね。

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2008年9月19日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第421回定期演奏会
ラドミル・エリシュカ:指揮
慶児 道代:ソプラノ
ラナ・シコロヴァー:アルト
ヴァレンティン・プロラット:テノール
マルチン・グルバル:バリトン
大阪フィルハーモニー合唱団
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

ドヴォルザーク:序曲 自然の王国で
モーツァルト:交響曲 第38番 プラハ
ヤナーチェク:グラゴール・ミサ

 工事中です。。

2008年9月15日
尼崎市民交響楽団 第23回定期演奏会
尼崎市民交響楽団
辻 敏治:指揮
アルカイックホール

ヨハン・シュトラウスII世
 喜歌劇 こうもり 序曲
 ワルツ
  美しき青きドナウ
  ウィーン気質
  皇帝円舞曲
シューベルト
 交響曲 第8(9)番 グレート
en.
 ラデッキー行進曲 誰だっけ?

 もうすっかり秋の風物詩として定着した、尼オケの演奏会。今年もいってきたよ。
 なんか年々お客さんが増えているような気がするのだけれど、団員さんの努力のたまものだね。おめでとう。

 さて、今年は、ワルツの年なんだね。J.シュトラウスのワルツを4曲、第1部に持ってきた。え、こうもりはワルツじゃないって? そうかなあ。この曲のワルツ部分を含めて、4曲のワルツっていう流れが、ものすごく面白かったから、今回はワルツとして取り上げたんだと思うんだけどなあ。

 ワルツって、難しいよね。
 有名な曲が多いけれど、プロのオーケストラのコンサートでは、少なくとも僕の行くような定期演奏会的なお堅い演奏会では、ほとんど聴く機会もないし、一番有名なウィーンフィルのニューイヤーコンサートなんて、ただの酔っぱらいと宿酔いの集まりだし。
 そう考えると、きちんとスタジオ録音されたワルツと正対して聴くのって、数年に一度『2001年宇宙の旅』を観るときに流れるドナウくらいのものかしら。あとは名曲アルバムとか。
 僕は、交響曲とかの大作が好きで、序曲以下の小品はあんまり聴く機会がない、っていうのが大きいのだろうけれど。
 そして、僕の持っている唯一のCDは、だれかにもらったムーティのニューイヤーコンサートだから、あんまり語れるものではないのだけれど。
 でも、難しそうなのは分かるよ、何となく。

 クラッシックで、と言うより、オーケストラのために作曲された音楽で、粋、っていうものが要求されるのは、ラヴェルやドビュッシーみたいなフランスものと、それからワルツだよね。この二つと、あとチェコ音楽は、地元のオケにはかなわないことになってる。
 それってなんなんだろう、っていうと、きっとノリの方言、なんだよね。
 僕がむかしブンチャカやっていたバンドで、たまに演歌をやるとものすごく上手かったし、「そこ、ちょっとタメて」っていうだけで、完璧に揃うことが出来るんだけれども。でもハイソ(早稲田大のビッグバンドね。学生バンドとしては日本で1,2を争ってる)とかできちんとジャズをやってる人間が入ると、「どうしてもこのノリだけは再現できない」とかいって本気で悩んでるんだよね。
 アメリカのビッグバンドに、演歌の伴奏やらせてみることを想像すると、ちょっと恐ろしいものね。
 それとおんなじで、ワルツには超ローカルなノリがあるんだろうな。それが、日本人を含めて他の地域の人たちには難しいんだろうな、って。
 そういうことを、聴きながら納得した演奏だったよ。

 一曲目、こうもり。
 これまで何年も観ている中で思ったのは、指揮者の辻さんは、結構細かくテンポを動かす人だよね。楽器のスキルは劣るけれど、各曲の練習時間をたくさん割けるアマチュアオケにはそれがいいアプローチだと思うのだけれども。
 だから、このこうもりのワルツ部分でも、結構動かすんだよね、テンポ。3拍目と次の1拍目の間を長くとって、タメを作ろうとする。
 ワルツは踊るための音楽だから、タメようっていってもそう極端には出来ないんだけど、これは序曲だからいいか、って思ったかどうか知らないけれど、かなり極端にタメようとして。そこまで極端になれないオケとの葛藤が、面白かったなあ。

 二曲目、ドナウ。
 2001年宇宙の旅しかしらない僕は、ドナウがこういう始まり方をするのって知らなかったのだけれども。でも、面白かったなあ。
 楽器が暖まりきる前に大役を任されて緊張気味のホルンだけれど、それでもピッチがぴったりなのは凄いね。これぞアマチュアの練習量なんだろうな。
 この曲は、練習番号ごとにめまぐるしくテンポが変わるんだね。その切り替え部分にタメを作るのに神経を使ったのか、フレーズの中はかなりインテンポだったよね。
 それが朴訥な味になって、この有名曲が面白く聴けたよ。

 次の、ウィーン気質。
 ここらで緊張が解けてきたのかな。ほとんどインテンポの中でタメを作るっていう、ダンス音楽の基本が一番良くできてたんじゃないかなあ。僕は、この演奏が一番好きだなあ。

 最後の皇帝円舞曲になるとね、リラックスしてちょっと余裕の出てきた辻さんが、少し遊び心を持ったのかな。最初のこうもりみたいに、かなりテンポを揺らしたのだと思うけれど。
 それに完全には追随しないオケと、指揮者の間に入って悩むスネアドラムがすごく面白かったな。

 この4曲で、ワルツの難しさと楽しさと、演奏者の楽しみと苦労が垣間見れて、とっても楽しかったな。

 休憩後は、シューベルトのグレイト。
 シューベルトって、かなり昔のヒトだと勝手に思っていたのだけれど、第九のあとなんだね、作曲されたのって。
 今回の演奏を聴いていて思ったのだけれども。シューベルトって、もっと評価されて然るべきだよね。あ、評価低いのは僕の中か。

