2006年のコンサート
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フロールさんの悲愴


2006年のコンサート

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本ページのすてきな壁紙などは、Nagisaさんの作成したものを使わせていただいています。

 

 

2008年3月13日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第416回定期演奏会
高関 健:指揮
ジャニーナ・フィアルコフスカ:ピアノ
ザ・シンフォニーホール 1階H列34番 A席

ショパン:ピアノ協奏曲 第2番
ブルックナー:交響曲 第5番

 ブルックナーの、5番。
 
 最初の弦のピチカートと、それに続くブラスのコラールを聴いて。
「なんて即物的な、ブルックナーなんだろう」って。
 それは、音の始まりと終わりをきっちりタンギングして音価いっぱいに伸ばす、蒲鉾音型のチューバが醸すのか、ラッパからホルン、トロンボンまで完璧なバランスが醸すのか、はたまた一瞬の揺るぎもないティンパニが醸すのかは分からないけれど。
 それは、官能に訴えるよりは、物理に訴える音、なんだよね。
 それ自体は、別に褒めているつもりでも、けなしているつもりでもなく。
 ただ、その時点で、そこからえられるある程度の満足感と、その延長線上からは決して得られない恍惚感が見えてしまったんだ。
 でも、驚くべきことに。
 演奏が進むにつれて、最初に予想した満足感を遙かに、どんどん上回っていったんだ。恍惚感は、膨らまなかったけれど。
 
 ブルックナーの5番は、よくゴシック建設に例えられて。ゴシック建設っていうものが本当はよく分かっていないのだけれど、まあ、周到な計算のもとに創られた、石造りの巨大な建造物、っていう理解であながち間違えてはいないと思うんだ。
 僕も、今までそれで納得していたのだけれど。今日の演奏を聴いて、数日前に訪れた、とある城下町の石垣を思い出したんだ。
 そこのお城はね、永きにわたって補修や増築を繰り返したから、いろいろな時代の技術が混在していて。石垣でいえば、自然の石をそのまま積み上げた古い時代から、少し面取りをして、計算しながら積み上げた時代、そして、直線的に加工できるようになってからの、隙間なく積み上げられた時代の三つに大別されていて。
 そういう眼で見ると、じいさんのブルックナーは、真ん中の時代の石垣なんだよね。のみ一本で削りだしたように荒削りなんだけど、全体として調和がとれている。それがオオウエエイジの時代になって、より緻密な工作が可能になった。その結果としての、今日の5番。全ての音が、綺麗に直線的に加工されて、収まるべきところにぴたっと収まるような、そんな演奏。
 そうやって造られたお城の石垣を見て、刊行に訪れていた老夫婦が言っていた言葉は、「これって、昔のものじゃないわよね」。それは、多分に風情のなさを嘆く感情が込められていたと思うのだけど。
 
 今日の演奏も、全くその通りの聴き方をしていたんだ。最初はね。
 遊び幅のない、緻密なアンサンブルは、演奏の最初から、最後に訪れるカタルシスを予想させてしまって、実際その通りに進んでいった。
 でも、それってすごいことなんだよ。
 面取りだけした石垣には、隙間にちっちゃい石を突っ込んで、っていう愛嬌が許されるけれど、直線的に加工した石垣には、そういう遊びは許されない。設計図の通り忠実に組み立ててあたり前、寸分でも狂ったら目も当てられない。
 それを引き受ける覚悟をした上で、80分間、全く裏切らない綱渡りを成し遂げる。それは、どえらいカタルシス、なんだよね。結果的に。
 
 遠慮なしに、しかもコンスタントにバリバリのトロンボンを筆頭に、ホルンのソロも含めてブラスが絶好調で。(ほんのちょっと、通常あり得ない高音を外したホルンを貶す人がいたら、僕はその人を軽蔑するなあ)
 寸分の隙もなく組み立てられた大伽藍。
 そして、その大団円。コーダ。
 僕は、汗だくになったよ。
 じいさんのときには、アシを入れて、金管倍増でのコーダだったんだけど。その効果は絶大で、とてつもない浮遊感を懐かしく思い出したんだけれど。
 今回は、なんと。
 アシなしなんだ。アシなしで、シンフォニーホールをブラスの響きで埋めつくした。
「アシを入れようとしたら、『俺たちが倍吹くから、アシ入れなくてもいいだろう』っていうんですわ、シカゴ響の連中」そういってたじいさんの言葉、思い出したよ。
 大フィルのブラスも、そこまで成長したんだね。嬉しいよ。
 
 最後はホンと、汗だくになって聴いてたよ。堅実で分かりやすい指揮の高関さんは、5番にぴったりだったね。
 官能的ではないけれど、メカニカルな正確さが創り出す快感、っていうのはあるんだね、間違いなく。
 
 しかし、やっぱり。
 5番はCDには入りきれないね。これからも、生演奏楽しみにしてるよ。
 

2008年3月9日
BAN BAN BAZAR
金沢 もっきりや

 ずいぶんと久しぶりに、何個目かの故郷を訪ねることがあってね。ずいぶんと久しぶりに、昔よく通ったジャズ喫茶にいったんだ。
 そのジャズ喫茶は、夜はお酒も出すし、不定期にライブもやるんだよ。山下洋輔とか、浅川マキとか、日本人のジャズを、いろいろ見たな。渋谷毅のとなりに座ったりとか、山下洋輔のピアノにさわりながら聴いたりとか。狭い箱に詰め込むだけ詰めるから、お客さんと演奏者の距離が近いんだよね。
 あ、思い出話はいいんだった。
 日曜の朝に用事が済んでね、みんなはそのまま帰ッたのだけれど、なんかもう一日、久しぶりの街を散策したくてね。その日も泊まることにしたんだ。おいしいお魚を食べたかったのが大きいのだけれども。
 そうしたら、忘れてたのだけれど。日曜日は、たいがいの飲み屋さん、お休みなんだよね。市場がお休みだからね。これまた僕がよく行った、お目当てのお店もお休み。ああ、夜、どうしよう、って思いながらメニューの増えた喫茶店で、ジャズを聴いていたのだけれども。
 
 そしたらね、なんかずいぶんライブの頻度が増えていて、そのお店。ちょうどその日のライブもポスターが貼ってあった。
 全然知らないバンド名だし、メンバーなんだよね。ギターが二人にウッドベース。それしかわからない。しばらく、それだけの情報でどんな音楽なのか推理して楽しんでたんだけれどね。
 やっぱり我慢できなくなって、マスターに聞いたんだ。15年前とほとんど変わらない、ちょっと白髪の割合が増えたマスターに。
「今日のライブ、どんな感じの音楽なんですか?」(東京弁で)
「ベースがジャズで、いろんな、ジャムバンド的な感じかな。楽しいよ」
 そうか、楽しいんだ。じゃあ聴いてみよ。
 ってことで、聴いてみたんだよ。BAN BAN BAZAR。
 
 小さい街も歩き疲れたからね、いったんホテルに戻って。また30分くらい歩いて会場に着いたのだけれども。当日でもチケットがあったから、空いているのかな、とか思ったのだけれど、もちろんそんなことはなくってね。勿論っていうのは、もっきりやのライブで空いてるのって見たことないな、っていうのを思いだしたのだけれども。
 
 お客がひしめくライブハウス。入り口から入って、カウンターのなかをスルーして一番奥のステージにメンバーがたどり着いた。
 僕の席は、なんていえばいいのかな、壁ぎわの長いすの端から二番目。前から数えたら二番目。バンバンバザール等身大。
 
 出てきた音はね。
 ジャズベースのジャムバンド。って聞いていたのだけれど。
 どうやらそうではなく。
 ブルースのコード進行をベースにした、popなんだよね。
 それはブルースやろ、っていわれそうなんだけれど、あんまりブルーじゃなくって、ひたすら心地よくて楽しいから、”コード進行をベースにした”なんてわからない注釈つけちゃっているけれど。
 つまりは、誰もが楽しいと思う音楽。
 勿論僕もね。
 
 ボーカルの福島君(同い年!)の声は、僕の周りの誰かにいているようで思い出せないのだけれど、声変わり前の木村充揮みたいな、声変わり前だけどしゃがれてるぞ、みたいな。つまり、ブルース唄っても楽しくなっちゃうぞ、っていう声なんだよね。
 それから、ギターの富永さん(え、こっちが年下!)の太い指から出てくる音、好きだなあ。
 
 ひさびさにあんまり楽しくて、細かいところすっかり飛んでっているので、まあとにかく聞いてください、としかいいようがないんだけどね。
 休憩はさんで第二部は、ウクレレの音楽。ウクレレって跳ねるんだ。をテーマに、田原俊彦や、憂歌団のカヴァーもあったりして。
 ああ、楽しかった。
 
 帰りに、CD売ってたベースの黒川さんと二言三言言葉を交わしたら、最初のうちはジャズのカヴァーが多かったんだ、って。これがジャズをベース、か。
 そして、今、バンバンのHPを見てみて気がついたんだけれど。ジャムバンドじゃなくって、ジャグバンドなんだね。ジャグバンドってなんだかよく知らないけれど、ジャムバンドじゃなくってよかった、とりあえず。
 ごめんね、CD買わなくって。でも、ライブの方が楽しそうだったんだもの。
 道路でたむろしている福島さんに、大阪から来ましたっていったら、4月になんばに行くよ、って。魅力的だなあ。でもワンマンの方が楽しいかなあ。
 
 ひさびさの小旅行、楽しいおまけをもらったよ。ありがとね。もっきりやのマスターと、バンバンな人たち。

 

2008年1月24日、2月15日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第414,415回定期演奏会
尾高忠明、大植英次:指揮
サラ・チャン:ヴァイオリン (414)
小曽根 真:ピアノ(415)
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
エルガー(ペインによる完成版):交響曲 第3番 (以上414回)
ラヴェル:道化師の朝の歌
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー
ベルリオーズ:幻想交響曲(以上415回)

 ああ、そうそう。
 
 このまえの、高関さんのブル5での更新が久しぶりになったけれど、僕は大フィルの定期をさぼっているわけではなくて。
 ちゃんと聴いてるよ。
 オオウエのフランスものも、その前のなんだったっけ、エルガーだったっけ。あれも。
 
 ただ、どうしても言葉にならないんだよね。
 なんにも、心に迫ってくるものがなかったから。
 
 メモ風にいえば、尾高さんのエルガーの交響曲3番は、なんて農耕民族の曲なんだろう。たとえば伊福部さんのゴジラのテーマみたいに、全編タテノリで起伏なし。聴いてておもしろくも何ともないんだよね。8分間に切り取って、吹奏楽でやったら、演奏者はおもしろいんじゃないかなあ、っていう。
 なんで未完のこの曲を、ペインが完成させたのか。その意味を探ろうとしたけれど、分からないよね。そのまま歴史に埋もれさせても、全く差し支えない曲じゃないかなあ、と思いながら聴いてました。
 でも、そのタテノリののっぺり感を延々と聴き続けて、最後にはなんか気持ちよくなってきた自分が一番、許せないんだなあ。
「だいっキライなフュージョンで、泣ける自分がいや」by桜井和寿みたいな心境になりました。

 続くオオウエの415回。
 もう5年目が終わるのかな? 定かではないけれど。そのオオウエエイジが、初の定期での再演として選んだのは、幻想交響曲。
 意味が分からないよね。東京に持って行くから、自分の得意分野で勝負したいのは分かるけれど、幻想。
 おまけに小曽根を迎えてガーシュイン。もう一曲がラヴェル。フランス特集なのか、ただの管弦楽小品集に幻想をくっつけただけなのか読みづらいプログラムだったよね。
 さらに混乱したのが、ラヴェル。
 なにこれ。
 前回のエルガーの魂がまだ残っているかのような、泥臭いラヴェル。オーボエの加瀬さんいなくったって、もう少し小粋な、フランスらしいラヴェルを聴きたかったな。
 小曽根のラプソディ・イン・ブルーは、勿論楽しかったよ。でも、山下洋輔のガーシュインを何回か聴いている身にしてみたら、ジャズマン連れてきたんだから、もっとはじけさせてもよかったのではないかしら、とか思っちゃうんだよね。そうそう、この回は小曽根の追っかけで、若いOL風の女の人が多かったな。いいことだよね。
 そして、幻想。
 この曲は好きな曲だけれども、おんなじ演奏者で何回も聴きたい曲じゃないよね。もちろん、僕が最初にスコアを買った曲だし、聴いていると楽しいことのこの上ないのだけれど。
 でもやっぱり、一回でよかったかな。オオウエエイジのアッチェランドはちょっと唐突に聴こえるな、とか、三楽章の終わり方変えたのかな、とか。曖昧な記憶のまま、前の演奏と聞き比べるのは楽しかったけどね。
 どうせ再演するなら、他に何がよかったかな、とか考えちゃったよ。
 
 まあ、それでも。
 来年のチケットも取って、相変わらず楽しみにしてるんだけどね。
 今年もよろしく、遅ればせながら。

2007年12月30日
大阪フィルハーモニー交響楽団 創立60周年記念講演
大植英次 ベートーヴェン 交響曲全曲演奏会 IV
大植英次:指揮
スザンネ・ベルンハート(ソプラノ)
スザンネ・シェーファー(アルト)
シュテファン・ヴィンケ(テノール)
クリストフ・シュテフィンガー(バリトン)
大阪フィルハーモニー交響楽団
大阪フィルハーモニー合唱団
三浦宣明:合唱指揮
フェスティバルホール 2階B列L21番 A席

ベートーヴェン:交響曲 第9番 合唱付き

 さて。
 昨日に引き続き、今日もいってきたよ。オオウエの第九。ばかだね。
 昨日は、ベートーヴェンチクルスの最終日。そして今日は、年末恒例の第九を気楽に楽しむつもりだったんだけれども。直前に連絡が入ってね、祈りの第九になったんだ、個人的なことだけれども。

 今日の席は、二階席の一番前。B列だから二番目だと思っていたのだけれど、端の方にちょこっとA列があるから、大体はB列が最前列なんだ。
 ちょっと左寄りで、僕がシンフォニーホールでベートーヴェンを聴いていた角度に近い席。

 上から見下ろすステージは、でっかいね。でっかいオケに、合唱が入ってもまだまだ余裕のある感じ。あほなおっさんが、マーラーの千人の交響曲を千人で演奏したステージだもんね。

 さて。
 進行はもちろん、昨日とおんなじだから、簡潔に言うね。

 今日の第九は、完璧に、オオウエエイジの第九だったよ。
 何がどう、っていう訳じゃないのだけれど。

 上から見下ろすステージから出てくる音はね、きちんと響くのだけれど、でも全体像がつかめて、微妙な機微まで俯瞰できるって言う絶妙のコンディションで。
 それはもう、1楽章の頭からエンジン全開で。
 昨日みたいに、やや響きが頼りなく聞こえたりすることなんてまるでなくって、大植英次が作り上げてきた分厚い音の大フィルサウンド、そのまま。
 あの音でベートーヴェンをやると、それはもう、昨日とは全く違った曲。昨日の音楽は、じいさんに捧げたのかな、と思うくらい。
 もちろん、どっちがどうって言うものではなくってね。でも、オオウエエイジの指揮から出てくる音としては、今日の方が好きだな。
 ただ単に、座った位置の関係、っていう可能性のほうが、大きいのだけれどね。

 昨日は奇蹟の3楽章、だったけれど、今日は1楽章からずっと奇蹟。それが曲なのか演奏なのかは、相変わらず分からないけれど。
 2楽章後半からかな。後ろの方から、鼻をすする音がずっと聞こえてきて。ああ、嗚咽を堪えきれないんだろうな、と思うと共感もするけれど、その音が僕を現実に引き留めてくれたんだね。
 飲み会で、誰かがつぶれちゃうと酔っぱらえなくなるの一緒でね。
 4楽章からは、その音もやんで、僕も曲の中にずっぽり入っていったんだ。
 音の厚いところはね、もうこれはオオウエ節全開なんだけれど。薄くなったところ、すごいね。クライマックス前にソリストの掛け合いがあるんだけれど、その時に、クラリネット2本とファゴットだけの部分があって。え、そんな音がするんだ、って。久しぶりにステージを探したよ。金管楽器のロングトーンみたいな音なんだけれど、今まで聴いたことがない響き。昨日も聴いてるんだけれど、気がつかなかったなあ。

