野上照代著作のページ


1927年生、東京都出身。戦後、雑誌記者を経て大映京都のスクリプターとなり、50年「羅生門」にて黒澤明監督と出会う。その後東宝へ移り、52年の「生きる」以降の黒澤明監督全作品に参加。その傍ら、広告代理店でCM制作を手がける。84年「父へのレクイエム」にて読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞の優秀賞、山路ふみ子功労賞を受賞。2008年同作が「母べえ」の題名にて山田洋次監督により映画化。

 


     

●「母べえ」● ★★


母べえ画像

1984年発表

2007年12月
中央公論新社
(1100円+税)

 

2008/01/10

 

amazon.co.jp

2008年山田洋次監督により映画化されたことから話題となった作品。
元々は、今から23年も前の1984年に「読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞カネボウスペシャルに応募して優秀賞を受賞した、野上さんご自身の家族のことを描いたノンフィクションだそうです。

日中戦争の始まった昭和12年の朝早く、野上さんの父上は特高により検挙され、そのまま巣鴨の拘置所に収容されます。
本作品は、拘置所内の父親との往復書簡を交えながら、父親がいない留守を預かる母親と子供たち家族の物語です。
思想犯として父親が収容されたからには肩身の狭い思いをしていたのではないかと思うのですが、母親、姉の初恵、妹の照代、叔母の恵美子という一家4人の表情は少しも暗くない、むしろ明るいとさえ言ってよいでしょう。
また、拘置所内の父親も、哲学とか文学とか外国の本の差入れを度々遠慮することなく手紙で頼んできており、どこかあっけらかんとしている感じが受けます。
それでも、父親を信じてその帰宅を待ちながら、家族が心を合わせて日々を過ごしている様子がとても健気で、好感がもてます。
貧しくても家族がひとつになって生きていた時代、そんな昭和の時代が本作品から蘇ってくるようです。

「母べえ」という題名は、一家がお互いを父ベエ、母ベエ、ハッサン(初恵)、照ベエ(照代)、恵美ベエorエミちゃん(叔母恵美子)と呼び合っていたことから。
実際の父上は保釈出獄し54歳まで生きられたとのことですが、なるべく当選するように、本作品は拘置所内で急死したことになっています。
しかし私としては、事実どおりの方が感動は大きかったように思えます。

「母べえ」が映画になるまで(山田洋次)/母べえ、あとがき/あの頃のお母さん(吉永小百合)

  


   

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