 つまりね。
 モーツァルトやハイドンの時代の交響曲ではなくて、きちんとしたシリアスな交響曲で。(異論のある方ごめんなさいね)
 ベートーヴェンやマーラーのように自己主張が強くなくて。
 チャイコフスキーやドヴォルザークのようにメロディに頼っていない。
 そういう、交響曲の王道と言ってもいい位置に、シューベルトの交響曲っているのではないかしら。(ブルックナーと一緒にね\(^O^)/)
 そして、その上シンプル。
 つまり、王道のアプローチで演奏すれば、きちんと立派に鳴る、ってこと。

 そして。
 王道のアプローチを立派に取ったのが、今回の演奏だったと思うよ。
 自信に満ちたホルンから始まる一楽章。
 オーボエに被さるクラリネットが完璧な二楽章。
 そして、弦楽のアンサンブルが前衛的な響きを醸した三楽章。これ、なんなんだろう。グリッサンドを多用してるからなのか、その結果ピッチが戻り切れてないからなのか知らないけれど、なかなかシュールだったなあ。あ、これ、褒め言葉ね。
 僕のこの曲のリファレンスはムーティ/ウィーンフィルなのだけれど、ちょっと聞き直さないといけないな。
 それから、堂々のフィナーレ。

 かなり長い曲だよね、これ。
 でも、全然そんなこと感じずに、第一部の作り込んだバランスとうって変わった開放感にあふれた演奏、楽しかったよ。

 アンコールはラデッキー行進曲。
 懐かしいなあ。僕も演奏したことあるよ。ちょっと得した気分。

 いつもながら、お疲れ様でした。
 きっとおいしいお酒が飲めた演奏会だったと思います。僕も楽しませてもらいました。
 また、よろしくおねがいします。
 

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2008年7月24日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第420回定期演奏会
アレクサンダー・リープライヒ:指揮
フランシスコ・フローレス:トランペット
天羽 明恵:ソプラノ
浦壁 信二:ピアノ
ザ・シンフォニーホール 1階O列31番 A席

ハイドン:交響曲 第39番
ハイドン:トランペット協奏曲
ジョリヴェ:トランペット、弦楽とピアノのための小協奏曲
マーラー:交響曲 第4番

 いやあ、暑いね。
 言っても涼しくならない事は分かっているのだけれど。オーケストラって8月がシーズンオフなんだよね。どうでもいいけれど、新しいATOKでシーズンオフって書いたら、off-seasonってでてきた。すごいね。

 今年度に入って、ほとんど二日目に聞いていない大フィルさんの定期。今回も都合で一日目に振り替えてもらって。いつもより少し後ろの席で聴いてきました。

 しかし、今回もすごいプログラムだよね。ハイドンとマーラー。なんなんだろう。
 まあ、本当はあんまり気にしていないのだけれども。

 今回、ゲストはラッパのソリスト。ラッパのソリストって、いたっけ、これまで。一回見たような気もするけれど、ホルンだったかな。よく分からないけれど、それくらい珍しいんだよね。
 僕はブラス吹きだから、嬉しいのだけれど。でも普段は、ほとんど聴かないんだよね、吹奏楽器のコンチェルトって。ウィントン・マルサリスのCDをいくつか持っているくらいで。まあ、弦楽器だって、ヒラリーちゃんと諏訪内さんくらいしか持っていないから一緒だけれど。

 ハイドンってね、僕は嫌いじゃないよ。特に好きでもないけれど。この時代の、バロックの人ってね、予想と違う事やらないから、聴きやすいんだよね。松田聖子以前の歌謡曲と一緒で、全然知らない曲でも一緒に口ずさめる、みたいな。
 だからテンション保って聴くのはちょっと難しくてね。前日3時間睡眠の影響を受けて、最初の交響曲、逢わせて1楽章分くらいは、うとうとしちゃったな。
 気持ちよかったんだもの。

 うわっ。
 今、プログラムを見て気がついたのだけれど、あのでっかい指揮者、同い年なんだ。だからなんだ、っていわれても困るけれど。

 次に入ってきたラッパのお兄ちゃんは、ずいぶんと若い子でね。クラッシックのラッパって、どんな音がするんだろう。楽しみ。

 ラッパの曲は2曲あったのだけれども、ハイドンはもちろんハイドンで。でも面白かったのは次の曲。ハイドンが亡くなってから100年近く経って、二十世紀の初めに生まれたジョリヴェっていう人が、ラッパのコンクールの課題曲のために書いた曲なのだけれども。三本のミュートやフラッターを駆使して、取っても楽しい曲だったよ。
 超絶技巧、なんだろうけれどもね、当時は。あんまりにも自然に吹いちゃってるから、sんなに難しい曲に聞こえなかったのだけれども。
 3本のミュートをつけ替えたり外したりして吹きまくるのだけれど、どうしてもミュートの時の音が、外したときに比べて負けちゃうんだよね。ミュートって弱音器だから、あたり前なのだけれど。
 もちろん生音とレコーディングの差はあるのだろうけれど、やっぱりマイルス・デイヴィスって偉大なんだなあ、って思っちゃったよ。
 でも、品のいい音に終始するラッパって、普段聴くジャズではあり得ないからね、嬉しかったなあ。

 そして、第二部はマーラー。
 短いとはいえ、マーラーの前座に3曲もいるか、っていう気はするのだけれどもね。

 マーラーって、よく聴くようでとらえどころがないんだよね。オオウエエイジが振った1,2,6それから8くらいはイメージできるのだけれども。今回の4番も、CDはいくつか持っているはずなのだけれど、ちょっと記憶にないんだよね。ふうん、ヴォーカリストが入るんだ。

 演奏は、とても楽しかったのだけれども。でもなんか考えちゃうんだよね。
 ちょうどこのプログラムに、ハイドンやモーツァルトの時代の交響曲という言葉と、ベートーヴェンの交響曲とは全く意味が違う、っていう解説が載っていて。もちろんそれには同意するのだけれど。
 じゃあ、マーラーの、4番ってどっちなんだろう、って思っちゃったんだよね。
 終楽章がソプラノのワンマンショーで、オケとしての凄みが薄れちゃうって事が大きいのだろうけれど。