 昨日もずっこけれたけれど、最後の合唱のトゥッティ前、ホルンのリタルダンドはやっぱりやりすぎだよなあ。オオウエエイジ。

 昨日よりずっと多かったブラボーコールを浴びながら、満面の笑みを浮かべるオオウエエイジ。
 年の瀬に第九を聴く習慣って、素敵だね。何となくそう思えてきたよ。
 ありがとね。

 30日まで働いた楽団員の皆さん、ご苦労様。
 良いお年を。

2007年12月29日
大阪フィルハーモニー交響楽団 創立60周年記念講演
大植英次 ベートーヴェン 交響曲全曲演奏会 IV
大植英次:指揮
スザンネ・ベルンハート(ソプラノ)
スザンネ・シェーファー(アルト)
シュテファン・ヴィンケ(テノール)
クリストフ・シュテフィンガー(バリトン)
大阪フィルハーモニー交響楽団
大阪フィルハーモニー合唱団
三浦宣明:合唱指揮
フェスティバルホール 1階M列R2番 A席

ベートーヴェン:交響曲 第9番 合唱付き

 今日は、じいさんの七回忌、だね。
 そして、オオウエエイジ、ベートーヴェンチクルスの、最終日。オオウエの第九。
 僕は、この日のチケットを、最初に大フィル会員になった席のすぐそばにとったよ。じいさんを食い入るように見つめた角度から、オオウエの、第九を観たくてね。

 久しぶりのフェス。改修工事で、椅子が新しくなったのかな。真っ赤なフェルトをまとった椅子は、ふかふかな座り心地。
 それはいいんだけれど、座席番号が椅子の背もたれじゃなくって、座る部分に書いてあるものだから、お客さんがみんな入ったあとに滑り込むと、座席番号がさっぱりわからない。それでなくてもフェスの座席番号はわかりにくいんだから、どうにかして欲しいなあ。
 あ、なんでわかりにくいかっていうとね、普通のホールって、おんなじ列だったら左から一番二番ってなってると思うんだけど、フェスは、ど真ん中が中心で、そっから右にRの一番二番、左にLの一番二番ってなってるんだ。通い慣れてる人はいいけれど、たまに来る人はちょっととまどうよね。どうでもいい話だけれど。

 オオウエが大フィルに来てはじめて振る第九。もちろん会場は満員でテレビカメラ付き。わくわくするよね。

 木管が数人練習しているステージに、最初に入場したのはコーラス。そして管弦楽。ソリストはあとから入ってくるんだね。
 そして、オオウエエイジ。

 人類の宝、第九。
 出てきた音は、

 正直、ちょっととまどったんだよね。
 普段、シンフォニーホールで聴いている位置よりも多分近い位置なんだけれど、音に満たされた感じがない。反響のない、生音だけが、それもフェルトを通したみたいに聴こえてきて。
 ああ、フェスなんだ。デッドなホールなんだ、って妙に納得したりして。
 それと、となりのお客さんが妙に顔を動かして拍をとるのが横目に気になって、ちょっと入り損ねちゃったんだけれども。
 でもその分、両翼に拡がったヴァイオリンのステレオ効果とか、冷静に楽しんでたりして。

 もちろん、そんな余裕はすぐになくなったんだけどね。
 僕の耳がデッドなホールに慣れたのか、出てくる音が白熱してきたからなのか定かではないんだけど、1楽章の後半、2楽章に入ったあたりではもう、僕は音の洪水に埋まっていた。
 それは本当に、潮が満ちてくるみたいに歴然としていてね。もうとなりのおじさんの首の動きなんて、全然気にならなくって。(ただ、カメラの移動のきしみ音はどうにかして欲しかったなあ)

 そして。
 ソリストが入って(どうでもいいけれど、メゾのおねえさんキレイ)、客席の動きを気にしたコンマスの制止を振り切って、オオウエが振り始めた3楽章。
 僕は、耳を疑ったよ。
 何が起こったのか、わからなかった。

 いきなり、音の海の深いところに、僕はいたよ。
 2楽章でも、音が満ちてきたのはわかったんだけれども、まだ波打ち際に築いた砂のお城が崩れるくらいだったんだけれど、3楽章はいきなり、深海。ぶくぶくぶく。上もしたもわからない。ぶくぶくぶく。
 思えば、2楽章の最後、コードが途切れるときに弦バスだけちょっと残ったところから、罠にかかってたんだね、きっと。

 今回、それが譜面通りなのかどうかよくわからないんだけど、長原君が走るんだよね。ヴァイオリンのアンサンブルが、それで乱れることが多かった。
 それが、3楽章くらいから合うことが多くなったことも関係あるのかもしれないけれど。

 何が起こったかっていうとね。
 いきなり、音が厚くなった。
 それまでは、ベートーヴェンだってこともあり、フェスだってこともあり、オオウエが創ってきた分厚い響きを感じることがあんまりなかったのだけれど。3楽章に入って、いきなり分厚い音。
 それまで苦しげに吹いていたラッパも、いきなり豹変して。あ、苦しげっていうのはいわゆるベートーヴェンの音、っていう意味で、技術的にどうこう、っていうのとは全く官界ありません。
 分厚い音でぎちぎちとシリアルに音を運んでいって。そして、その緊張感を和らげるように、時々オオウエエイジが横を向いて横顔を見せてくれる。ニコニコした、嬉しそうな顔をね。
 その顔で、ああ、ベートーヴェンの音楽は、喜怒哀楽の音楽なんだ、って、少しリラックスして聴けるようになって。

 奇蹟の3楽章。

 そんなことばが、聴いている間中頭の中を駆けめぐって、瞼が腫れぼったくなったよ。

 そして、休み無しに4楽章。
 今回は、って第九ではいつもそうなんだけれど、オオウエエイジがどうって云うよりも、曲に圧倒されたんだ。
 ミーハー感を嫌悪して、第九や運命とは距離をとりたがる僕だけれど、やっぱり人類の宝、すごい曲だね。
 最初の、バリトンのソロ。このおじさんは、長原君と対照的にあとのりなんだ。ソロの間、どんどん曲が重くなっていって。まあそれもスリルなんだけれど。
 オオウエエイジの指揮は、いくつかリタルダンドでケレンを見せる以外はいたって自然で。ちょっと速めなのかな、晩年のじいさんと比べたら。でもそんなこと全く気にならなくて。あたり前だけれど。

 手に汗握る、っていうよりもただただ圧倒され続けて、曲が終わったよ。

 ソリスト、合唱指導の先生も交えての長いカーテンコールのあと、蛍の光は無しなんだね。第九の夕べじゃないからね。

 半年間、ベートーヴェンに向かい合ったオオウエエイジと大フィルの皆さん。
 ありがとう。
 なんだかんだいってきたけれど、やっぱりベートーヴェンってすごいし、オオウエの振る大フィルを聴くのは、楽しいなって再確認したよ。
 来年の定期のプログラム、また冒険に満ちたプログラムだね。つき合うよ。

 さて。
 オオウエのチクルスは今日でおしまい。
 あしたは、年末の第九、聴きにいくよ。

 じゃね。

2007年12月15日
Mt.Uji Jazz Festival '07 with PLUE NOTE
Special 宇治金時 Lunchtimes
Holly Creative Space

FunFactory type-R
 公家克彦(g&vo)、中村明日香(b)、白石琢也(k&c)、くにやす(Dr)、ちえる(vo)、金子光一(g&vo)

威怒牟畿不動
 神坂"turbo"卓志(ts)、鳥居"OSPPEY"光(p)、土田耕一(b)、武石"太鼓"健造(Dr)
MMJG
にしかた。(ts,ss)、yuuuta(ts)、みーにょ(tp)、きんじ(tb)、aym(p)、とりい(key)、ふく(b)、だいさんさん(Dr)
Session Time
Special 宇治金時 Lunchtimes

 Sax:渡邉徹、羽鳥絢子、曽宮麻矢、加納京子、西方則夫、後藤匠、阿部寿代
 Tp: 公家克彦、中山淳一、三浦聡一郎、坂本美緒子、中村明日香
 Tb:金子光一、手柴将司、白岩真紀、白石琢也
 Rhy:鳥井光、岸亮介、笹田和彦、くにやす
(メンバー表の標記に従いました。当日変更もありました)

 本当に、久しぶりに。
 いってきました。Mt.Uji JAZZ FESTIVAL。
 Specioal宇治金時Lunchtimesっていうバンドがね、年に一回開催しているお祭り。

 Specioal宇治金時Lunchtimes(長いから、以後宇治金ね)は、ジャズのビッグバンドで、もう20年以上も前から活動しているのだけれど、今回のMt.Ujiは、そのバンドを中心に、ピックアップメンバーによるコンボもいくつか参加した、長時間の本格的なフェスティバル。
 僕も十年前までは、このバンドの末席を汚していたことがあってね。それ以降は、たまにライブ録音のCDを聴かせてもらうくらいで、生演奏にはご無沙汰だったのだけれども。時折録音で聴かせてもらう演奏は、もう僕のいた頃とは比べものにならないレベルでね。

 というわけで、十年ぶりの浦和に、足を踏み入れたんだ。
 ああ、ビックリ。
 これが、浦和?
 浦和ってね、ただでさえ存在感のない埼玉県の、本当に存在感のない(新幹線さえ止まらない)県庁所在地だったのだけれども。それがびっくり、合併してさいたま市になって、名実ともに政令指定都市の県庁所在地になった自信からか、浦和駅もものすごく様変わりしていてね。昔は見晴らしが良かった(気がする)東口に、でっかいパルコなんかできていて。
 今回の会場の、ホーリィクリエイティブスペースっていうのは、昔は駐車場の2階にあったのだけれども、それが今ではパルコの敷地。さて、あたらしいHollyはどこだろう。
 東口、徒歩二分、コンビニの上、ってキーワードを頼りにね、ちょっと探し回ったけれど、見つけました。こぎれいなレンタルスペース。
 ちょっと緊張してたんだよね。
 宇治金のライブ、十年ぶりだし、最後にメンバーと会ったのも、メンバーの結婚式以来、4年ぶり?
 お前誰? とかいわれたらどうしよう、って。
 もちろん、杞憂なんだけどね。

 パーマ液くさいエレベーター(2階が美容院なんだね)を4階で降りると、リハの音。そして、踊り場には知った顔が思い思いに休憩を取っていて。
 その瞬間、もう十年ぶりなんてことは関係なくって。
「よう、げんき?」
「はい、元気です」
 それだけで、ずっと逢っているような位置関係。
 そういうのって、いいよね。

 もちろん、十年前にはいなかった人たちや、その頃には中学生だった人たちなんかもいたりするんだけれども、前にここのメンバーだったんだよ、っていうだけですんなり受け入れてくれて。
 ありがとね。

 演奏はね、今回はコンボ三つとジャムセッション、そしてトリにビッグバンドだったのだけれども。

 最初のFunFuctory type-Rは、ロックバンド。宇治金はジャズのバンドだけれども、だからって他のジャンルを否定する人なんていなくてね。普段はラッパやトロンボン吹いてる人たちがギターに持ち替えて奏でる往年のロック。
 これをロックっていうかわからないけれど、公家さんのたどり着いたらいつも雨降り、かっこよかったなあ。
 それから、このバンドには強烈な飛び道具が用意してあってね。ゲストボーカルのちえるちゃん。サディスティックミカバンドの曲を何曲か歌ったのだけれども、ああ、トレーニングを積んでいるボーカリストっていうのはやっぱり違うんだな、って。ホントにトレーニングを積んでいるのかは知らないけれど。
 声や容姿のコケティッシュさ(生足のミニスカートまで含めてね\(^O^)/)もそうだけれど、キレの良さとリズム感が、気持ちいいんだなあ。ジッタリンジンなんて唄って欲しいなあ。
 帰ってから、早速タイムマシンにおねがい、iTunes Storeで買っちゃったよ。

 次のバンドはうって変わって、オヤジだらけのワンホーン。ドジャズってやつ。
 これは宇治金の中核メンバーの鳥居のセッション仲間らしいけれど、こいつら変態。唄うベースとねちっこい太鼓と、我慢のできる切れ切れサックス。
 なんて表現していいかわからないけれど、アマチュアじゃなかったらできない、生演奏じゃなかったらおもしろくない、でも、めちゃくちゃスリリングでおもしろくって、しかもバラードではほろっと来てしまう。大学ジャズ研のOBが学祭にあそびに来て、余裕たっぷりにセッションをしている、そんな感じでおもしろかったなあ。
 差し入れにボジョレヌーヴォー持って行ったのだけれども、ほとんど一人で飲んでいて、なんか涙が出てきたよ。

 お次は、MMJG。Mixi Modern Jazz Groupだったっけ? この面子で仙台までいって演奏してきたらしいお馬鹿集団。
 ホントにこの人達は。
 学生のような莫迦さ加減と、四十がらみの経験と、セミプロのアレンジを一緒にして。
 しかもピアニカやらオカリナやら持ち出して。
 反則。
 いいなあ。
 梅酒とウイスキー、手酌でどんどんいってました。(このフェスは、コップだけ買ったら飲み放題なんだよね、危険)

 そういう芸達者が多いからね、セッションも大いに盛り上がって。今までうずうずしてただろう後藤匠(ts)も加わってほとんどテナーマドネス。もう朦朧としていたけれどね、僕は。

 最後のバンドは、みんな揃ってビッグバンド。
 いきなりちえりちゃん出てきて、なんと、残酷な天使のテーゼ。
 そういえば、僕にエヴァを教えてくれたくにやすさん(ds)がいないな。なんでも仕事で缶詰になってドタキャンらしい。多分くにやすさんと鳥居でしくんだこの曲、叩けなくて無念だろうな。

 2時半から7時くらいまでだから、たっぷり4時間以上。ご苦労様でした。みんな。

 打ち上げにも参加させてもらって、ホント楽しかった。
 ありがとね。今度は10年後じゃなくって、近いうちにまた行くね。
 では。

 

 

2007年12月6日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第413回定期演奏会
大植英次:指揮
ルノー・カプソン:ヴァイオリン
ザ・シンフォニーホール 2階AA列37番 A席

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番
ラフマニノフ:交響曲 第2番

 聴いたのは聴いたんだけどね。
 気持ちよく、うとうとしてたことくらいしか覚えてないや。
 
 昨日の第九を聴いたあとだから、なおさらね。
 たまにはこういう時もあるよ。
 年間チケット取ってたらね。
 
 ごめんなさい。

2007年11月29日
大阪フィルハーモニー交響楽団 創立60周年記念講演
大植英次 ベートーヴェン 交響曲全曲演奏会 III
大植英次:指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
ザ・シンフォニーホール 2階CC列9番 A席

ベートーヴェン:交響曲 第7番
ベートーヴェン:交響曲 第8番

 ずっと、考えてたんだよね。そんなに深刻に、ではないけれど。
 僕にとって、特別な意味を持った演奏会。だから、必ず特別な演奏会になる、ならないはずがないって信じてたからね。
 もちろん、そんなこと保証されている訳もないし、だからこそ、僕は自分にしてはたくさんの演奏会を聴きにいっているのだけれど。思いがけない良い演奏、ってやつにたくさん会いたくってね。
 例えば、このベートーヴェンシリーズだって、いままでの僕の中のベストは、2番だったりするんだよね。そんなことないでしょ、予想通りの演奏ばっかりだったら。だから、あの神懸かりの2番を聴いた代償を、いつか払わなくちゃいけないことは覚悟しているべきなんだけどね。
 
 あ、今回の演奏、7番と8番が良くなかったとかそういうことを言っているんじゃないよ。そう聞こえるのかも知れないけれど、ちょっと違うんだ。
 もっと個人的なこと。
 
 だから、書いたらそうなってしまうことは分かっていたから、このHPに載っけるのにどうしようかな、ってずっと思ってたんだ。でも、このHPは僕の備忘録なんだって、読むのがしんどくたって構うものかって開き直って。
 もう長い間、毎回書いてきた勢いと、少しはいそうな、読んでくれている人のために、書きます。ちょっと読み辛いかも知れないけれど。そう思ったら飛ばしちゃって下さいね。
 
 この演奏会。
 この演奏会を、この席で聴くために、僕は発売日の朝10時に、出張先の東京から電話をかけまくったんだ。
 この席ってね、朝比奈隆の軌跡シリーズで、僕がじいさんのベートーヴェンを聴いたのとおんなじ席。
 つまりは、あの、7番を聴いた席。
 最初から最後まで、涙に暮れた”あの“7番。2000年だったから、7年経ったんだけれど、この前CDで聴いたら、やっぱり涙が止まらなかった、あの演奏。
  
 もちろん、じいさんのベートーヴェンの演奏会はそこで3回聴いたし、オオウエエイジも3回目なのだけれど、やっぱり7番は特別なんだよね。
 だから、このごろにはめずらしく、何日も前から緊張して。指折り数えて待ってた演奏会なんだ。
 
 そして、当日。
 オオウエエイジの、7番。
 
 ちょっと遅めに始まったんだよね、一楽章。時刻じゃなくって、テンポがね。あたりまえか。
 その遅さが、一楽章を重厚な音楽に変えてね。リズムの権化、舞踏の音楽が一転して、放っておいたら動かない、止まってしまう音楽をオオウエエイジが引っ張っていく、そんな構図にがらっと変わった。
 何から変わったかって言うと、僕の中のイメージから、なんだけど。
 つまりは、どっしりとした重厚な音楽が聴こえて来た。
 続く2楽章。葬送行進曲。
 こちらはちょっと気持ち速めでね、しかも良く唄っていて。
 僕はかなり誤解していたのだけれど。この楽章はリズムの繰り返しだけでメロディを立ち昇らせているのかと思っていたのだけれど、きちんとしたメロディがあるんだね。
 オオウエエイジはそのメロディを十分に、ケレン味たっぷりに唄わせて。
 
 それはそれでいいのだけれど、それは葬送行進曲じゃない。
 そんなことを思った時に、気がついたよ。
 
 そうか。
 結局、朝比奈のベートーヴェンと比べるために、僕はオオウエエイジの演奏会に出かけていたのかな。
 だから、聴き慣れたじいさんと違うからって言って、あれこれけちをつけているのかな。
 ずいぶん失礼なはなしだね。ごめんなさいね、オオウエエイジ。
 
 3楽章のトリオなのかな。ラッパのロングトーン。僕はあの部分をこの曲の一つの物差しにしていたんだけれど、それは、今回の演奏には当てはまらなかったな。
 どういうことかというと、弦達がターーーララってやってる時にラッパがずっと伸ばしていて、それがだんだんクレッシェンドして全体の音を支配するようになるんだけれど、音のピラミッドから考えると、ラッパを突出させるって言うのは教科書的によろしくないみたいなんだよね。これから、って言う時に軽めに抜いてしまう演奏もいっぱいあって。
 だから、これでもか、って突っ張るラッパって、なんか好きなんだよね。小さくまとまったらあかんよ、って言っているような気がして。
 じいさんとか、岩城さんとかの演奏が、代表格なんだけれども。
 
 僕は、それがラッパの音量の問題かと思っていたんだけどね。
 今回の演奏を聴いて、それだけじゃないんじゃないかって、思うようになったよ。
 オオウエエイジの演奏でも、ラッパは結構突っ張ってるんだけど、それでもなんか余裕綽々なんだよね。それがオオウエマジックなのか、プレイヤーの進歩なのかは分からないのだけれど、とにかくうまいんだよ。あんまり余裕だと悲壮感がなくってね、ちょっとインパクトに欠けるのかなあ。
 もちろんうまくなるのは大歓迎なんだけれどもね。
 僕が好きだった岩城さんやじいさんのラッパの延長線上には、フルトヴェングラーのローエングリンがあるんだ。高校生の時にレコードを借りてテープにとってのをすり切れるほど聴いたな。大人になってからCDをいくつも買ったけれど、結局どの演奏だったのか見つからずじまいなんだけど。
 あの、トロンボーンの咆哮。全体のバランスからしたら大バカなんだけれど、切なくって涙が出てしまう。そういう演奏。
 オオウエエイジにはそこまで行って欲しいなあ。
 
 でも、ベートーヴェンで、じゃないけれど。
 
 そうそう。
 今回びっくりしたのは、8番の方なんだよね。堂々たる7番に比べるとちょっと短くって添え物扱いされることの多い8番なのだけれど、今回は順番通りにこだわって、7,8って演奏された。
 7番のあとの8番ってどうなんだろう、って思ってたんだけれども、ああ、これ、いいなあ。
 あたりまえなんだけど、どこをとってもベートーヴェン。曲についてよく知らない分、ベートーヴェンらしさがいっぱいで、いいんだよね。
 ベートーヴェンらしい、って、前にも何回も言っているけれど、それは1番であり4番であり、それからなんとか序曲であったりするね。そういう、よく知らない曲を聴いた時にああ、○○らしいな、って思うのって、ベートーヴェンとモーツァルト位なんだよね。僕のような素人は。
 大古典で、教科書的に影響を与え続けているはずなのに、それだけの個性を何百年も失わないのって、凄いよね。
 さて、来週は第九。楽しみだなあ。

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2007年11月28日
ジーサス・クライスト=スーパースター エルサレム・バージョン
劇団四季
京都劇場 2階2B列 25番 S2席

 久しぶりだよね。多分、前に観たのが1989年だから、18年ぶり、2回目の劇団四季、ジーサス・クライスト・スーパースター。
 劇団四季のジーサスは2回目だけれども。その間、僕は映画ジーサスのビデオテープを文字通りすり切れるほど観て、それからリージョン1のDVD、アメリカの舞台をDVD化したやつとか、サントラも腐るほど聴いて。
 半分くらいは英語で口ずさめるくらい観まくって聴きまくったんだよね。
 そういう僕に、18年ぶりの劇団四季、どう映るんだろう、楽しみ半分、不安も半分だったよ。
 
 劇団四季のジーサスはね、日本的な舞台効果を使ったジャパネスクバージョンと、オリジナル通りエルサレムを舞台にしたエルサレムバージョンの二つがあって、これを連続してやるのは関西でははじめてらしいね。
 僕が観たのは、今回はエルサレムバージョン、前回は、ジャパネスクバージョン。どう違うんだろうね。とはいえ、前回の記憶を呼び戻す自信は全くないのだけれど。
 
 もちろん、というべきか、違いは一目瞭然で。大八車を縦横無尽に操って動く舞台装置を演出したジャパネスクバージョンに比べて、エルサレムは荒野を表現した砂と岩の舞台がデンとできていて。どこも動く余地はなさそう。もちろんどっちもいいのだけれど。
 
 開演。
 暴力的なほど真っ暗になった会場に、オーバーチュア(序曲)が響き渡る。
 この瞬間にね、僕は覚悟を決める必要があったんだ。ああ、これは劇団四季のジーサスなんだって。
 僕が耳にたこができるくらい聴いている映画のサントラはね、ロックバンドとロンドン交響楽団のコラボレーションで。出てくる音は本物なんだよね、全部。ディストーションかかったギターも、ホルンの苦しげな咆哮も全部、本物。
 それに比べて今回のサントラはね、シンセサイザー1本で一人で作ったような、薄っぺらな音。それならそれで開き直ればいいのに、管楽器の音とか、無理に似せようとして作るものだから、どうしようもなくチープさが目立ってね。
 歌が入ればそれなりに聞こえるのかも知れないけれど、あいにくジーサスの最初は延々と演奏だけ続いて。
 
 そして。
 ユダの歌い出しから、物語は始まって。
 この劇の主役はやっぱり、ユダだよね。最初にイエスに忠告するところから、香油をたしなめる歌。イエスがだんだん大きな存在になって自分から離れていく悲しみと戸惑い。歌も張り上げられるから、思いが伝わりやすくって、おいしい役だよね。
 もう一人の主役、イエスは、ちょっと可哀想。歌の音域がね、そんなに高くなくって、伝わりにくいんだよね。もちろん、自分の運命を悟って受け入れる人だから、あんまり感情的になることもないのだけれど。
 多分この日の役者さんからすると、ちょっと低いんだよね、音域が。だからちょっとだけ、伝わりにくい。
 もちろん、僕は、どんな内容の歌か、よくわかってみているのだけれども。
 その分、前に観たときにはうまいなあ、って思った和訳が、ちょっとだけ気になってもしまったのだけれどもね。
 もちろん、20年前に観て、そこからうろ覚えながら頭の中で組み立てていった和訳のイメージだから、正確であるはずはないのだけれど、ちょっと変えたのかな。頭の中の言い回しと少し変わってるところがあった。(どっちでもいいのだけれど)
 一番の違いは、これは僕の勘違いだろうけれど、「自分で治せ」。ずっと、自分で治れ、だと思ってたんだよね。ここ、英語だとtoo many...って言って群衆に飲まれていくんだと思うのだけれど、指揮オリジナルの解釈なんだよね、きっと。
 
 群舞のシーンはね、やっぱり生で見る迫力って言うのはすごくって。どの端役の人を見ても気を抜いてない、とか、ステージの前の人と後ろの人では、同じ立ち方でも腰の高さが違うとか、そういうのはすごいよね。
 もったいないのは、僕が2階席からみてたこと、なんだよね。もちろん、行く日を決められずに直前にチケットをとった僕が悪いのだけれども。
 劇とかミュージカル、生ものは、少しでも舞台に近い方がいいよ。ホント。
 
 今回はね、僕はユダに感情移入してしまったせいもあるけれど、僕のものにならないんだったら、裏切っちゃうよ、って言って官憲にイエスの居所をチクったものの、罪の意識に耐えかねて自殺してしまうユダの苦悩が伝わってきて。
 あの世の美女を侍らせながらあの世の先輩面してロックスター気取りで出てくるユダが、ものすごく愛おしかったんだよね。
 
 イエスの、なんでわたしを見捨てたのですか、っていう悲痛な叫び以上に、ね。
 
 でも、やっぱり。
 今度行くときには、ジャパネスクバージョンにしよう、っと。

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2007年10月18日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第412回定期演奏会
オリヴァー・ナッセン:指揮
アンシ・カルトゥネン:チェロ
ザ・シンフォニーホール 2階AA列20番 A席

ナッセン:花火で華やかに
ブロッホ:ヘブライ狂詩曲 ソロモン
ナッセン:ヤンダー城への道
ブリテン:鎮魂交響曲

 さて。
 今更更新するのも恥ずかしいくらいの前になっちゃったけれども。
 前回の定期演奏会。
 
 はっきり言えば、ひとつき以上経った今となっては、ほとんど覚えてないんだよね。
 どんなだったっけ。
 
 プログラムを見ると、前回に引き続いて、短い演奏会だよね。大フィルのプログラムには、大体の演奏時間が書いてあるんだけれど、全4曲の演奏時間は、合計57分。そのうち2曲は、ゲスト指揮者の自作曲でね。
 まあ、2曲で12分の、短い曲なのだけれども。
 sfz系の、僕の語彙から探すと吹奏楽オリジナル系の曲なんだけれど、不思議と嫌悪感を感じなかったことだけは覚えてるな。
 でも、そのほかの感想が、全くないんだよね。
 短いプログラムの例によって、ソリストのアンコールは2曲あったのだけれども、それがどんなのかさえ覚えてないや。
 
 ごめんね。
 でもまあ、腹立てて出てきたわけではないことだけ、何となく覚えているのだけれども。 

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2007年9月21日
東京JAZZ TOKYO JAZZ PARTY EXPRESS
東京国際フォーラム 37列11番(くらい)S席

SOIL & "PIMP" SESSIONS
SOUL BOP BAND featuring Randy Brecker, Bill Evans, Hiram Bulock, Chris Minh Doky, Rodney Holmes and more
Candy Dulfer Band
Joe Sample & Randy Crawford

 本当に、久しぶりに。
 ジャズのコンサートに、いってきたよ。

 東京JAZZ。
 僕のよく読む日経新聞に、結構しつこく広告が載っていたから、知ってはいたのだけれども。でも、大阪版に東京JAZZの広告出してもなあ、って他人事のように思ってたんだけどね。
 出演者見ながら、結構豪華だなあ、なんてうらやましがったりして。
 それが、ちょうど出張にあたってね、偶然。一日だけ、のぞいてみたよ。
 東京国際フォーラムっていう、展示会とか国際会議とかによく使う会場での、ジャズコンサート。どんな演奏を聴かせてくれるんだろうね。


 東京JAZZって、何年か前から始まった、ポストバブルのフェスティバルなのだけれど。最初の数年は、たしかハービー・ハンコックがプロデュースかなんかしてて、出ずっぱりだったよね。テレビ中継をちらちらと見たことがあるよ。寺井尚子とか出てたことあるよね。
 今回は、ハービーは出てなくて。僕のお目当ては、ランディ・ブレッカー。弟死んじゃったあと、どういう演奏をしてくれるんだろうね。
 
 このフェスティバルは、四日間でいろんな趣向を凝らしたオムニバスなんだけれども、僕が行った二日目は、TOKYO JAZZ PARTY EXPRESSっていう副題のついた、ダンサブルノリノリ系の日、らしい。ランディが出てるから、まあいいや。


 当日券で入ったんだけどね、横の方ではあるけれど、結構いい席で。もちろんかぶりつき、ではないけどね。


 さて、定刻に始まった演奏は。
 トップバッターの、SOIL & "PIMP" SESSIONS。
 あんまり、このバンドについては触れたくないのだけれど。唯一の日本人バンドで、PARTY NIGHTのトップバッターを任されて過剰にがんばっちゃったな、っていう感じ。
 まあ、ジャズじゃないから、僕の点が辛くなるのはしょうがないと思うのだけれども、いかにせん、うまくないんだよね。タイトじゃないドラムと、叫ぶしかできないアルト。押しつけがましいMC。
 ピアノはハービーのコピーで、モネのラッパを持ったにいちゃんはパラパラ系(US3みたいな感じね、数年前に流行ったパラパラでは決してなく)。
 それでも会場のみんなは素直に、立てといわれたら立ってたけれど、踊れといわれてもこのビートでどう踊るのよ、って感じでしたね。

 まあ、最初だからね。それでもいいや。次はランディのバンドだし。
 って気を取り直してSOUL BOP BAND。
 このバンド、面子がすごくてね。ランディの他に、ビル・エヴァンス(もちろんtsのね)、ハイラム・ブロック、クリス・ミン・ドーキー、ドロニー・ホームズ。最初の三人しか知らないけれど、それだけでも十分すごいよね。ビル・エヴァンスははじめてじゃないかしら、僕が聴くの。
 のっけからブレッカー・ブラザースのスポンジで始まったステージ。
 僕は、さっきのバンドの音の締まりのなさを、半分はPAのせいにしてたんだけどね。ごめんなさい。そんなことあり得ないね。それほどの切れ。シャープさ。
 そして、嬉しいことに。
 ランディ絶好調。
 僕は、ブレッカー・ブラザースのランディを、3,4回見たことがあるのだけれど、あんまり調子のいいランディって見たことがないんだよね。息切れしちゃったり、速いパッセージはマイケルに任せちゃったりのイメージが強かった。もちろん、マイケルに霞んじゃた、っていうのはあるのだろうけどね。
 頼れる弟がいなくなった(泣)分、兄貴ががんばった。
 どのメンバーも自分のリーダー作を持っていて、それらの曲に混ぜて、ブレッカー・ブラザースからは三曲演ってくれた。サムスカは、多分次の日のスペシャル・セッション(ミンツァーや、デニチェン!!!)にとっとくんだろうね。今回は演奏してくれなかったけれど、でも、大満足だよ。お兄ちゃん、ありがとう。
 そして、最初のバンドの奴ら、見たか、これがジャズ、これが生演奏ってもんでしょ。