 それにしても、クラリネットのソロの人、今年入った人だよね。凄かったよ。

 結構短いプログラムが多い定期なんだけれど、拍手が鳴り止んだのは9時半過ぎてたんじゃないかな。ご苦労様。バラエティに飛んだ選曲、楽しかったよ。

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2008年7月14日
中国四川大地震チャリティコンサート
大阪フィルハーモニー交響楽団
宮川彬良:指揮
下野竜也 :指揮
閻 杰 :中国琵琶
三原 剛:バリトン
室住素子:オルガン
ザ・シンフォニーホール 1階I列28番 A席

第一部 Pops
 悲しい色やね〜大阪ベイブルース〜
 エリーゼのために
 よみがえるシンフォニー
 ニュー・シネマ・パラダイス
 メリー・ジェーン
 見上げてごらん夜の星を
第二部
呉祖強:琵琶協奏曲 草原の小姉妹
フォーレ_レクイエムよりI. VI. VII
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 新世界からより 第4楽章

 工事中です。

2008年7月9日
朝比奈隆 生誕100年記念特別演奏会
大阪フィルハーモニー交響楽団
大植英次:指揮
伊藤 恵:ピアノ
ザ・シンフォニーホール 2階CC列21番 A席

モーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番
ブルックナー:交響曲 第9番

スコアのいない、譜面台

 今日は、7月9日。
 2008年の、7月9日。
 1908年7月9日に生まれたじいさんの、100歳の、誕生日なんだ。
 もちろん、じいさんは7年前に逝っちゃったのだけれども。その100歳の誕生日を、オオウエエイジが、ブルックナーの9番でお祝いするコンサート、行ってきたよ。
 ブルックナーの9番てね、じいさんが、大阪で最後に振ったコンサート。
 僕が、最後にじいさんを聴いたコンサート。
 8番を2度振っているオオウエエイジだから、じいさんの誕生祝いには、この曲しかないよね。

 というわけで。
 ちょっとはやめについた、雨のシンフォニーホール。ロビーの階段横には、じいさんのパネルと、楽譜が飾ってあった。
 9番のスコアの表紙裏には、この曲の演奏記録が書いてあって。シカゴの客演から2001年までが手書きで書いてあったから、最後のコンサートに使ったスコアなのかな。
 それと、手書きのパート譜。じいさんが外遊したときに、フルトヴェングラーと逢って。ブル9を振るならば原典版にしなさいよ、っていわれて、あわてて原典版のスコアを買って。
 それをあわてて日本に送って大栗さんに写譜させたって話、どっかで読んだから、このパート譜は大栗さんの手書きかな。
 久しぶりに、じいさんモードだね。

 もちろん、この演奏会は僕にとっても特別な演奏会でね。普段は予習なんて全然しないのに、先週末、ひさびさに予習をしたよ。じいさんのブル9を予習にするのはいかにもえげつないかな、って思って、シューリヒトのライブ盤を聴いたんだ。土曜日に1000円で買ったやつね。
 もちろん、そんなことしても、あるいはしなくても。じいさんの9番、耳に焼き付いてるんだけどね。

 9番って、難しい曲だよね。聴くのが、ではなくって評価が。
 未完の曲だからね。
 ゆったりと荘厳なアダージョで終わるから、体裁は整っているけれど、でも、だからこそ。フィナーレがあったらどんなところまで行っちゃったんだろう、って。未完の曲をありがたがる事が、ブルックナーの本意なのかな、って。そういう余計な事を考えちゃうんだよね。
 だから、家で聴く事も少ないのだけれども。
 でも、とっても大事な曲なんだよね。じいさんの最後の演奏、CDやDVDで聴き返して、技術的に最高の演奏でなかった事は分かってるけれど。でも、そんなことがなんの関係もないくらい、印象深い演奏だったんだよね。

 ああ、今日はオオウエエイジの演奏会だったね。

 カップリングは、モーツァルトのピアノコンチェルト。伊藤惠は、じいさんお気に入りのピアニストなんだろうね。何回か見たよ。ベートーヴェンが多かった気がするけれど。
 パンフレットによれば、ピアノコンチェルトでも、じいさんはベートーヴェンを偏愛してたんだね。モーツァルトよりもベートーヴェンの方がずっと演奏回数が多かったらしい。

 僕は、ピアノコンチェルトをどうこう言う視点を持ち合わせてないから、演奏の事はよく分からないけれど。
 2階席の、じいさん最後のブルックナーを聴いた席に近い席から見た会場は、なんか特別な緊張感に包まれていてね。
 映像用と録音用と、多分両方があったんだと思うけれど、つり下がった大量13本のマイクと、物々しいテレビカメラ。でも、それ以上に物々しかったのは、会場の雰囲気なんだよね。張り詰めた、っていうのかな。
 その空気の中、モーツァルトの最初の数小節を聴いてね。
 ああ、よかった。
 今日は、音が上まであがってきてる。
 つまりは、良い演奏が聴ける、ってこと。
 僕は、多分100回くらい大フィルさんの演奏会に行ってるからね。それくらいは、自分の経験則を信じてもいいよね。

 かなりの長さのある、いつもはちょっと眠くなるモーツァルトのコンチェルト、今日はずっと楽しんで聴いたよ。
 伊藤恵って、いくつになるんだろ。もう既に、昔若かったおネエちゃん、っていう部類に入る、つまりはベテランなんだろうけれど、若いよね。いや、見かけだけじゃなくって。瑞々しい、って言ったらいいのかな、演奏が、ね。

 長く続くカーテンコール。
 アンコールは、モーツァルトのピアノソナタより。有名な、中学生相手のピアノ教室から聞こえてくるような曲。
 渾身のコンチェルトのあとに、こういう小品でおんなじ拍手を受けるって、演奏者としてはどうなんだろうね。僕は拍手する気にはなれないなあ。コンチェルトで満足してるからね。