 休憩のたびにビールやワインを飲んでると、そろそろ訳がわからなくなってくるのだけれど、お次は、キャンディ・ダルファーちゃん。
 ダルファーちゃんがデビューしたのって、いつだったかしら。僕が大学生の頃? もちろんアイドルサックス吹きとしてのデビューだったのだけれども、そしてもちろん、その頃がちがちのお堅い4ビートマニアだった僕は聴いたことがないのだけれど。でも、今に至るまで生き残ってるんだから、それはそれはすごいことだよね。
 というわけで、ダルファーちゃん初体験。
 もちろん、僕と同じだけあの頃から年をとっているのだから、ダルファーちゃんなんていうのは失礼なのだけれど。でも、魅力的に歳を重ねたアイドルは今でも十分、まず視覚で惹きつけるよ。
 もちろん、僕も惹きつけられた一人だけれども。
 出てくる音はね、ファンキー系のアルトってことで、サンボーンを比べられることが多分多いと思うし、僕もそう思って聴いたんだけど。
 線としては、その路線に間違いはないんだけど、サンボーンにはない歌やラップ、しかも本人が歌ったりして。絶対に吹きにくいだろうな、っていうめちゃくちゃ高いハイヒールや衣装もそうだけれど、ステージをどれだけ楽しませるかっていうプロ根性は、すごいね。
 音色は、サンボーンのガリって引っかかる存在感のある音に比べると甘い、腰のない音なんだけれど、素直に楽しかったな。SAZ A GO GO!、この期に及んで買おうかな、って気になったよ。

 さて、夜も更けて。
 開演から三時間後に始まった、最後のセット。ジョー・サンプル&ランディ・クロフォード。
 僕は、ランディに関してなんにも知らなかったからね、このセットは、ダルファーちゃんで盛り上がった人たちが三々五々帰っていくためのセットなのかと思ってたんだよね。
 そしたら。
 謝らなくちゃいけないんだけれど、全然違ったね。
 ジョー・サンプルのピアノトリオで2,3曲演ってから入ってきたランディ・クロフォード。入ってくるなり熱烈な歓迎ぶりでね、客席が。
 僕は、何が起こったのかよく分からなかったけれど。
 ランディの歌は、押しが強かったりブルージーだったりっていう、いわゆるジャズの唄い方ではなくて。ハートウォーミングなPOPなのだけれど。
 イントロや、最初のワンフレーズで盛り上がることが多かったから、きちんとCDを聴いて、ランディちゃんお目当てで来てるお客さんが多い、ってことなんだろうね。
 正直、僕にはこれといった印象はないのだけれど。でも、兄貴とダルファーちゃんで火照った心をやさしく癒してくれる、いいセットだったよ。

 ああ、でも。
 もう一日、東京に泊まって、ランディとミンツァーとマイク・スターンとデニチェンのセット、聴きたかったなあ。特にデニチェンの叩くサム・スカンク・ファンク。聴きたかったなあ。

 あ、そうそう。
 もらったチラシを見てて気がついたんだけど。
 大阪では、ブルーノート大阪がつぶれて、ビルボードライブ大阪になったから、僕はてっきりブルーノートがビルボードに変わったのだと思っていたのだけれど。東京は、ブルーノートとビルボードライブが別々に存在するんだね。福岡はどうか知らないけれど。
 僕はやっぱり、ブルーノートっていう名前に愛着があるから、がんばって欲しいなあ、ブルーノート東京には、ね。

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2007年9月17日
尼崎交響楽団 第22回定期演奏会
辻 敏治:指揮
アルカイックホール 自由席

スメタナ:交響詩 我が祖国 より モルダウ
チャイコフスキー:荘厳序曲 1812年
ブラームス:交響曲 第1番

 全く、うんざりするような暑さが続くね。
 だから、全然実感がないのだけれど、もうお彼岸だね。すっかり秋、の筈なんだよね。

 実感がないまま、芸術の秋、コンサート月間はスタートしていて。ってそんなのあったっけ。
 秋の風物詩、年に一度の尼オケコンサート、行ってきました。

 いつも楽しい演奏を聴かせてくれるこのオーケストラ、今回のプログラムは、ブラ1、1812年、そしてモルダウ。
 チラシとかチケットにはこの順番で書いてあったからね、それはシュールな、でも実はヒツゼンセイのある曲順だなあ、なんてひそかに思っていたのだけれど。
 だってそうでしょ。
 唯一の交響曲を前半に持ってきて、しかも燃え尽き必至の1812年をヒザに持ってきて。あ、ヒザって昨日テレビで知ったんだけど、落語の寄席でトリ前のヒトをヒザって呼ぶらしいね。客がそろそろトリに向かってヒザを詰めてくるから、なんだそうだけれど。
 まあ、そんなことはどうでもよくって。2部の前半に1812を持ってきて、トリがモルダウ。
 モルダウって言うと名曲アルバムのイメージがすごくあって、BGM向けの曲かなって思うでしょ? でも、実際はそうじゃないんだよ。我が祖国、全曲通しで聴いた人は分かると思うけれど、これって全部、とんでもない曲達。
 僕は、アシュケナージのチェコフィルと、コバケンの大フィルを聴いたことがあるのだけれど。恐るべき緻密なアンサンブルで響かせたアシュケナージと、イケイケどんどん扇動曲として聴かせたコバケン。まあ優劣は歴然としてあるけれど、どちらにしてもどの一曲でもメインを張れる曲だってことは聴かせてくれた。だから、モルダウトリでもそれはそれでありだなあ、って思っていたのだけれど。
 プログラムもらったら、全く反対の曲順で。モルダウ、1812年、そしてブラ1。もちろん、普通に考えたらそれが妥当、というより唯一の曲順なのだけれどもね。ちょっと一人で楽しませてもらいました。
 
 会場は、なんか知らないけれど多分例年にない入りだったんじゃないかなあ。めちゃくちゃ長い行列が引きも切らずで。並ぶの嫌いな僕でもかなりの距離を並んだよ。
 席は、尼オケの常でちょっと前目に陣取って。今回は上手側、だよね、弦バスの方。
 
 さて、モルダウ。
 この曲、僕のイメージでは、モルダウの優雅な水面を表現するメロディはとても綺麗だけれど、白鳥の脚のようにそれを支えるためにそのほかの人たちがよったかってアルペジオやらなんやら細かい動きをちょこまかしている曲であって。だからその細かい動きが全部決まらなかったら曲として崩壊してしまう。
 そういう意味では、曲の練習に時間を割くアマオケには向いているのかな、って思ったのだけれども。
 ちょっとその全体像を聴くには席が前だったなあ。残念。
 席が前だった分、白鳥の脚にあたる人たちの苦労がよく聞こえて、それはそれで楽しかったのだけれどもね。
 
 1812年は言わずと知れた有名曲。
 僕の高校のブラバンは、僕のはいる一年前にこの曲を演奏会でやって、バスドラの皮を破いたらしいよ。本番じゃなくって、リハで。
 それくらい、この曲は、演奏してる方も、聴いている方も燃える曲なのだけれど。
 演奏はね、冒頭の低弦の響きがすごかったから、僕にとってはなんでもあり状態になったよ。
 それから、確かこの曲だったのだと思うけれど、僕は今回、ホルンに惚れたんだよね。
 まあ、ミスもそれなりにあったのだけれども、そんなことは問題にならないくらいの、音色。多分一人だと思うのだけれども、このデッドなホールでなんでそこまで、って云う響きが、ホルンの、特定の中音域が出てくるたびに充満したよ。すごいね。
 この曲はまあ、そんなにお堅い曲じゃないから、演奏がどうとかいうよりもどれだけ楽しませてくれるか、なんだけれど。あのバスドラ、いいなあ。タイトな音もいいけれど、何よりもうれしそうに叩いてるところが、すごくいい。
 この曲はいいけれど、次の曲のために、ラッパをはじめとするブラスの人たち、燃え尽きていなければいいのだけれどね。
 
 休憩を挟んで、ブラームス。
 僕は、今回のブラームス、すごく好き。
 大フィルとかで聴くと、ブラームスって、とっても窮屈に聴こえるんだよね。ブラームスって言う名前の、見えない筺があって、その中に響きが押し込められてしまうような感じなのだけれど。
 まあ、それはそれでブラームスっぽい響きって言うことで、好きなのだけれども。
 でも、今回のブラームスはね、そういうことを全く感じさせない、のびのびとした演奏で。
 それは、ブラームスの筺がなくなった、って云うわけじゃなくってね、アマオケの響きがその筺を充満する前に完結していた、って云うことだと思うのだけれども。でも、どちらにしても好きだなあ。この演奏。
 前半はホルンに惚れたけれど、この曲では、オーボエにくびったけだったよ。ややイングリッシュホルンのような響きのする1,2楽章のソロ。ああ、これがブラームスなんだよね。
 あと、2楽章だと思うのだけれど、セカンドヴァイオリンが裸になるところ。ここもすごくよかったよ。
 
 結局、僕は交響曲が好きなんだな、っていうことを再確認した演奏会でした。ありがとね。
 
 アンコール(タイスの瞑想曲だっけ?)では、ちょっとだけじんときてしまいました。

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2007年9月14日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第411回定期演奏会
ラモン・ガンバ:指揮
マーティン・フロスト:クラリネット
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

アダムス:歌劇 中国のニクソン より 主席は踊る
コープランド:クラリネット協奏曲
ブリテン:組曲 ソワレ・ミュージカル
レスピーギ:交響詩 ローマの祭り

 ちょっと時間が経っちゃったね。ごめんなさい。
 大フィル定期、一応今年度の折り返しになるのかな。通しチケットだと、あんまりその辺の区別がつかないのだけれども。

 何回も言っているけれど、今年の大フィルさんの定期は、ちょっと変わったプログラムが多いよね。交響曲が少ない、っていうのが一番の特徴。今になれば、オオウエエイジのベートーヴェンチクルスが入ったせいだって分かるんだけどね。
 というわけで、今回も交響曲無しの演奏会。
 メインはローマの祭りだから、別に不満はないよ。
 でも、そのほかは知らない曲ばっかり。どんな風に、楽しませてくれるんだろう。

 会場に入ってプログラム見たらね。大フィルさんのプログラムは、大体の演奏時間が書いてあるのだけど、前半、13分と18分。後半は11分と24分。合計で、えっと、56分。みじか。
 じいさんのブル7一本勝負より短いね。しかも知らない曲、知らない指揮者。ちょっと不安になっちゃんだけどね。

 舞台に出てきた指揮者、ラモン・ガンバ。でか。
 オオウエエイジや、下野竜也も、大フィルさんを振るのは小柄な人が多い(ホントか?)イメージがあるのだけれど、ラモンさんはでかい。ステージに出てくる下手の扉、頭低くして出てくるくらいでかい。まあ、特に意味はないのだけれど。

 ごめんね。
 時間が空いたこともあって、ほとんど覚えてないや。
 イメージとして、悪いイメージは全くなかったのはよく覚えてるんだけどね。
 最初の曲は、全く思い出せません。プログラム読み返したらなんか思い出すかも知れないけれど、それは本意じゃないからね。
 だから、2曲目。
 コープランドのクラリネット協奏曲。
 コープランドは、ロデオとか、エル・サロン・メヒコ。あとは市民のためのファンファーレとか。アメリカらしいジャジーな作曲家、っていうイメージがあるんだよね。有名なガーシュインほど露骨にシンコペーションとかブルーノートとか使わないけれど、どうしようもなくヤンキーの響きがするの。
 でも、このコンチェルトは、ほぼ弦楽だけに伴奏を絞って。その中でクラリネットがはね回る、でもやっぱりコープランドだって言う、良い演奏だったよ。
 でも、印象に残っているのは、アンコールなんだけど。
 何度も呼び出される独奏のマーティン・フロスト。短いプログラムを埋めるように、二曲もアンコールに応えてくれた。
 最初は、ソロでなんかの曲のカデンツァ。クラリネットって言うよりも、尺八の音色模写みたいな感じで、息の音の方が大きい音色から始まって、徐々に盛り上がっていく。ああ、クラリネットって、いろんな音が出るんだね。
 二曲目は。
 ステージの真ん中までこないで、ヴァイオリンの中でひたすらアルペジオを奏でるフロスト。1コーラスアルペジオを通したと思ったら、チェロが加わって。
 アヴェ・マリア。アーーヴェマリーーーアーー、の方じゃなくって、グノーの、アーーヴェーーマリーーーーアーーーの方ね。
 14コーラスごとにヴィオラが、ヴァイオリンが入ってきて、弦楽アンサンブルの、G線上のアリアみたいな、荘厳な音楽が鳴り響いたよ。こういうの、好き。ありがとね。

 ごめん。
 休憩あとのブリテンも全く覚えてないや。
 でも、今日のメインは、ローマの祭りだからね。いいでしょ。
 その、ローマの祭り。
 パイプオルガンや、バンダのラッパや、バンジョーやで、お祭り気分いっぱい。若いラモンは、大フィルの性能を全て解き放って、ものすごい響きを出すのだけれど。

 それはものすごい快感なんだけど。
 僕は、この曲の秘密をちょっとだけ、のぞいた気がしたんだよね。

 ローマ三部作の、僕のフェイヴァリットは、ムーティ/フィラデルフィアの演奏で。もうそれだけあればいい、っていうくらい溺愛してる演奏なのだけれど、ちょっと前に何を血迷ったか、ゲルギエフのローマ三部作を聴いて。
 唖然としたんだよね。おんなじ曲なんだろうか、って。
 ゲルギエフの演奏には、僕は不快感しか感じなかったから、一度聴いたきりでお蔵入りしていて、なんでそう思ったか分からなかったのだけれども。
 ラモンの、この演奏を聴いて、ちょっと分かってきた。
 ゲルギエフの演奏は、人体の不思議展なんだ、って。

 あ、なんのことか分からないね。
 あのね、ムーティのローマ三部作は、若いイタリア人が、アメリカのうまいオケを100%鳴らしきって、それはすごい迫力なんだけれど、端正なんだよね。曲としての見てくれがすごくいい。美形の皮膚をかぶったハンサムガイ。
 ところが、ゲルギエフの演奏は、そのハンサムガイの皮膚を全部取り払って、その下の筋肉や血管を全て露わにしている、そういう演奏。だから人体の不思議展。
 クラッシックから、モダン、現代の領域に半歩だけ踏み出したレスピーギの曲は、キレイな外見の中に不協和音やら訳のわからないフレーズやらを隠し持っていて。それを全てつまびらかにしたのがゲルギエフ。僕は好きじゃないけれど。

 今回のラモンの演奏はね。ムーティとゲルギエフを一直線上に並べると、ちょっとだけゲルギエフに近い、そんな演奏。
 かろうじて薄皮一枚かぶってるんだけれど、その下には鍛え上げられた筋肉やら血管やらが蠢いているのがよく分かる。
 つまりは、生で聴いていて、身をよじるような、そんな演奏。
 細かいところは覚えてないんだけどね。その、筋肉のうねり、そしてバンダをはじめとする金管の見事さ、バンジョーの効果。とっても面白かったことだけは、良く覚えてるよ。
 ローマの松は聴くことが多いけれど、祭りを全曲聴いたのって、はじめてかな。良い演奏だったね。