 まあ、それはいいけれど。

 休憩時にロビーに降りたら、テレビカメラがお客さんにインタビューしてたんだよね。
 僕がもし、「オオウエエイジが朝比奈さんのようになるためには、どうしたらいいと思いますか」って聞かれたらどう答えようかな、って少し考えたんだけれども。
 暗譜をやめて、それから登場するときゆっくり歩く事。そんな答えを考えついたんだよね。

 客席に戻ったら、セッティングの終わったステージが見えて。
 ひな壇上段に並んだ弦バス。左右に分かれたホルンとラッパ。ああ、オオウエエイジは自分のブルックナーを演るつもりなんだ、って、嬉しくなったよ。
 そしたら、気がついた。
 指揮者用の、譜面台。
 いつもは暗譜のオオウエだから、指揮台に譜面台なんて、ほとんどないのだけれど。どうしたんだろう。

 そしたらね。
 係の人が、恭しく譜面台においたのは、スコアじゃなくってね。
 じいさんの、写真。

 そうきたか。
 100歳のじいさんに見守ってもらう、そういう演奏をするんだね。オオウエエイジ。

 そして、演奏。

 9番ってね、さっきも言ったけれど、終楽章(フィナーレ)がない、3楽章の曲。
 フィナーレって、山場だよね。クライマックス。もちろん音量的にも、そこが一番大きくなるところ。
 この曲はその終楽章がないからね。そのせいか知らないけれど、1から3楽章までの音量が、ブルックナーの他の交響曲に比べてもちょっと、強弱記号で一つか二つずつ、大きい気がするんだよね。
 少なくとも、7年前のじいさんの演奏では、そうだったんだよね。

 それを蹈襲してかどうか知らないけれど、オオウエエイジも飛ばす飛ばす。のっけの弦から飛ばしまくりで、足つきの9人のホルンがついて行けないくらい。
 僕の席が2階のちょっと左側で、ラッパのベルの真正面って言うのもあって、やけに攻撃的な響きなんだよね。
 じいさんのブルックナーが、そのトゥッティの響きが、湖面に浮き上がってくる巨大な水泡のようだとしたら、今日のトゥッティは、時折流れ弾が飛んでくる、戦場の土煙。
 もちろんだからどうだって訳ではなく、これがオオウエの、現在のブルックナー。

 すごいよね。
 オケがハレーションを起こす前に、ホールの響きがハレーションを起こし気味。
 チューバが、チェロのソリがホールを満たすのは分かるんだけれど、なんと、ほとんど裸のオーボエのソロが、それだけでホールを満たす。
 浅川さん、だよね、オーボエ。加瀬さんではあり得ない3楽章のソロ。涙出てきました。

 異様な雰囲気の観客と、目の前のじいさんの写真に対峙しながら、自分のブルックナーをやり抜いたオオウエエイジ。
 終演後の、望むだけの長さの沈黙。
 それが、今日の演奏を、表してるよね。

 あたたかい拍手の中、団員へのねぎらいよりも、観客への感謝よりも先に、じいさんの写真に語りかけるオオウエエイジ。ありがとう、って言ったのか、どうだ見たか、って言ったのか、ただキスをしていたのか分からないけれど、ずっと、譜面台の写真に顔を埋めていたオオウエエイジ。
 振り返って、その写真に加えて、胸ポケットからもじいさんの写真を取りだしたオオウエエイジ。復活の時と、おんなじ写真だね、多分。

 終わらない拍手。
 あきれ果てて帰る楽団員。
 でも、終わらない拍手。

 そして、無人のステージに出てくる、オオウエエイジ。
 満場のスタンディングオベーション。
 いわゆる、一般参賀。

 じいさんの記念特別演奏会だからね、やっぱりこれもやらないといけないよね。

 下手最前列の、一番いい席に陣取っていた高校生の男の子達は、一般参賀にもきょとんとして、そこだけ座っていたけれど。
 楽しんだもん勝ちだよ。人生も演奏会も。
 がんばって、大人のお遊び、覚えてね。

 ありがとう、オオウエエイジ。
 ありがとう、じいさん。
 じいさんの演奏や想い出、僕はこれからも大切になぞっていくけれど。でも、それと同じくらいに、生で聴けるオオウエエイジ、これからも大切にしていくよ。

 がんばれ、大フィルさん。

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2008年6月7日
The 50th Anniversary Osaka International Festival 2008
Osaka Philharmonic Orchestra
under Eiji Oue
フェスティバルホール 2階D列L2番 S席

モーツァルト:交響曲 第36番
マーラー:交響曲 第1番

 さて。
 きちんと向かい合わなくっちゃいけないね。
 あの演奏と、フェスティバルホールと、大フィルさんと。

 この演奏会は、大阪国際フェスティバルっていう、フェスティバルホールを舞台に毎年行われている国際的なお祭りの一部で。そのお祭りは今回で50回目で、そして、今回でしばしのお休み。
 フェスティバルホールが、立て替え工事に入るから、会場がなくなっちゃうんだったら、っていう事で、お休みに入るんだ。

 僕にとっては、第九以来のフェスでの大フィル、オオウエエイジ。そして、二度目のオオウエエイジの巨人。

 フェスって、大きいよね。
 あんまり大きくて、じいさんがいなくなってから、フェスを鳴らし切った演奏会って、そうそうないんだよね。
 オオウエ時代になって、シンフォニーホールを鳴らし切る事はできるようになった大フィルも、会場がフェスに移ったとたん、おっきくてデッドな音響に、ちょっと期待からはずれる事が多かった気がするなあ。
 今日は、ひさびさのフェス、そして二階席だから、心配半分だったんだよね。ホントのはなし。

 フェス二階から見下ろすステージ。最初はモーツァルトだから、フェスのステージにしてはこぢんまりの編成なのだけれど。あれ、両翼にヴァイオリンがいる。空いてる弦バスは上手においてあるから、マーラーは普通の置き方なんだ。面白いの。

 そして、モーツァルト。
 あ、やられた。

 僕はモーツァルトを生で聴く事に、あんまり興味を覚えていなくてね。曲が完成されていて、なおかつどっから切り取ってもモーツァルトの匂いがぷんぷんしてるから、演奏者の匂いがあんまりしないんだよね。(っていうか僕が感じられないんだよね)
 だから、40枚組のモーツァルトをBGM代わりに聴く事でかなりのところ満足してしまうのだけれども。

 でも、このモーツァルトはね。
 っていうか、この響きはね。
 なんか違う。今まで聴いた事がない、響き。
 小さい編成からでてくる音は、ざらっと感にあふれていてね、それでいて、フェスの大きさに負けてない。響き渡るんじゃなくって、漂う、っていうのが近いのかな。
 ふわふわとそこにあって、会場全体は知らないけれど、僕の周りは確かに満たしてる。そんな、今まで聴いた事がない音。
 これがオオウエエイジらしさかっていうと解らないけれど、でも、そこに人が居て、確かに呼吸をしながらモーツァルトを演奏しているんだ。
 そういう生々しさ、決して汗臭さじゃなくって、演奏者の息吹を確かに感じたモーツァルト。不思議な演奏でした。

 そして、休憩のあとのマーラー。

 僕は、甘く見てたんだろうな。
 マーラーにシンパシーを持ちつつ、じいさんが決して振らなかった一番。
 コバケンやオオウエエイジの、汗臭い演奏が印象的なせいもあるし、「歌謡曲ですな」っていうじいさんの言葉が脳裏にこびりついているせいもあるし。
 だから、交響曲としてどうなんだろう、っていう、ね。そういう風に、甘く見ていたんだよね、無意識的に。

 でも、見直したよ。
 もちろん、金管楽器ばかりではなく、木管楽器も効果音に使った華美なオーケストレーションや、独立して関連のない、甘美な旋律の羅列を聴いていると、歌謡曲ですな、っていうのもよく分かるのだけれどもね。
 でも、その上で。
 ど頭の、袖で演奏したラッパの音から、思わず居住まいを正しちゃったよ。
 このラッパのトップ、新しい人なんだっけ。袖のソロだけじゃなくって、全部に渡って完璧。すごい。思わずブラボーって声かけちゃいました。それは終わった後の話だけれど。
 ラッパが遅れて入ってくるときに、忍び足なんだけれど鴬板のステージがきーきー鳴ってたのはご愛敬。
 モーツァルトと変わって、普通の配置に戻ったけれど、納得したよ。マーラーの低弦は、右からきこえてこなくっちゃね。

 さっきのモーツァルトの流れから、音に包み込まれはするんだけれど、決してハレーションを起こさない、分解能の高い状態は続いていてね。マーラーのオタクじみたオーケストレーションのギミック、十分に楽しんだよ。
 特に、オーボエとクラリネットだっけ。ちょっとずつずれながらおっかけっこをやるところとか、最高。

 巨人のフィナーレって、こんなに長かったんだ、っていうほどの長大なフィナーレを、だれずにばてずに乗り切ったオオウエエイジと大フィル。前に聴いた時みたいに力任せのイケイケじゃなくって、しっかり聴かせてくれたんだね。
 しかも、フェスを満たした音の洪水。力任せのハレーションじゃなくって、完全にコントロールされた熱狂。
 これがオオウエエイジなんだよね。

 降りかかるブラヴォーコールの中、何度目かのカーテンコールで、オオウエエイジが口を開いた。

「あんまりアンコールはやりたくないんだけれど、皆さんにどうしても聴いていただきたい曲があります。
 もともと、この1番は、5楽章からなる交響曲でした。最初の数年は、マーラーも喜んで5楽章で演奏してたんですが、数年後、出版社が出版するときに、勝手に短くしちゃったんです。大阪知事と同じように、紙がもったいないとかいって。
 その後80年、この楽章は全く失われてしまいました。もう一度出版されて、今ではたまに、5楽章で演奏される事もありますけれど、そうなるまでに80年かかったんです。
 この曲、花の章、ぜひ皆さんに聴いていただきたい」

 そして、花の章。
 僕は、涙が出てきたよ。
 だって、あんまりにもきれいな曲なんだもの。
 この、あまりにもきれいな曲も、出版社の都合で勝手になかったものにされちゃったんだよね。復活するのに何十年もかかったんだよね。

 ちょうど、このコンサートの前の日に、橋下府知事の下で府の財政再建プログラム試案が示されてね。大フィルに支出されていた補助金、貸付金合わせて1.2億円あまりが、廃止される事がしめされたんだ。
 それを受け手の、花の章、なんだけどね。

 こんな綺麗な曲、作曲者の意図に反して削除したらダメだよね。発掘されて復活しても、4楽章で通っちゃった曲は今更元には戻らないんだよ。
 そんなこと、ダメだよ。

 じいさんが作った楽団。戦後の焼け野原に響いた新世界、みんなの勇気になったじゃない。
 オオウエエイジになってから、大阪城や御堂筋で、今までクラッシックなんて聴いた事ない人達に、楽しくってちょっと心が温まる時間、提供してきたじゃない。
 非常時だっていうのは理解するけれども。だからって、今まで創ってきた伝統、文化、つぶすのって簡単なんだよ。でも、復活させるのは、並大抵じゃないんだよ。
 できないよ、そんなこと。

 だから、全額とはいわないけれど。
 全廃なんて、いわないでよ。

 そんなこと考えてたら、涙が出てきたよ。
 花の章。

 がんばれ、大フィルさん。

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2008年5月25日
ayumi hamasaki ASIA TOUR 2008 ~10th Anniversary
浜崎あゆみ
大阪城ホール アリーナI列22番(くらいだっけ)