 カーテンコール。
 何度か目で、なかなか出てこないラモン。入り口を見ながら笑っている団員。
 やっと出てきたと思ったら、タキシードの下にガンバ大阪のユニホームを着て出てきた、ラモン・ガンバ。
 イギリス人なのに、アメリカ人みたいだね。

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2007年9月7日
大阪クラシック 9月7日 第8公演
大植英次:指揮、ピアノ
大阪フィルハーモニー交響楽団
ザ・シンフォニーホール 補助席I列28番 A席

モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番 より 第2楽章
チャイコフスキー:交響曲 第6番 悲愴

 さて、先週に引き続き。
 休み明けのオオウエエイジは働き者だね。去年に続いて、御堂筋を一週間、音楽に染め上げる大阪クラシックを開催した。
 いつもどこかで、生の音楽が御堂筋にあふれている。そういう町を挙げた贅沢な企画。オオウエエイジの面目躍如だね。
 僕は、大フィルの定期会員だから、チケットは先行発売で手に入るはずなのだけれども、不精者だから、大フィルから来た封筒もろくろく開けなくって、気がついたらオケのプログラムは全て売り切れ、ソールドアウト。
 インターネットのオークションを見ても法外な値段がついてしまうし、半分あきらめてたんだけどね。先週の、オオウエエイジのベートーヴェンの演奏会で、今回の公演の補助席を売り出していた。めでたくゲット、ラッキー。
 というわけで、去年を含めて大阪クラシック、初体験です。
 どうでもいいけれど、クラッシックではなくてクラシックなんだね。

 大阪クラシックのコンセプトは、いつも生でクラシックを聴かない人に、気軽に楽しんでもらおう、っていうものだから、今回のコンサートも、一時間限定。
 それにしては悲愴って言う、結構重たいプログラムなんだけどね。前に聴いたオオウエの悲愴は、2週間前に決まったスマトラ島のチャリティだったから、オオウエと大フィルのレパートリーで、あんまりリハしなくてもかたちになる曲なんだろうね。
 そういえば、また、スマトラ島付近で地震があったらしいね。みなさまの無事をお祈りします。

 補助席も出るくらいだから、会場はもちろん大入り満員。1500円だったらクラッシックでも大入りなんですよ、皆さん。あ、オオウエだったら5000円でも満員なんだっけ。ともかく、普段聴かない人が生演奏に触れるチャンスって言うのは、いいよね。僕みたいな人はちゃんとレギュラーのコンサート息なさいよ、って意味で去年は遠慮したのだけれど、今回はご新規さんお一人ご紹介、ってことで勘弁してね。

 さて。
 最初の曲は、オオウエ弾き語り、ではなくて弾き指揮のモーツァルトのピアノコンチェルト。2楽章限定。
 ピアノに座ったオオウエエイジが指揮をして、曲が始まったのはいいのだけれど。
 これ、遅くない?
 モーツァルトは、同じモチーフをいろんな曲で使ったりする(よね?)から、僕の耳に馴染んでいるこのフレーズがこの曲なのかどうか定かではないのだけれど。僕の知っているメロディよりもかなり、遅いんだなあ。
 このテンポは、オオウエエイジの指が規定してるのかな、って思ってしまったりして。
 演奏は、別に定期じゃないからどうこう言うつもりはないけれど。
 逆に言うと、定期じゃないから、アンコールで猫踏んじゃったくらい弾いてくれてもよかったのかなあ。

 休憩はないけれど、ピアノは片付けて。
 オオウエエイジの、マイクパフォーマンス。悲愴の聴き所解説。
 1楽章に隠れる運命の動機や、4楽章頭のヴァイオリンのメロディの作り方。そういうのをパートごとに音を出して示すオオウエエイジ。4楽章のメロディ。そういう音の組み合わせでああいう音が出るんだ。そんなこと、知らなかったよ。ありがとう。

 そして。
 悲愴。
 僕はね、すごくうれしかったんだ。
 あきらめかけていたこの演奏会を聴くことができたことが。その演奏が、きちんと気合いの入った演奏だったことが。
 チャイコフスキーの5番6番って、オオウエにお似合いだよね。もちろんマーラーとかシュトラウス(リヒャルト、ね)もお似合いなんだけど、クラシック聴いたことない人を引き込むには、チャイコフスキーは最適。
 こんなロマンティックな音楽、あんまりないよね。
 演奏は、オオウエ節、というかオオウエダンス全開で、飛ばす飛ばす。ちょうど僕の席はトロンボンのベルが直視できる位置だったからかも知れないけれど、トロンボンのバリバリ音、ひさびさに堪能したよ。相変わらず1楽章のベルトーンは速かったけどね。
 そう、悲愴はトロンボンの音楽なんだよね(ごめんなさい)。1楽章のベルトーンから、終楽章の悲痛な叫びまで、聴かせどころ盛りだくさん。そういう曲でバリバリボントロ、うれしいなあ。あ、僕はトロンボン吹きだからね。気にしないでね。
 今回やっと分かったんだけど、悲愴の1楽章には、全休止が2回、あるんだね。だから、交響曲は4楽章あって、最後まで拍手しちゃいけないんだ、って思ってる人が混乱してしまう。
 特に、3楽章がイケイケで、大運動会の盛り上がりで終わるからね。そこで拍手がきても全然不思議じゃない。
 案の定、今回そこで拍手が起きたんだけどね。オオウエエイジの背中がその拍手を封じて。弦の弓を下げることなく続いて4楽章に入ったのだけれども。
 僕は、この演奏会に限れば、この拍手はすごくうれしかったし、自然なことだと思うんだよ。だって、あんなに大盛り上がりで終わったら、絶対に拍手をしたくなるのが人の感情だし、そういう感情に素直な人が、つまりはクラシックの知識よりも感情を優先させる人が会場にたくさんいた、っていうことになるからね。
 僕も、いつも拍手したくなるよ。あそこで。

 その拍手で満足感を表明してしまった分。
 終楽章の、これぞ悲愴、っていう部分が際だった。
 この演奏会を聴いた人の半分くらいは、もしかしたら3楽章で終わってくれた方が良かった、って思っているかも知れないね。そのくらい、あらためて聴く悲愴の4楽章は、ホントに悲愴だったね。
 オオウエエイジの演奏も、遠慮なく悲愴で。
 アレグロでのカタルシスを拍手というかたちで味わってしまった分、終楽章の悲愴さ加減が際だったよね。
 僕は、好きだけどね。

 会場に鳴り響く、あったかい拍手。オオウエエイジをはじめて見る人がたくさんいるであろう拍手を、オオウエエイジは丁寧に受け止めていく。
 各パートを立たせ、全員を立たせ。次に出てきたときには立たないオケの祝福を浴び、何度も何度もカーテンコールに応えるオオウエエイジ。

 またファンが増えたね。僕もあらためてファンになったよ、っていうかファン度を増したよ。
 ありがとね。オオウエエイジ。

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2007年8月31日
大阪フィルハーモニー交響楽団 創立60周年記念講演
大植英次 ベートーヴェン 交響曲全曲演奏会 II
大植英次:指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
ザ・シンフォニーホール 2階CC列9番 A席

ベートーヴェン:交響曲 第4番
ベートーヴェン:交響曲 第5番
ベートーヴェン:交響曲 第6番

 夏休みも終わりだね。あんまり涼しくなんないけれど。
 大フィルさんも、シーズンオフの筈の8月の最後の日に、やってくれました。ベートーヴェンチクルス第二弾。働き者だね。

 前回の1,2,3番に続いて、今回は4,5,6番。あと、7,8番と第九、って続くのだけれども。
 例えばこの四回の組み合わせに、好きな組み合わせ、っていう意味で優劣をつけるとすると、今回の曲って、微妙だよね。
 もちろん、題名曲の運命と田園を含んでいる回だから、人気っていう意味では一、二を争うのだと思うけれど、この四回(の曲)を、好きな方、期待する方から並べていくと、どうなんだろう。
 9番はおいとくとすると、7番と3番っていうのが、僕の中の2大名曲でね、だから、どうしてもそれを含む演奏会が楽しみで、そう考えると、今回の組み合わせって、休憩プログラムか、とも思っちゃうんだよね。特に前回の、奇蹟のような2番の演奏を聴いたあとだとね。
 なんて贅沢なんだろう。

 さて。
 もちろん、席は前回と同じく二階席で。見慣れたアングルの俯瞰ショット。弦バスが一番上に来る両翼の配置の俯瞰にも、違和感感じなくなってきたね。
 今回はテレビカメラも入って。

 整列して入ってきたオケに続いて、オオウエエイジ。あのドタキャン以来なのかな。元気になったみたいだね。よかった。
 指揮台に登って、長い長い一礼。このまえはごめんなさい、っていう意味なのだと思うのだけれど、実は、今回のお客さんって定期のお客さんと大分客層が違うんじゃないかなあ。客席の雰囲気がかなり違うんだよね。まあ、それはオイオイ。
 でも、長い長い一礼、前回のベートーヴェンの時も確かそうだったよね。いかんなあオオウエエイジ。仏の顔も三度、だからね。ご自愛下さいね。

 さて、4番。
 さっきの、長い長い一礼が醸す緊張感とぎこちなさを、そのまんま引きずった出だし。え、4番ってこんなに緊張感のある曲だったっけ。合わないザッツと、進んでいかない音楽。
 それが、異様な緊張感を生むんだよね。冒頭から葬送行進曲か、みたいな。
 もちろん、中盤から音楽が流れるようになると、オオウエエイジのダンスが始めるんだけどね。
 2楽章くらいかな。ヴァイオリンの1番と2番だけになったときに、ゾクゾクしたんだよね。左右に分かれているヴァイオリンのステレオ効果で、いきなりホールが音に包まれた。今までは緊張感はあったけれど、どことなく他人行儀だったのが、その一瞬で自分もプレイヤーになって。
 そして3楽章。
 えっ、こんなに分厚い音がするんだ。トロンボンもいなければホルンも二人だけなのに、まるでブルックナーのような、大きな池の底からわき上がってくる巨大な水泡のような音。擬音で表すと,ぐわっ、っていう音。ベートーヴェンで聴けるとはね。
 うれしいなあ。
 今回は二時間半の長丁場だからね、聴く方もペース配分しなくちゃね、とか思ってたのだけれど、そんなことは吹っ飛んじゃうほど幸せに包まれてしまいました。

 休憩無しに、続いて5番。
 トロンボンが入ったり、編成が大きくなってるんだけど、それ以外にも結構管の人とか入れ替わってるんだね。そりゃあそうだよね。岩城のじいさんが九曲連続演奏会をやったときも、オケは二つか三つだったもんね。
 いつもの見覚えあるソリストの人たちがステージに集まってきた。

 その中でオオウエの運命。
 おお、早い。
 テンポも速ければ、フェルマータもほとんどなく、でも力強く運命の動機が奏でられていく。僕はベートーヴェンはほとんどじいさんの演奏でしか聴いたことがないから、時折現れる違和感、っていうか新発見は,じいさんとの違い、っていうことになるのだろうけれど。
 そんなことはどうでもよくて。
 1楽章の、オーボエのソロ。
 管楽器はローテーションがあるからだろうけれど、結構トラの人もいて。オーボエのソロを吹いたのは見かけないガイジンの人で。あとであわててプログラム見て、ドミトリー・マルキンっていう人だって知ったのだけれども。
 なんだこれ。
 たった数小節の短い、ソロっていうよりも単に裸になったところ、っていうくらいのフレーズなんだけれど。
 思わず背筋を正しちゃったよ。
 なんだこれ。
 僕は少し前まで大フィルにいた加瀬さんのソロが結構好きだったのだけれど、加瀬さんの官能に、太い芯を通して音量を上げて、音色の輝きを倍にしたような、そこだけオーラが出てるようなソロ。
 すごかったなあ。
 マルキンさんのソロは、その後も何カ所かあって、その度に演奏に(というか、僕の観賞態度に)緊張感を与えてくれたんだよね。
 あとは、メンバー入れ替わったホルンも大活躍だったけれど。
 そうそう。客層違う、っていうのはね。拍手のタイミングが、定期と比べて早いんだよね。響きの消えないうちに始まるの。定期で、オオウエの演奏会で、そういうことってこの頃あんまりなかったから、ちょっと残念だったな。
 そういうのって、普段あんまりコンサートに来なくって、外国のオケばっかり追いかけて、日本のオケなんかケッとか思ってる自称クラッシック通の人たちのせいなんじゃないかなあ、って勝手に思ってしまうんだよね。休み時間のホワイエの会話とかも聞いていると。
 まあ、もちろんいいのだけどね。もう少し余韻を味わいたかったなあ、って思っただけ。

 5番でオオウエエイジが唯一立たせたマルキンさん。僕は、今まで一度もしたことなかったのだけれど、思わずブラボーコールをしてしまったよ。それを受けてオオウエエイジがもう一度マルキンさんを立たせてくれたから、届いたんだね。ちょっとうれしい。
 マルキンさんは6番は降り番だったけれど、今回が採用試験で、近々大フィル入り、なんてことにならないかなあ。楽しみ。

 しっかし、演る方も大変だろうけれど、聴く方もたいがい大変だよね。
 4番でヒートアップして、5番のオーボエで完全にいかれてしまった僕は、6番はちょっと集中を欠いたかな。
 元々とらえどころのない曲、って思っていて、最初のワンフレーズの終わり方、くらいしか聴き所を思いつかないのだけれど。ここでもオオウエエイジは早かったね。
 あとは、クラとオーボエかな、鳥の鳴き声のところ。すごいね。
 いかんいかん。昨日のことなのに。でも、6番が休憩曲になるって、すごい演奏会だよね。

 これから一週間、大阪クラッシックで出ずっぱりだと思うけれど、まだまだ残暑厳しき折、身体に気をつけて、来週も良い演奏聞かせてね。

 

 あ、それから。
 プログラムに、チクルスの記録が載ってるんだけれども、2000年のも入れといてよー。
 定期との合わせ技だから、正式なチクルスではないのかも知れないけれど、僕の聴いた唯一のチクルスだから、入れて欲しかったな。
 せっかくなので、ここにメモとして残しとくね。僕の記憶のために。

 平成12年(2000年)
 1)3月10日 フェスティバルホール(第336回定期演奏会)
 指揮:朝比奈 隆
 交響曲 第2番
 交響曲 第6番

 2)5月10日 ザ・シンフォニーホール
 朝比奈隆の軌跡2000
 指揮:朝比奈 隆
 交響曲 第4番
 交響曲 第5番

 3)7月8日 ザ・シンフォニーホール
 指揮:朝比奈 隆
 交響曲 第1番
 交響曲 第3番

 4)9月24日 ザ・シンフォニーホール
 指揮:朝比奈 隆
 交響曲 第8番
 交響曲 第7番

 5)12月29,30日 フェスティバルホール
 指揮:朝比奈 隆
 交響曲 第9番

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2007年7月5日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第409回定期演奏会
下野竜也:指揮
伊藤 恵:ピアノ
ザ・シンフォニーホール 1階N列36番 A席

ブラームス:ピアノ協奏曲 第1番
ブルックナー(スクロヴァチェフスキー編):アダージョ 弦楽五重奏より
シューマン:交響曲 第4番

 特に悪い印象があったわけではないのだけれど、なんかずるずると書かないまま日が経っちゃったね。
 ごめんなさい。
 
 というわけで、記憶も微かな、まだ夏が始まる前、7月のはじめの演奏会について、です。
 とはいえ、あんまり覚えてないんだよね。
 
 オオウエエイジのドタキャンの演奏会のあとで、プログラムには綴じ込みでオオウエエイジのメッセージが入っていた。僕はあの演奏会は、前に書いたようにすごくいい演奏会(でも二度はごめんだけれど)だと思っているから、素直に、ご丁寧にありがとうさん。という感じ。
 
 今回は、下野竜也。
 じいさん唯一の愛弟子、というか大フィルの練習生だったからか、結構出場回数が多いんだよね。あんまり癖のない、丁寧で爽やかな熱演を聴かせてくれるから、結構いい感じなのだけれどもね。
 