 結局、去年のあゆのコンサートの記録を、僕は書く事ができなかったんだよね。
 去年のあゆ、それは僕のあゆ仲間の、ずいぶん大きな転機と重なっていてね。だから、もしかしたらこれで最後になってもしょうがないなあ、回数も二桁に乗ったし、っていう事で、ずいぶんナーバスになってたんだろうな、きっと。
 コンサート自体は、初のアジアツアーっていう事で、懐かしのメロディーてんこ盛りで、それは楽しめたのだけれども。でも、久しぶりにスタンド席から観た事もあって、それはなんか、ノスタルジーに浸ってしまうコンサートだったんだ。
 あ、これは去年の話ね。

 結局、今年もいつもの通り、なじみのあゆ仲間と再会を果たす事ができたのだけれども。

 と言うわけで、一年ぶりの城ホール。今日はアリーナ、それも花道かぶりつき。

 正直に云うと、僕はこの頃のあゆの熱心な聴き手ではなくってね。CDもDVDも購入するけれど、CDは一度二度聴いてあとはiPodのランダム再生だし、付録のDVDはおろか購入したDVDもほとんど観てない状態なんだよね。
 だから、あんまり偉そうな事は言えないのだけれども。
 僕の中で、浜崎あゆみのピークはね、ずいぶん昔の話になって申し訳ないのだけれど、アルバムDUTYの、Dutyとvogueの間、なんだよね。つまり、この2曲が極大点。それからずいぶん経ったけれど、未だに輝きを失ってない2曲なんだよね。

 今回のステージはね、そんな僕におあつらえ向きの、懐かしの、この頃あんまり聴けなかった曲のオンパレード。
 そういうと、この頃の曲がおもしろくないみたいだけれど、そうではなくってね、僕が一緒に歌えるのが、A BESTの頃の曲だけだっていうのが一番大きな理由なのだけれどもね。

 今回もアジアツアーっていう事で、これまでのライブのいいとこ取りプラスαを狙ったんだと思うけれど。ピンクのミニの制服からSM系ボンテージなどなど、おいしいところ詰め合わせ。しかも今回は花道かぶりつきだから、あゆが花道に着たときには、最短推定5メートル。あゆかわいい。昨日の打ち上げの後遺症か、ちょっと顔ぱんぱんだけれども。でもかわいい。

 今回のクライマックスはね、これまでに全く観た事がない、吊しもののダンス。白い布が二本ずつ垂れ下がっていてね、そこを三人のダンサーさんが昇っていって、出初め式のような舞を舞うのだけれども。
 これはね、今までのあゆステージの中でもダントツの舞。どうやったって命綱が張れるタイミングじゃないところを、腕と、アシに巻き付けた布の摩擦係数だけで身体を支えて。あまつさえ推定10メートル以上を落下して、唄ってるあゆのすぐ上で、布の締め付けだけを頼りに身体を止めたりして。
 ごめん、全く描写ができていないのだけれども。つまりはものすごいアクロバット。
 そして、下で唄ってるのはEnd Roll

 もう戻れないよ
 どんなに懐かしく想っても
 あの頃確かに楽しかったけど
 それは今じゃない

 君は、どこにいるの
 君は、どこに行ったのか
 遠い旅にでも出たんだね
 一番大切な人と

 そして、
 衣装替えのあとの一発目が、SURREAL

 lalala
 どこにもない場所で
 わたしは、わたしのままで立ってるよ
 ねえ君は、君のままでいてね
 そのままの、君でいて欲しい

 僕は、想いだしたよ。
 アイドルなんてケッ、って思ってた十年近く前の僕が、なんであゆを好きになったのか。
 僕のあゆ友は、長瀬君の思いでコンサートだったね、っていっていたけれど。でも、この曲達は、長瀬君と別れる、ずっと前にできてた曲なんだよね。
 つまり、ずっと痛みに耐える準備をしてたんだよね、あゆは。
 その、痛みに耐える強さや弱さを飛び越えて、常に痛みに備えなければいけない、それ自体の痛みに、僕は共鳴したんだよね。
 その痛みは、アルバムI am...を頂点にして、強さに置き換わっていくのだけれども。
 その頃のあゆの、まだ喉も出来上がってなくって、ツアーの途中で声が涸れてシャウトするしかなかった頃の、あの痛さが久しぶりに甦ってきたよ。

 ボンテージを着て、推定5メートルで唄うあゆの後ろ姿を観てたら、露わになった肩から二の腕にかけて、年齢相応の脂がのっているのに気がついたんだ。
 なんか、安心したな。
 エイベックスを一人でしょってた頃の、体脂肪一桁のあゆもいいけれど、でも、やっと。人間らしいスタンスをやっと手に入れたんだな、って。
 余計なお世話かもしれないけれども、嬉しかったな。

 PAの問題なのか、ちょっと耳を気にする様子があって、少しだけ気になったのだけれども、プロフェッショナルのボーカリストに、それは失礼な心配だよね。

 ともあれ。
 久しぶりに近くから見る等身大のあゆ。

 やっぱり、あゆかわいい。

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2008年3月13日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第416回定期演奏会
高関 健:指揮
ジャニーナ・フィアルコフスカ:ピアノ
ザ・シンフォニーホール 1階H列34番 A席

ショパン:ピアノ協奏曲 第2番
ブルックナー:交響曲 第5番

 ブルックナーの、5番。
 
 最初の弦のピチカートと、それに続くブラスのコラールを聴いて。
「なんて即物的な、ブルックナーなんだろう」って。
 それは、音の始まりと終わりをきっちりタンギングして音価いっぱいに伸ばす、蒲鉾音型のチューバが醸すのか、ラッパからホルン、トロンボンまで完璧なバランスが醸すのか、はたまた一瞬の揺るぎもないティンパニが醸すのかは分からないけれど。
 それは、官能に訴えるよりは、物理に訴える音、なんだよね。
 それ自体は、別に褒めているつもりでも、けなしているつもりでもなく。
 ただ、その時点で、そこからえられるある程度の満足感と、その延長線上からは決して得られない恍惚感が見えてしまったんだ。
 でも、驚くべきことに。
 演奏が進むにつれて、最初に予想した満足感を遙かに、どんどん上回っていったんだ。恍惚感は、膨らまなかったけれど。
 