 なのだけれども。
 そう書いてしまうと、後が続かないんだよなあ。特にこんなに日数が経ってると、ほとんど印象に残ってないんだよね。
 
 ピアノの伊藤恵については、じいさんとペアで何回か聴いているのだけれども、今回初めてああ、いいなあ、って思ったんだよね。
 僕はあんまり、ソリストについてどうっていうのが分からないのだけれども、伊藤さんのあでやかな衣装と表情からでてくる、ころんころん系の音色が、ブラームスに良く合ってるなあ、って。
 いつもは眠たい協奏曲、気持ちよく聴けました。
 ころんころん系っていうのは、ゴンゴン系の対義語ね、ちなみに。
 
 そうなんだけど、下野竜也についてはね、ほとんど印象がないんだよなあ。
 ブルックナーのアダージョも、演奏を聴くっていうよりも、スクロヴァチェフスキーの編曲で、交響曲のブルックナーの雰囲気が残ってるところを探しながら、ほおずきの皮の裏側を糸切り歯でこそぎ落としながら、微かな甘みを求めていくような聴き方だったし。
 シューマンは、ホントにごめんなさい。なんにも覚えてないや。
 
 悪い印象はなかったことは覚えてるんだけどね。でも、若いんだから、二月もしないうちに全然印象から抜け落ちるような演奏してたら、ダメだよ。
 って、完全な責任転嫁です。ごめんね、下野さん。じいさんの代役の新世界から、ファンなんだけどね。
 
 今週は、オオウエエイジのベートーヴェン。
 どんな演奏、聴かせてくれるんだろうね。

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2007年6月15日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第409回定期演奏会

三浦 宣明:指揮
中村 彰子:ソプラノ
三原 剛:バリトン
長原 幸太:合奏指揮
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

フォーレ:レクイエム
ブラームス:交響曲 第4番

 まず、この演奏会を中止せずに開催するという決断を下した、大フィルの事務局の方に。そして、楽団員の方、合唱指揮の三浦宣明さん。コンマスの長原幸太さん、その横の梅沢和人さん。それから、あの日、ホールにいた皆さん。
 そして、残念ながらこの場には居合わせることが出来なかったけれど、間違いなく、この演奏会を、この演奏会の下地を創ったオオウエエイジ様。
 それぞれ、苦渋の決断だったと思います。でも、ごらんの通りの結果です。二日経った今でも、まだ、冷静に振り返ることが出来ません。
 ほんとうに、ありがとうございました。

 演奏会の二日後には、ここまで書くのが精一杯だったのだけれども。それからまた一週間が過ぎて、今度は少し冷静に振り返ることが出来る、のかな。
 まあ、やってみるね。

 この日の演奏会はね、変わり種の多い今年のプログラムの中では、思いっきりの変わり種、とも言えるし、数少ない正統派、とも言えるんだけど。ともかく、ものすごく楽しみな演奏会だったんだよね。普通、一回の演奏会で聴けるなんて、絶対思わない組み合わせ。そしてもちろん、どっちもメインを張れる曲の組み合わせ。しかも渋い。
 本気だな、オオウエエイジ。
 そういうプログラムだったんだよね。

 楽しみにしていた当日のお昼休み。会社で日経新聞をパラパラめくってると、なんと地域欄に大フィルさんの記事が。
 オオウエエイジがめまいでドタキャン。
 あらら。大丈夫なのかしら。
 オオウエエイジの具合と、そして今日の演奏会。でもあんまり深く考えなかったんだよね。めまいくらいなら、今日は大丈夫なんじゃないか、って。そう信じ込んでいた。

 とりあえずなんか食べる前に、ちょっとホールの前を覗いたんだよね。そしたら。入り口前の張り紙。そして、正装してチラシを配る事務局の人たち。
 ああ、今日もダメ、なんだ。
 事務局の人に、フォーレは合唱指揮の三浦さんが、そしてブラームスは指揮者無しで演奏することを確認して、とりあえずちょっとおなかを満たしに出かけたよ。
 お大事に、とお伝え下さい。っていうこと場がとってつけたようにしか聞こえなかったから、やっぱり結構ショックだったんだろうなあ。僕にとって。
 でも、係員にくってかかる人や、払い戻しのために窓口に、ってざわめく人は全くいなくって。みんな蕭々と受け入れていた。昨日はどんな様子だったんだろう。

 軽く小腹を満たして、ホールに入ったら。補助席まで入っての超満員。そりゃあそうだよね。合唱団だっているし。
 その合唱団は、こじんまりとステージの上にひな壇を組んであった。あたり前だけどフォーレのレクイエムは、ヴェルディのレクイエムとはちがうからね。ってヴェルディのときも合唱はステージ上だけだったね。

 前置きは、いいよね。
 演奏は。

 フォーレは、熱心なクリスチャンではなかったみたいだね。プログラムに「あえていうなら、他人の信仰に敬意を払う不信心者の作品」って書いてあって、大笑いしてしまったのだけれども。でも、この一言で、前に聴いたときには取っつきにくいな、って思ったフォーレが、ずいぶん近いところに来たんだよね。
 三浦さんの指揮は。
 三浦さんは合唱団の指揮者で、だからこの曲もよく知っているだろうし、オケも合唱曲を中心に振ったことがあるようだけど。でもやっぱり、緊張してたんだろうね。当日、リハが終わってから、やっぱり振って、だからね。
 いつもは、カーテンコールで出てくるだけだけど、実直そうな人だよね。
 その三浦さんの指揮から出てくる音は、特に合唱の音は、とってもあったかくって。そして、とても丁寧で。
 オケが少ない分、パイプオルガンの音が相対的に目立っていて。ブツッとしか音の切れないパイプオルガンが、フレーズの余韻を邪魔しているところが結構あったけれど、それはどうしようもないのかな。
 ピアニシモの伸ばしとか、緊張感あふれるところでも、ちょっとオルガンが邪魔する感じだったなあ。
 でも、そんなことは、敢えて言えば、って言うことで。
 オルガンのとなりに位置したソプラノの中嶋彰子さんの、とっても華やかな容姿と、上から降り注いでくる歌声。これだけでも、オルガン席に人が居なくちゃな、っていう立派な理由になってたしね。
 そして、そんなことさえどうでも良くなるくらいの、演奏。
 僕の中で、丁寧、って言うのは演奏を聴く上での大きなキーワードだからね。三浦さんが、オオウエがいないからいっちょなんか奇抜なことやって名を挙げてやろう、っていう人じゃなくって、多分いつも合唱団に言っていることを丁寧に丁寧にステージでもやろう、っていう人だってことが演奏によく現れていて。
 もちろん、本職指揮者のオオウエが振れば、もっとケレンに満ちた豪華な演奏になったのかも知れないけれど。
 でも、この演奏からは、フォーレの匂いが、立ち上ってきたよ。僕の中のフォーレは、朴訥なピアノ曲のイメージが強いのだけれども。
 ありがとうね、三浦さん。

 そして。
 ブラームス。

 もちろん僕は、この演奏を瑕ひとつない大名演だっていうつもりはさらさらないし、例えばCDが出たって、買うけれど愛聴版にするとも思えないのだけれど。
 でも、そういうこととは全く無関係に。
 演奏中にたまらずハンカチを取り出した僕は、しゃくり上げるのを堪えるのに必死だったよ。
 一週間以上経った今でも、思いだしたらツンと来るもの。

 休憩終わって、コンマス以外の席が埋まったステージに入ってきた長原君。客席の拍手は、コンマスに贈るべきモノなのか、指揮者に贈るべきモノなのか迷いがあって、それが異様な緊張感をもたらして。
 久しぶりに並んだ長原君と梅沢さんの組み合わせが、この演奏会にかける意気込みを表しているようでもあり、こういった事態を予想していたようでもあり。それもまた緊張感を(僕にね)与えてた。

 ブラームスの4番って、すごく指揮者冥利に尽きる曲、と思うんだよね。各フレーズでテンポを揺り動かすことが効果的な。オオウエエイジに似合いそうな曲。もちろんリハでそのニュアンスを伝えている部分もあるだろうけれど、指揮者がいなければ再現できない部分が多いだろうから、今日の演奏は、僕らが聴くはずだったモノとは完全に違うモノ、と思った方がいいと思うのだけど。

 そう。この日、ステージで繰り広げられたのは、全くの別物。
 大きく身体を揺すりながら、あるいは弓でテンポをとりながら演奏をリードする長原君。楽団員の視線は、いつもよりも3メートルばかり右にずれて、コンマスの一挙手一投足に注目する。
 誰も確信に満ちないまま、ぎりぎりと集中力だけが高まっていく。
 そして、出てくる音楽は、指揮者の仕掛けるギミックを取っ払った、骨太の、ブラームス。
 この集中力と異様な緊張感に溺れそうになった僕は、1楽章だけで、すでにあっぷあっぷの状態だったよ。
 多分、聴衆のかなりの部分もそうだったんだろうね。定期ではあり得ない、1楽章での拍手。控えめながら、賛同を得て続いていく拍手。
 もちろん、僕もしたよ。
 そうしないと、失礼に当たる。そう思ったからね。
 でも、そこで拍手をしてしまったら。あっぷあっぷの状態から一息ついたら。
 今度は、涙が止まらなくなった。

 拍手に応えて、少しだけ笑顔を見せた長原君。すぐにまた緊張感の中に戻っていって。
 そこからの一挙手一投足を、僕は目に焼き付けた、と思ったのだけれども。でもどちらにしろぼやける目だったから、思い返しても、ぼやけた再現しかできないや。

 高校の時、吹奏楽部で下手な楽器を吹いていた僕らの部室には、模造紙に毛筆で書いたスローガンがかかっていたんだ。
「みんなでひとつになって、ひとつの音楽にしよう」
 っていう、当時の熱血高校生から見ても、いささか恥ずかしいと思えるスローガンだったのだけれど。
 でも、全然恥ずかしいことじゃないよね。
 このブラームスを聴きながら、この標語が、長い間壁に貼って、黄ばんだ模造紙に書かれた達筆な書体が、鮮明に想い出されたよ。もう四半世紀も近く前の話しだけれども。

 でも、僕はこの日、確かに聴いたよ。
 その昔、僕らが唱えたスローガンを、プロのオーケストラの楽員さんが、必死で、実現するのを。
 僕らは、間違っては、いなかったんだ。

 もちろん、これはアクシデントであって、オオウエエイジが振ってくれたなら、その演奏とこの演奏を比べることなんてナンセンスなのだけれど。
 でも、聴いてよかったな。
 あくまで、一回なら、だけれども。

 緊張感で縮こまって、小さくまとまった演奏のほうがやりやすかっただろうに、萎縮せずにいつもの大きな響きを聴かせてくれた楽団員の方、ありがとうございました。

 僕は、生まれて初めてのファンレターを、オオウエエイジに出したよ。

2007年6月5日
大阪フィルハーモニー交響楽団 創立60周年記念講演
大植英次 ベートーヴェン 交響曲全曲演奏会 I
大植英次:指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
ザ・シンフォニーホール 2階CC列9番 A席

ベートーヴェン:交響曲 第1番
ベートーヴェン:交響曲 第2番
ベートーヴェン:交響曲 第3番  英雄

 さて、気を取り直して。
 3週連続大フィルさんの第2回目。そして今日は、特別な演奏会。
 そう。オオウエエイジのベートーヴェンチクルス、第1回目。
 オオウエエイジの前任者の朝比奈じいさんは、それはもうベートーヴェンが大好きで。飽くことなくベートーヴェンの交響曲を演奏し続けた。若い指揮者に対しても、「自分のオケを持ったら、まずはベートーヴェンの全曲を演奏しなさい」ってことあるごとに言っていた。
 そのじいさんの後継で、オオウエエイジが来てから丸4年。オオウエエイジは不思議と思えるくらい、ベートーヴェンを避けてきたんだよね。定期の7番と、いずみの4番、お祭りの3番(だっけ)くらいなのかな。僕が聴いたのは7番だけだけれど。
 そんなオオウエエイジが、なんといきなり。ベートーヴェンの全曲演奏会。マーラーよりもブルックナーよりも先に、ベートーヴェン。
 僕はどっちかって言うと、家ではブルックナーとかマーラーとかを聴くことが多くって、家のCDチェンジャーにはベートーヴェンはほとんど入っていないのだけれども。でもそれは嫌い、って言うことではなくて。レスペクトしている順位で言えば、ブルックナーと双璧に来るのは間違いないんだよね。
 今回の全曲演奏会は、番号順に3曲ずつ2回、7,8番を一回、そして年末の第九。4回で全部聴けるお得版。今日が一回目の、1,2,3番。

 もうひとつ、この演奏会が特別なのはね。これは、僕にしか意味のないところなんだけど。このシリーズの通し券の座席。2階CC列9番。2000年の朝比奈隆の軌跡シリーズで、ベートーヴェンを3回、聴いたのと同じ席、なんだ。
 この席を取るために、発売日に出張先の汐留で、一生懸命に電話かけたんだ。2000年の時には、開演迫った頃にほぼ選択の余地がない状態で買った席だから、そんなにはやく埋まるはずはないんだけど、このチクルスはこの座席で聴かなくっちゃ、って言う強迫観念があったんだよね。

 久しぶりのシンフォニーホールの2階席。こんなに階段登るんだったっけ、ってハアハア言いながら座席に着くと、今でも鮮明に覚えてる、見慣れたアングル。
 ここで、じいさんの7番も3番も、聴いたんだよな。
 オオウエエイジは、どんなベートーヴェン、聴かせてくれるんだろうな。

 2階席で、ステージを俯瞰するのは久しぶりだからなのか、なんかちょっと違和感があるんだよね。ああ、第2ヴァイオリンが右側に来て、弦バスがひな壇の上段に居座っているせいか。そして、管楽器がこぢんまり。金管なんか、ラッパ2、ホルン2の4人しかいない。そうか、トロンボンがいないのは知ってたけれど、チューバもいないんだね。

 そして、オオウエエイジが入ってきて、ベートーヴェンが始まった。

 最初に断っておくけれど、僕がこの演奏会で「聴いた」のは、第1番だけ、なんだと思うんだよ。
 1番はね、もちろんどこをとってもベートーヴェンで。この場合のベートーヴェンって言うのは、弦のコードの響きとか、ロータリートランペットが奏でる、ちょっとひしゃげた音、って言うのを指して言っているのだけれど。
 もちろん十分に魅力的なのだけれども、1番の時点では、僕はまだ冷静に「聴いて」いたんだよね。じいさんがよく言っていた、「鷹の爪」の交響曲を、味わっていた。

 のだけれどもね。

 第2番。
 もし、ベートーヴェンの9曲の交響曲を好きな順、あるいはレスペクトする順に並べ替えるとしたら、2番って、8番と並んで一番最後を争うんだよね。単独で聴くことがほとんど無い曲。
 なんだけどね。
 1番から休み無しで演奏されたこの曲で、僕は不思議な体験をしたんだよね。
 さっき言ったとおり、僕はこの曲(あとの3番も)聴いたんじゃない、んだよね。多分。
 僕は、この曲と、同化したんだ。きっと。