 ブルックナーの5番は、よくゴシック建設に例えられて。ゴシック建設っていうものが本当はよく分かっていないのだけれど、まあ、周到な計算のもとに創られた、石造りの巨大な建造物、っていう理解であながち間違えてはいないと思うんだ。
 僕も、今までそれで納得していたのだけれど。今日の演奏を聴いて、数日前に訪れた、とある城下町の石垣を思い出したんだ。
 そこのお城はね、永きにわたって補修や増築を繰り返したから、いろいろな時代の技術が混在していて。石垣でいえば、自然の石をそのまま積み上げた古い時代から、少し面取りをして、計算しながら積み上げた時代、そして、直線的に加工できるようになってからの、隙間なく積み上げられた時代の三つに大別されていて。
 そういう眼で見ると、じいさんのブルックナーは、真ん中の時代の石垣なんだよね。のみ一本で削りだしたように荒削りなんだけど、全体として調和がとれている。それがオオウエエイジの時代になって、より緻密な工作が可能になった。その結果としての、今日の5番。全ての音が、綺麗に直線的に加工されて、収まるべきところにぴたっと収まるような、そんな演奏。
 そうやって造られたお城の石垣を見て、刊行に訪れていた老夫婦が言っていた言葉は、「これって、昔のものじゃないわよね」。それは、多分に風情のなさを嘆く感情が込められていたと思うのだけど。
 
 今日の演奏も、全くその通りの聴き方をしていたんだ。最初はね。
 遊び幅のない、緻密なアンサンブルは、演奏の最初から、最後に訪れるカタルシスを予想させてしまって、実際その通りに進んでいった。
 でも、それってすごいことなんだよ。
 面取りだけした石垣には、隙間にちっちゃい石を突っ込んで、っていう愛嬌が許されるけれど、直線的に加工した石垣には、そういう遊びは許されない。設計図の通り忠実に組み立ててあたり前、寸分でも狂ったら目も当てられない。
 それを引き受ける覚悟をした上で、80分間、全く裏切らない綱渡りを成し遂げる。それは、どえらいカタルシス、なんだよね。結果的に。
 
 遠慮なしに、しかもコンスタントにバリバリのトロンボンを筆頭に、ホルンのソロも含めてブラスが絶好調で。(ほんのちょっと、通常あり得ない高音を外したホルンを貶す人がいたら、僕はその人を軽蔑するなあ)
 寸分の隙もなく組み立てられた大伽藍。
 そして、その大団円。コーダ。
 僕は、汗だくになったよ。
 じいさんのときには、アシを入れて、金管倍増でのコーダだったんだけど。その効果は絶大で、とてつもない浮遊感を懐かしく思い出したんだけれど。
 今回は、なんと。
 アシなしなんだ。アシなしで、シンフォニーホールをブラスの響きで埋めつくした。
「アシを入れようとしたら、『俺たちが倍吹くから、アシ入れなくてもいいだろう』っていうんですわ、シカゴ響の連中」そういってたじいさんの言葉、思い出したよ。
 大フィルのブラスも、そこまで成長したんだね。嬉しいよ。
 
 最後はホンと、汗だくになって聴いてたよ。堅実で分かりやすい指揮の高関さんは、5番にぴったりだったね。
 官能的ではないけれど、メカニカルな正確さが創り出す快感、っていうのはあるんだね、間違いなく。
 
 しかし、やっぱり。
 5番はCDには入りきれないね。これからも、生演奏楽しみにしてるよ。

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2008年3月9日
BAN BAN BAZAR
金沢 もっきりや

 ずいぶんと久しぶりに、何個目かの故郷を訪ねることがあってね。ずいぶんと久しぶりに、昔よく通ったジャズ喫茶にいったんだ。
 そのジャズ喫茶は、夜はお酒も出すし、不定期にライブもやるんだよ。山下洋輔とか、浅川マキとか、日本人のジャズを、いろいろ見たな。渋谷毅のとなりに座ったりとか、山下洋輔のピアノにさわりながら聴いたりとか。狭い箱に詰め込むだけ詰めるから、お客さんと演奏者の距離が近いんだよね。
 あ、思い出話はいいんだった。
 日曜の朝に用事が済んでね、みんなはそのまま帰ッたのだけれど、なんかもう一日、久しぶりの街を散策したくてね。その日も泊まることにしたんだ。おいしいお魚を食べたかったのが大きいのだけれども。
 そうしたら、忘れてたのだけれど。日曜日は、たいがいの飲み屋さん、お休みなんだよね。市場がお休みだからね。これまた僕がよく行った、お目当てのお店もお休み。ああ、夜、どうしよう、って思いながらメニューの増えた喫茶店で、ジャズを聴いていたのだけれども。
 
 そしたらね、なんかずいぶんライブの頻度が増えていて、そのお店。ちょうどその日のライブもポスターが貼ってあった。
 全然知らないバンド名だし、メンバーなんだよね。ギターが二人にウッドベース。それしかわからない。しばらく、それだけの情報でどんな音楽なのか推理して楽しんでたんだけれどね。
 やっぱり我慢できなくなって、マスターに聞いたんだ。15年前とほとんど変わらない、ちょっと白髪の割合が増えたマスターに。
「今日のライブ、どんな感じの音楽なんですか?」(東京弁で)
「ベースがジャズで、いろんな、ジャムバンド的な感じかな。楽しいよ」
 そうか、楽しいんだ。じゃあ聴いてみよ。
 ってことで、聴いてみたんだよ。BAN BAN BAZAR。
 
 小さい街も歩き疲れたからね、いったんホテルに戻って。また30分くらい歩いて会場に着いたのだけれども。当日でもチケットがあったから、空いているのかな、とか思ったのだけれど、もちろんそんなことはなくってね。勿論っていうのは、もっきりやのライブで空いてるのって見たことないな、っていうのを思いだしたのだけれども。
 