 交響曲が3曲もある演奏会って、例えばコバケンの炎の演奏会みたいな企画ものが多いよね。3曲ともテンション挙げてシリアスに聴くのって、大変だもんね。この演奏会の場合、メインはもちろん3番で、2番は捨て曲、っていうイメージがあるよね、どうしても。失礼なことは分かっているのだけれど。
 ところが、この2番。さっきの1番とはまるで違って。響きって言うか、音の後ろにあるオーラが全然違う。2階席だって言うのに、音の洪水の水位がここまで上がってきて、僕は一瞬溺れたんだろうね。
 気持ちのいい音楽の時に多いのだけれど、曲が鳴っている事があまりに自然で、その中に入りながら物思いに沈むことって、あるよね。決してうとうとするのではなくって、音楽に浸りきりながら、物思いと音楽が醸す物語が融合していく。このごろそんな幸せな瞬間、あんまりなかったんだけどね。
 2番でそういう瞬間が訪れて、僕は今が何楽章なのかを見失ったんだ。頭の中ではかなり長い間物思いに沈んでた感じがあったんだけどね。
 だから、楽章が終わるごとに拍手がしたくてたまらなかったんだけれども。結局、ホントの拍手をするまでに、僕は3回我慢をしなくちゃいけなかったんだ。
 ってことは、あの瞬間は、第一楽章での出来事だったんだ。
 ずいぶん長い間、と思ったんだけど、一瞬だったんだね。
 その余韻か、それ以降も僕には音の向こうのオーラがはっきり感じられて、それこそ神懸かりの演奏と思えたよ。
 今日の演奏会は、2番にとどめを刺すね。そう思ったんだけどね。
 音のオーラは、休憩を挟んだ3番でも消えなくてね。最初の二音、あまりの速さに虚をつかれたのだけれど。でもそれでじいさんの面影を追わずにすんだからね。
 フォルテはもちろんピアノにも。ミュートしたチェロのソリにも葬送行進曲のオーボエにも、トリオのホルンにもオーラはついてきて。だから僕は、曲を聴くという感覚は全くなくって。強いて言えば感じる、浴びる、同化する。そういう幸せな感覚が終わりまで続いたんだよ。

 それがオオウエエイジのおかげなのか、この席のせいなのか、ベートーヴェンの魔法なのかはよく分からないけれど。
 でも、次の4,5,6番、そして7番。もしこんな事が続くんなら、僕はティッシュを一箱、持ち込まなくっちゃいけないね。

 ありがとね。オオウエエイジ。こういう瞬間を、じいさん以外で体験できるなんて、想像もしていなかったよ。
 
 

2007年5月31日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第408回定期演奏会
井上 道義:指揮
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

伊福部 昭:日本狂詩曲
リスト:ハンガリー狂詩曲 第2番
エネスコ:ルーマニア狂詩曲 第1番
ディーリアス:ブリッグの定期市〜イギリス狂詩曲
ラヴェル:スペイン狂詩曲

 別に何が悪いっていうわけではないのだけれども。
 この演奏会に僕は、なんの印象もないんだよね。なんなんだろう。

 ちょっとだけはやくホールに着いたから、ホワイエでワインなどを飲んでいたのだけれど、隣のテーブルにいたのは井上さんですね。指揮者の。
 だから、余裕で良い演奏聴かせてくれるものだとばっかり思ってたんだけどね。

 今日のプログラムは、古今東西の狂詩曲集。伊福部からラヴェルまで、民族性の強い狂詩曲っていうくくりで世界旅行をしよう、そういうことみたいなのだけれど。
 なんも覚えてないや。っていうか退屈でずっと寝てた。

 もちろんね、2曲目のアタマの木管の力強いデュオや、3曲目の低弦の勢いとか。聴き所だってあったんだけどね。
 でもやっぱり、狂詩曲って、オードブルであって、それを組み合わせてもメインディッシュにはなんないよね。
 生ハムサラダを次から次に持ってこられてもなあ。

 休憩でもう一回、今度はビールを飲んだよ。

 前は肯定的に聴いていたミッキーのラヴェルだけれど、この曲の並びで来られたら、あんまり面白く聞こえないなあ。ラッパよかったけど。

 別に奇を衒わなくっていいから、聴き応えのある選曲に、して欲しいなあ。

 

2007年5月30日
ayumi hamasaki ASIA TOUR 2007 A
浜崎あゆみ
大阪城ホール E11列23番 スタンド

 

 

May 09, 2007
Boston Pops Orchestra
Opning Night at Pops
Sponserd By Fidelity Investments
KEITH LOCKHART: conducting
Presenting BEN FOLDS
featuring Rdgar Renesto Ramirez
Symphony Hall Boston 1BC G 35

Dvorak: Carnival Pvarture
A Tribute to Oscar and Tony
Rogers/Hammerstein: Main Title from The Sound of Music     
Lloyd Webber - Moeley: Overture to The Phantom of the Opera  Prelude - Music of the Night
Lerner / Loewe: Main Title, Fountain Scene, and Chez Maxin Waltz, from Gigi
Kander / Ebb-Besterman: All Thet Jazz, from Chichago

Fidelity Ibvestments "Inspire the Future" Award Presentation

Steiner / Hawes - Hayman: MTA Firm produved by Susan Dangel

Presenting BEN FOLDS
featuring Ernesto Ramiez

 たまには、気分を変えてね。
 違うオーケストラのコンサートに、行って来たよ。会場も、ザ・がついていないSymphony Hall。さて、どんな演奏が聴けるんだろうね。

 よく分からないのだけれど、ボストンのオーケストラは、クラッシックコンサートのシーズンと、ポップスコンサートのシーズンを完全に分けているみたいだね。今日は、そのポップスシーズンの最初の日。チケット代も、ちょっと高かったのだけれども、もちろん日にちを選ぶ事なんて、出来ないからね。
 ボストン美術館から、スターバックスに寄り道しながらシンフォニーホールまでの道は、学生街なんだね。YMCAとかあったりして。普通のカジュアルな学生さんに混じって、タキシード来たおっちゃんや、ドレスに身を固めた学生風の女の子二人連れとか、ちらほらと見えた。この人達についてったら、シンフォニーまで行ってくれるかな。
 シンフォニーホールは、煉瓦造りの古っぽい建物が多いボストンの街並みでは、そんなに目立つものではなくて、大通りの一角に突然現れる、っていう感じなのだけれども。
 ボックスオフィスでチケットを受け取って、中に入ろうとすると、入り口で止められたんだ。これはチケットじゃない、って。チケットが入っているこじゃれた小さな封筒には、何枚もの紙が入っていて。明細とか予約表とかそういうものなんだけれど。それがみんな同じ紙なんだよね。厚手の、シンフォニーホールの絵が印刷してミシン目の入っているチケット用紙。3枚目にやっと本物のチケットを探り当てて、中に入ったら。そこはパーティ会場。いろんなお酒や、オードブルなんかが並んでいて。というより人だかりでなんにも見えないのだけれど。
 今、チケットの封筒の中にあった紙をよく見たら、お酒と交換できるクーポン券が入っていたんだね。システムのよくわからない僕は、アリーナ席(おっと、一階席だね)の人たち用のお酒なのかと思って遠慮しちゃったよ。損したな。
 まあ、いいのだけれど。

 僕が取った席は、2階バルコニー正面の、一番端っこの席だったのだけれども。あ、このシンフォニーホールはね、体育館みたいな細長い四角の建物で、三方にはバルコニーの2階席、3階席が取り巻いているのだけれども。

 演奏はね、演奏がどうこう言う演奏会ではないのだけれど。
 ステージの上から降りてきたスクリーンに、映画の名場面を静止画や動画で流しながらの映画音楽集。A Tribute to Oskar and Tony。僕が見た映画は、サウンドオブミュージックとシカゴだけだけど、それだけでも偉大な曲達だって事が分かるよね。(映画というかミュージカルなのだけれど)。(曲目書いてて気がついたのだけれど、Oskar and Tonyは、賞の名前であって作曲家の名前じゃないよね。ああ、恥ずかし)
 演奏はね。なんと言っても、トロンボンのうまさ。席の関係で、トロンボンのベルが直接奥までのぞき込めるようなところだったから、って言うのもあるんだろうけれど、よく鳴るんだ。John Williamsを名誉指揮者に迎えるオケだからあたり前なのかも知れないけれど。映画音楽って、トロンボンの音階が下から上にユニゾンで駆け抜ける、って言うパターンがいっぱいあるんだけれど、その下からよく鳴っていて。ラッパもそうだけれど、フォルテだけじゃなくって、メゾフォルテやピアノでも、鳴っている、って言う音色なんだよね。うまいなあ。
 あと、映画とかの映像とのシンクロのうまさ、ね。だれかがオペレートしているのか、指揮者が合わせているのか分からないけれど、スクリーンに映し出される映像の移り変わりと音楽がぴったり。そういうのって、うれしいよね。

 その、画像とシンクロの真骨頂が、後半最初の曲。
 これは、なんなんだろう。ボストンポップスの指揮者のプロモーションビデオなのか、ボストンの地下鉄の宣伝なのかよく分からないけれど、「決して学習しない男」Keith Lockhartが地下鉄を何往復も乗り過ごしたり乗り間違えたりして、最後にやっとシンフォニーホールにたどり着く、って言うショートムービーなんだけど。小気味いいテンポのフィルムと、得意気に熱演する指揮者(演奏じゃなくってフィルム中の演技ね)と、そしてシンクロ完璧な演奏で、場内爆笑。これ、オオウエエイジもやったらいいのに。

 さんざん笑ったあとは、人気者のポップス歌手(なのだろうね)、Ben Foldsのステージ。ピアノの引き語りにオケが伴奏をつける、って言うスタイルなのだけれど。僕はこの人をよく知らないのだけれど、そしてエイゴも片言しか理解できないのだけれど。それでも、面白かったな。うた、というよりパフォーマンスがね。決して下品でないラジカルなフォーク、っていう感じなのかな。
 鳴りやまないアンコールに、即興の歌で応えるBen。フレーズごとにコードを大声で叫んで、それを指揮者がストリングスに指示して伴奏も即興で創っていく。
 そういうアバウトさが、ポップスコンサートであり、アメリカ人のおおらかさ、なのかな。その前のMTAの緻密さとはまた違ってね。

 Benが去って、もう一回オケのパートがあるのかと思いきや、Stars and Stripes Forever、星条旗よ永遠なれであっけなく終演。多分1時間40分くらいだったね。
 でも、めいっぱい楽しませてもらいました。ありがとね。

 このコンサートの、シーズンスポンサーであるFidelityの宣伝が結構行われていたり、挨拶にもスポンサーへの感謝の言葉が入ったり、Fidelityの奨学金の表彰が行われたり。
 そして、チケット代に22ドルの寄付が含まれていたり。(それとは別に、オンラインでチケット買うときに、いくら寄付しますか、ってきいてきたり)
 オーケストラは地元の文化であり、お金がかかるんだよ、って言うことをスマートに伝えて許容する文化って、いいよね。
 オオウエエイジなら、それが出来そうだよね、がんばれ大フィル。

2007年年4月26日
第49回 大阪国際フェスティバル 2007
大阪フィルハーモニー交響楽団
大植英次:指揮
フェスティバルホール 2階D列L35番 A席

ブルックナー:交響曲 第8番

 オオウエエイジの治世も、丸四年が過ぎて。そろそろ再演のサイクルがぽつぽつ入って来るみたいだね。
 定期でのそれが、幻想っていうのはよく分からないけれど。
 でも、その前に。ブルックナーのやり直し。どんな演奏を聴かせてくれるんだろうね。フェスで。

 実は僕は、あんまり期待してなかったんだよね。ブル8の再演に。フェスでのブルックナーに。そして何より、オオウエエイジのブルックナーに。だから、しばらくの間チケット買おうかどうか迷っていたりして。
 意を決したときには、2階席の端っこしか空いてなかった。結局買うんだから、半端な悩みなんかやめておけばよかったのにね。
 だから、フェスの2階席の、端っこからのブルックナー。これはもう、気軽に楽しむしかないね。

 フェスティバルホールの壁に貼ってある国際フェスティバルのポスターを見たら、今年は大フィルがとりじゃないんだね。という事は、あの淀工ブラスのファンファーレがないんだ。ちょっと損した気分。いいのだけれど。

 何か愚痴っぽいけれど、実は結構楽しみにしてたんだよ。考えてみれば、久しぶりだもの。ブルックナー。しかもあの革命のあとだしね。フェスのブルックナーは、じいさんの8番以来だね。あの時は、曲の巨きさに圧倒されて、正直、演奏がどうとかよく分からなかったよ。

 2階席のほぼ一番左からみるステージは、ワグナーチューバのベルがよくのぞき込めるけれど、もちろん全貌を見渡せていい眺め。ずっと一階席で聴いていたから、音はともかく視覚的に金管が見えるっていうのはありがたいよね。問題は、ここまで音があがってくるのか、なんだけど。

 オオウエエイジが入ってきて、気合いを入れてトレモロとホルン。
 それが始まった瞬間に、客席に鳴り響く携帯の着信。オオウエエイジがいったん、演奏を止めて。
 あらためて仕切り直し。集中力が切れなきゃいいけどね。

 もちろん、僕の中にはじいさんのブル8、それも1994年のブル8が強烈なイメージとして残っていて。それを頭の中でなぞりながら聴くものだから、トレモロの力感がないとか、チェロが官能的でないとか、テンポ揺らしすぎとか、そういうことがいっぱい頭に浮かぶのだけれども。
 でも、それは、ここで奏でられている音楽にとっても失礼だよね。今日は2007年で、そして振っているのはオオウエエイジなんだから。

 正直、1、2楽章はそういうことが頭から離れなかったのだけれども。そして、なんかすぐに過ぎてしまった気がしたのだけれど。
 でも、3楽章。
 このでっかい楽章を聴くときにはいつも、なんかよく分からないけれど気持ちいい波がたゆたっていて、そしてそれがいつまでも続いていて。激しくはないけれど最後のワグナーチューバで静かな至福が訪れる。そんなイメージを持っていたんだけれど。
 でも、オオウエエイジは多分、このでっかい3楽章をきちんと組み立てて、波のたゆたいではなくて、必然性を持ったモノを構築しようとしたんだね。それがストーリーであるのか建造物であるのかはよく見えなかったけれど。
 もちろん心地いいんだけれど、それに浸るんじゃなくて、きちんと背筋を伸ばして聴かないといけない緊張感、みたいなものが終始張りつめていて。
 それはオオウエエイジの演奏のせいかもしれないし、僕が、5回目の演奏会にしてやっと、このでっかい曲を理解する足がかりを見つけた、っていうことなのかも知れないけれど。
 おわらないでほしいなあ、っていうのはいつも一緒なんだけどね。

 そして、終楽章。
 オオウエエイジのトゥッティは、なんか不思議な響きがするんだよね。たとえばブラスのコラールの時に、朝比奈さんだったらトロンボンを中心に据えるし、ヴァンドだったらホルンだったりするんだけれど、オオウエエイジの場合は、ラッパが輪郭を支配するんだよね。2階席で聴いているせいかもしれないけれど。
 フォルテのトゥッティのときに、ラッパが一団音量を上げることで、音がこの広いフェスに満ちるんだ。それは決してぺーぺーの狂騒的な音ではなくってね。中身には、革命の時に聴いた弦の音や、ブラスや木管や、全ての音が均等に詰まっているのだろうけれど。
 それは、シンフォニーホールで聴いたじいさんの5番のコーダで、ブラスに足が入った瞬間の響きみたいだったよ。あくまでも記憶、というか記号としてのイメージの話しだけれども。

 オオウエエイジは遠慮なし、って、最初の復活を聴いたときに思ったことを思いだしたよ。

 この演奏が、じゃあじいさんのブルックナーに比べられるのか、っていえば、それはそうではないけどね。
 でも、いいよ。この演奏のベクトルの上にじいさんはいない、っていうだけで、どっちが上か下かなんてことはないんだし。
 どっちもブルックナーはブルックナーで、どっちも楽しいし。
 なんてったって、オオウエエイジはこれからも新しいブルックナーを聴かせてくれるんだしね。

 就任以来丸四年を過ぎて、やっと、そういう気になったよ。
 これからも、特にベートーヴェン、楽しみにしてるね。

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2007年4月21日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第407回定期演奏会
オレグ・マイセンベルグ:ピアノ
大植 英次:指揮
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第3番
ショスタコーヴィッチ:交響曲 第5番 革命