 お客がひしめくライブハウス。入り口から入って、カウンターのなかをスルーして一番奥のステージにメンバーがたどり着いた。
 僕の席は、なんていえばいいのかな、壁ぎわの長いすの端から二番目。前から数えたら二番目。バンバンバザール等身大。
 
 出てきた音はね。
 ジャズベースのジャムバンド。って聞いていたのだけれど。
 どうやらそうではなく。
 ブルースのコード進行をベースにした、popなんだよね。
 それはブルースやろ、っていわれそうなんだけれど、あんまりブルーじゃなくって、ひたすら心地よくて楽しいから、”コード進行をベースにした”なんてわからない注釈つけちゃっているけれど。
 つまりは、誰もが楽しいと思う音楽。
 勿論僕もね。
 
 ボーカルの福島君(同い年!)の声は、僕の周りの誰かにいているようで思い出せないのだけれど、声変わり前の木村充揮みたいな、声変わり前だけどしゃがれてるぞ、みたいな。つまり、ブルース唄っても楽しくなっちゃうぞ、っていう声なんだよね。
 それから、ギターの富永さん(え、こっちが年下!)の太い指から出てくる音、好きだなあ。
 
 ひさびさにあんまり楽しくて、細かいところすっかり飛んでっているので、まあとにかく聞いてください、としかいいようがないんだけどね。
 休憩はさんで第二部は、ウクレレの音楽。ウクレレって跳ねるんだ。をテーマに、田原俊彦や、憂歌団のカヴァーもあったりして。
 ああ、楽しかった。
 
 帰りに、CD売ってたベースの黒川さんと二言三言言葉を交わしたら、最初のうちはジャズのカヴァーが多かったんだ、って。これがジャズをベース、か。
 そして、今、バンバンのHPを見てみて気がついたんだけれど。ジャムバンドじゃなくって、ジャグバンドなんだね。ジャグバンドってなんだかよく知らないけれど、ジャムバンドじゃなくってよかった、とりあえず。
 ごめんね、CD買わなくって。でも、ライブの方が楽しそうだったんだもの。
 道路でたむろしている福島さんに、大阪から来ましたっていったら、4月になんばに行くよ、って。魅力的だなあ。でもワンマンの方が楽しいかなあ。
 
 ひさびさの小旅行、楽しいおまけをもらったよ。ありがとね。もっきりやのマスターと、バンバンな人たち。

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2008年1月24日、2月15日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第414,415回定期演奏会
尾高忠明、大植英次:指揮
サラ・チャン:ヴァイオリン (414)
小曽根 真:ピアノ(415)
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
エルガー(ペインによる完成版):交響曲 第3番 (以上414回)
ラヴェル:道化師の朝の歌
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー
ベルリオーズ:幻想交響曲(以上415回)

 ああ、そうそう。
 
 このまえの、高関さんのブル5での更新が久しぶりになったけれど、僕は大フィルの定期をさぼっているわけではなくて。
 ちゃんと聴いてるよ。
 オオウエのフランスものも、その前のなんだったっけ、エルガーだったっけ。あれも。
 
 ただ、どうしても言葉にならないんだよね。
 なんにも、心に迫ってくるものがなかったから。
 
 メモ風にいえば、尾高さんのエルガーの交響曲3番は、なんて農耕民族の曲なんだろう。たとえば伊福部さんのゴジラのテーマみたいに、全編タテノリで起伏なし。聴いてておもしろくも何ともないんだよね。8分間に切り取って、吹奏楽でやったら、演奏者はおもしろいんじゃないかなあ、っていう。
 なんで未完のこの曲を、ペインが完成させたのか。その意味を探ろうとしたけれど、分からないよね。そのまま歴史に埋もれさせても、全く差し支えない曲じゃないかなあ、と思いながら聴いてました。
 でも、そのタテノリののっぺり感を延々と聴き続けて、最後にはなんか気持ちよくなってきた自分が一番、許せないんだなあ。
「だいっキライなフュージョンで、泣ける自分がいや」by桜井和寿みたいな心境になりました。

 続くオオウエの415回。
 もう5年目が終わるのかな? 定かではないけれど。そのオオウエエイジが、初の定期での再演として選んだのは、幻想交響曲。
 意味が分からないよね。東京に持って行くから、自分の得意分野で勝負したいのは分かるけれど、幻想。
 おまけに小曽根を迎えてガーシュイン。もう一曲がラヴェル。フランス特集なのか、ただの管弦楽小品集に幻想をくっつけただけなのか読みづらいプログラムだったよね。
 さらに混乱したのが、ラヴェル。
 なにこれ。
 前回のエルガーの魂がまだ残っているかのような、泥臭いラヴェル。オーボエの加瀬さんいなくったって、もう少し小粋な、フランスらしいラヴェルを聴きたかったな。
 小曽根のラプソディ・イン・ブルーは、勿論楽しかったよ。でも、山下洋輔のガーシュインを何回か聴いている身にしてみたら、ジャズマン連れてきたんだから、もっとはじけさせてもよかったのではないかしら、とか思っちゃうんだよね。そうそう、この回は小曽根の追っかけで、若いOL風の女の人が多かったな。いいことだよね。
 そして、幻想。
 この曲は好きな曲だけれども、おんなじ演奏者で何回も聴きたい曲じゃないよね。もちろん、僕が最初にスコアを買った曲だし、聴いていると楽しいことのこの上ないのだけれど。
 でもやっぱり、一回でよかったかな。オオウエエイジのアッチェランドはちょっと唐突に聴こえるな、とか、三楽章の終わり方変えたのかな、とか。曖昧な記憶のまま、前の演奏と聞き比べるのは楽しかったけどね。
 どうせ再演するなら、他に何がよかったかな、とか考えちゃったよ。
 
 まあ、それでも。
 来年のチケットも取って、相変わらず楽しみにしてるんだけどね。
 今年もよろしく、遅ればせながら。

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