 おかえりなさい、オオウエエイジ。

 年度も改まってね。本年度最初の大フィルさん。今年はいきなりオオウエエイジ。
 前回が、頸の怪我で欠席だったから、ずいぶん久しぶりに感じるね。どんな演奏を聴かせてくれるんだろう。
 土曜日で、5時始まりって、結構新鮮だね。普段着で、電車に乗ってシンフォニーホールに行くっていうのが。いつもは、職場から歩いていくからね。
 今年は創立60周年なんだそうで、記念冊子を売っていたから、購入してパラパラ見ていたよ。60年っていっても、大きな動きは、じいさんからオオウエエイジへ、それだけなんだよね。すごい楽団だね。

 もちろん、ホールは満員でね。恒例の補助席も出ていて、僕の前の通路に人の頭が並んでた。
 前半のラフマニノフは、僕にはよくわからなかったな。いい悪いとか、曲がどうとか全く関係なく、ピアノのおもしろさとか善し悪しとか、僕にはよくわからないんだ。音は全部聴いていたと思うのだけれど、うつらうつらして、別のこと考えている時間が多かったな。
 僕の目の前の、補助席に座っていた男の人は大感激だったようで、スタンディングオベーションをずっとしていたのだけれど。

 ショスタコの革命って、ずいぶんポピュラーな曲を持ってきたな、って思ったんだよね。それでなくても今年のプログラムは名曲コンサート的なものが多いのだけれども。
 もちろん、嫌いじゃないけれど、オオウエエイジが振る必要、あるのかな、って思ってたんだよね。フェスでミッキーが振ったときも、結構面白かったし。
 とかいう、軽い気持ちで待っていたのだけれど。プログラムをパラパラ見ると、どんちゃん騒ぎの安っぽい演奏になりやすい曲だけれど、オオウエエイジはどう料理するんだろう、って書いてあったね。その通りだけれど、この解説書いた人はあんまり頭よくないね。演奏会を、生で見に来る人は、ムラヴィンスキーのテンポがどうとか、そういうオタク的なことはどうでもいいんだよ。そういうのは、クダラナイ音楽雑誌に得意気に書いててよね。

 さて、演奏。
 もちろん、僕も、革命が汗かきべそかき大運動会になってしまう曲であることは百も承知で、でもオオウエエイジならなんかのプラスアルファを聴かせてくれるだろうって、楽しみ半分不安半分で聴きに来ているんだけどね。
 前半は協奏曲で、ソリストに花を持たせたから、この革命がオオウエエイジの復帰曲。指揮台に登ってからの、長い長い礼は、オオウエエイジの復活の挨拶だったんだろうね。おかえり、っていうかけ声が、聞こえてくるかと思ったけれど、それはなかったね。

 さて、演奏。
 僕は、なにが起こっているか、よくわからなかったよ。
 一楽章の前半。ティンパニが入ってマーチになるところより前の部分。
 僕は、溺れそうになったよ。そして、涙を堪えるので精一杯だった。
 なにに溺れそうになったかっていうと、音。音の密度。音の緊張感。
 僕は確かに、ステージの底に沈殿して、波打つ音のうねりを、聴いたよ。それは、今までに聴いたことのないくらい、近くで鳴っていて。通路より一つ後ろの、いつもの席で聴いているのに、なんだかステージの中で、演奏者に混じって聴いているような、そんな分解能と距離感と迫力と。そして、その上に乗っかる管楽器のソロ。コンマスのソロ。

 バランスがね、おかしいんだよ。あり得ない。
 そんなに静かな曲じゃないよ。なのに、ファゴットのソロは、すべてを支配するし、ファーストヴァイオリンが2部に別れるところは、きっちり聞き分けられるし、何より、ティンパニがんがんに叩いて、管楽器が咆哮している中で、弦楽器のロングトーンがみんな、聴き分けられる。
 あり得ないよ。そんなこと。

 なんていう奏法か知らないけれど、弦のロングトーンでね、小刻みにボウリングして同じ音を伸ばす弾き方を多用するんだけれど、そうやって出てくる力強い音は、なににもかき消されることがないんだよね。それが深く沈殿して、底にたまってうねりを創り出す。

 なんだ、5番って、お祭り曲じゃないやん。このシリアスな響きは、7番と同じ匂いがする。でも、きな臭くない分、7番よりももっと切実で。
 一楽章を聴きながら、僕はずっと涙を堪えていたよ。涙を堪えることが出来たのは、マーチの部分から曲自体が軽くなったからなんだけど。
 2楽章で一息ついて。
 そして、またシリアスな3楽章。一息ついてる間も、音の密度は変わらないから、僕の涙腺は一発触発の状態が続いていたのだけれど。
 この楽章、魅力的なソロがいっぱいあったはずなのだけれども、僕はよく覚えていないんだよね。音の圧力に圧倒されて、普段は目を離さないオオウエエイジの背中を見ることさえ忘れていた。

 そして、終楽章。
 これは、反則。
 最初のティンパニとトロンボン。この部分をオオウエエイジは、心持ち遅いテンポにとってね。その導入の重厚さで、安っぽい大運動会になることを拒絶した。
 もちろん、盛り上がるんだよ。でも、この曲を、この密度で演奏されたら、それは狂騒的なお祭りではなくって、ずしりとおなかに応えるよ。

 余韻の魔術師オオウエエイジの魔術が、ここでは効かなくって、余韻が消えないうちに拍手になだれ込んだのはちょっと残念だったけれど。
 あんまりブラボーコールがかからなかったのは、もっと残念だったけれど。
 でも、どちらにしろ僕は、オオウエエイジが楽団員にお礼を言って、拍手を受けるために振り向くまでは、ぴくりとも動けなかったよ。

 おかえりなさい、オオウエエイジ。
 すごい60周年になりそうだね。

 ありがとう、無事に帰ってきてくれて。

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2007年3月30日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第406回定期演奏会
ジャン・ワン:チェロ
秋山 和慶:指揮
ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団:女声合唱
深山 尚久:客演コンサートマスター
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

エルガー:チェロ協奏曲
ホルスト:組曲 惑星

 さて、今年度の大フィルさんの締めくくりは、久しぶりだね。秋山和慶さんの惑星。

 惑星ってね、中高生時代には大好きな曲だったのだけれども、そのあとあんまり聴かなくなったなあ。一般的に表題つきの組曲っていうのがね、たとえば交響曲とかに比べるとちょっと子供向け、っていうイメージがあって。読み仮名つきのジュブナイル、っていう感じ。

 全然話が変わるけれど、このまえ、どこぞのコラムでだれかが、指揮者には、初心者に受ける指揮者と、玄人受けする指揮者の二通りがいる、みたいなことを書いていて。僕の好きな指揮者はみんな、初心者受けの方に入っていたので大笑いだったのだけれども。
 だから、お子さま向けの組曲はレベルが低いとか、物足りないとかいうつもりは全くないのだけれど。
 でも、惑星全曲やると、他に交響曲のはいる時間がないから、それは冒険だなあ、って思ってしまうのだけれども。

 それは置いておいて。
 最初のチェロコン。
 僕は、エルガーっていう人に全く根拠のないいいイメージを抱いていて。いや、根拠はあったのかも知れないけれど、今は思い出せないだけかな。素朴でわかりやすくて、だから共感しやすい曲を書く人だなあ、って。
 この曲はね、というか、このチェロ、素敵。チェロって、僕の大好きな楽器なのだけれど、ソリストで、シンフォニーホールを鳴らし切る人って、あんまり観たこと無いんだよね。ちょっと会場が大きすぎるのかな、って思うのだけれども。
 でも、このジャン・ワンさんのチェロは、よく鳴るんだ。じょうじょうと鳴る。じょうじょうって、琵琶の音を表す言葉なんだけどね(いやそれだけかどうか知らないけれど)、なんかこう、弛めに張った弦の振動が、独楽に伝わって楽器を直接揺り動かして、そういう振動が音になる、みたいなね。
 つまりは、オケに負けない音圧と存在感。そしてシンフォニーホールの壁を伝わって廻ってくる音。そういう響き。いいなあ。

 アンコール2曲もやるものだから、もうすっかり人気者だね。

 でも、このエルガーの時からちょっと思ったのだけれども。
 今日の大フィルは、下手だね。
 ピッチが全然あってない。たとえば火星の弦バスのピチカートとティンパニとか、なんの曲か忘れちゃったけれどハープが入ってのホルンのロングトーンとか。エルガーとかホルストって、そんなにテンションぶつかり合う曲ではないと思うのだけれども(ってスコアがそうだったらごめんなさい)。
 あと、コンマスがゲストだったからかも知れないけれど、アンサンブルも乱れっぱなしだし。

 僕もそうだけれど、この演奏会を曲で聴きに来る人たちがいたとすれば、その多くは吹奏楽やってる人たちだと思うのだけれど、そういう人にとって、ピッチとアインザッツって、演奏をする上で、あるいは聴く上での最重要点なんだよね。
 その意味では、そういう人たちのお手本になる演奏では、お世辞にもなってなかったなあ。残念だけれども。

 でも、海王星のコーラスが袖から聴こえてきたときには、そんなことどうでもいいくらい、興奮したけどね。こういう響きは、生で聴かないと絶対にわからないよなあ、って。

 スペクタクル満載の演奏を期待していたのだけれど、それ以前のところでちょっと入り込めなかったな、ちょっとしゅん。
 次回に期待だね。

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2007年2月23日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第405回定期演奏会
クラウス・ペーター・フロール:指揮
ザ・シンフォニーホール 1階J列30番 A席

モーツァルト:交響曲 第40番
チャイコフスキー:交響曲 第6番 悲愴

 妙な義務感に駆られてね、久しぶりにその日のうちに書くよ。
 妙な義務感っていうのはね、これから、東京定期で聴く人にね。ちょっとだけ、耳打ちしといた方がいいのかなあ、っていう義務感。あ、ほんとに東京定期にこれから行くヒトがいたらね、それはジコセキニンで読んでね。ネタバレあります(笑)。

 あ、あけましておめでとうございます。もう2月も末だね。別に僕がさぼってたわけではなくって、大フィルさんの定期がなかっただけなんだけれどもね。ご無沙汰してました。今年もよろしくお願いします。

 そう。今日は本当は、オオウエエイジのマーラーだった筈なんだけどね。オオウエエイジの頸の怪我で、急遽指揮者と曲目、変更。そりゃあマーラー9番(だったよね)を急遽振れるヒトはあんまりいないだろうから、しょうがないよね。
 その代役が、クラウス・ペーター・フロール。もちろん知らないヒトなんだけれどもね。そして、曲目は悲愴。僕は、ここ数年に、悲愴を尼オケとオオウエエイジで(さらに遡ればじいさんでも)聴いているのだけれど。でも、大好きな曲だからいつでも歓迎だよ。

 今日は、大阪ナイトなんちゃらで、開演が7時半。でも身体が覚えてる時間で入場しちゃって、キオスクでケーキなんか食べたりしちゃったんだけどね。

 一曲目のモーツァルトはね。第二ヴァイオリンが右側に来る両翼の配置で。まあそんなことはいいのだけれど。
 僕はこの、モーツァルトの40番って、2枚のCDで持っているのだけれど。ムーティ/ウィーンと、セル/クリーヴランド。どうしてこんな両極端なのかというと(両極端だよね、やっぱり)、昔ね、僕がムーティが好きなのを知っていてそれを快く思わないおネエちゃんが、セルの魅力を知りなさい。ほら、同じ曲で聴けばわかるでしょ、って贈ってくれたから、なんだよね。まあ、モーツァルト自体にあんまりぴんと来ずに、あんまり熱心に聴いた記憶はないのだけれどもね。
 でも、今日聴いてみたら、全楽章知ってる曲だったから、それなりに聴いたんだろうな。

 この時点ではね。
 僕は、モーツァルトの演奏についてはよくわからないから。今日の演奏がどうだかは言えないのだけれども。僕の知ってるこの曲と、同じ匂いがしたんだよね。それは、音の渋みというか、つや消し加減というか。
 だからたぶん、セルの演奏の方なんだと思うんだけどね。同じ匂いがしたのが。
 昔のアナログ録音の、ダイナミックレンジを絞った故にフォルテシモでハレーションを起こす、そんな感じの音が、聴こえてきたんだよね。大フィルさんのフォルテシモからすればまだまだ余裕のあるはずの音量なのに、音質的にテンぱっちゃってる感じ。それがなんか懐かしくていい感じ。
 もちろん、モーツァルトでもその節々に片鱗が見えていたのだけれどもね。その片鱗、というかフロール節が炸裂するのは、休憩後の、悲愴。

 休憩中に弦バスが右に来る普通の配置に戻して、編成もおっきくして。そしてチャイコフスキー。
 なんかね。最初からおかしいな、って思ったんだよね。悲愴って、こんな曲だったっけ、って。それは例えば、バランスの問題で、今まで聞こえなかったフレーズが聴こえてきたりとか。それよりも何よりも、僕のイメージからのテンポ感の違い。
 最初はね、そんなに違和感なかったんだけれど。だんだん盛り上がって、ベルトーンになるまでにどんどん加速して。ベルトーンがインテンポで出来なくなるくらい突っ走って。そうかと思うとフレーズ中で強引にリタルダンドしてみたり。でもその強引な変化にオケがあんまりついてこれない、みたいな。

 1,2楽章はね、とりあえず笑うしかない、みたいな。

 僕はこれまで、オオウエエイジはトリックスターだと思ってたんだよね。みんなを楽しませる、稀代のトリックスター。
 でもね。この演奏に比べたら、オオウエエイジのエンターティメントなんて吹っ飛んじゃうよね。もちろん、それはどっちがいい悪いの話ではなくて、イイの質が違う。それだけなんだけれど。ムーティとストコフスキーどっちがいい、みたいな議論なんだけどね。
 そう、フロールさんはまさにストコフスキー。外連味にあふれた演奏、っていったらオオウエエイジもいっしょなんだけれども、大見得切りまくりの演奏、っていうところでストコフスキー大先生が背後に見えるんだよね。

 演奏者の都合なんか無視して、アンサンブルの乱れなんか気にしなくって、強引なテンポチェンジと強引なフォルテ。ラッパの音なんか、つぶれちゃって、まるで高校生ブラスバンドの夏合宿の夜の合奏のような音(って分かる人いるかなあ)。
 ところがね、これがじわじわ効いてくるんだ。最初は笑うしかなかったんだけれど、一楽章のトロンボンソリの、フレーズごとにましてくる存在感とか、そういうところでじわじわ来て。三楽章なんてまるで野外で運動会の行進曲をやっているブラスバンドみたいなんだけれど。
 でも、そこでさんざん手に汗握らせておいて、休み無しに入った四楽章。
 この、最初の三小節で、僕は完全にやられちゃったよ。
 この、大見得切りまくりの演奏の、すべてはこの瞬間のためだったんだ、ってね。

 悲愴の三楽章って、普通の交響曲ならそのまま大団円でフィナーレ、っていうくらいの大盛り上がりで。
 一転四楽章は、これぞ悲愴っていう曲になるのだけれど。
 もちろん、演出としては理解できるし、そう来るな、っていうのはあったのだけれども。
 でも、ここまで短時間に、完全な舞台転換を見せられるとね。わかってても、もう引きずり込まれちゃうよね。
 存在感のある弦バスの音で締めくくってから、代役に対するものとは思えないほどあったかい拍手に包まれるまでには、ずいぶん長い時間があったよ。もちろん、僕も最大級の拍手を、惜しみなく送ったよ。

 低音域を響かせてくれた初っぱなのクラリネットを最初に立たせたフロールさん。どうもありがとうね。
 オオウエエイジさま。指揮者交代でもシンフォニーホールは満員でしたよ。よかったね。

 そして、あした東京定期に行く人たち。
 メカニカルに進化した大フィルさんが、じいさん時代のような破天荒な、それでいてあったかい演奏を聴かせてくれますよ。いいなあ。東京行きたくなってきた。

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