池田晶子著作のページ


1960年東京生、慶応義塾大学文学部哲学科卒。著書に「帰ってきたソクラテス」等あり。


1.
帰ってきたソクラテス

2.さよならソクラテス

3.死と生きる−獄中哲学対話−

 


     

1.

●「帰ってきたソクラテス」● ★★

 

1994年10月
新潮社刊
(1500円+税)

 2002年04月
新潮文庫化

 

1999/02/28

ソクラテス3部作の第1冊目。
あのギリシアの哲学者ソクラテスが現代に甦り、政治家、ニュース・キャスター、評論家たちと論争を繰り広げる20篇。
自らは何も難しいことは知らないと言いつつ、相手の弁の基礎を突き崩していく論法は、ソクラテスの手法そのものなのでしょう。
詭弁を尽くし合っているという気もしますが、それは即ち現代の論者たちが詭弁を弄してばかりいる、ということの結果なのではないでしょうか。
何時の間にか現代社会は、ファッションを着飾るだけでなく、理屈をも着飾るようになってきたようです。要は、自己弁護ということなのでしょう。
そうした点から思うと、ソクラテスの弁は単純明快です。自分に都合よく議論を展開するということがない。
その所為か、ソクラテスが相手を言い負かすのを聞いていると、気分がすっきりと晴れるような思いがします。

ソクラテス Sokrates BC470〜399、ギリシアの哲学者。後半生を殆どアテネの広場等において対話・議論に過ごす。著書を残さず、哲学の学派も開かなかった彼は、弟子の哲学者プラトンと歴史家クセノフォンの著作により名を残した。

 

2.

●「さよならソクラテス」● 

 
1997年12月
新潮社刊
(1400円+税)

2004年04月
新潮文庫化

 
1999/03/04

ソクラテス3部作の3冊目。「悪妻に訊け」を飛ばしてしまいました。
本書のうち半分程が悪妻
クサンチッペとの対話ですから、漫才を眺めているような 可笑しさがあり、読み易いです。でもその分、第1作のような刺激が足りない、という面もあります。
ソクラテスは相手の論を問いただすのが常であり、自分は何にも知らない、興味ないと言いつつ、相手を困惑に陥れる。詭弁という感じを抱くことも度々なのですが、まあそれが哲学対話というものなのでしょう。
ただ、ソクラテスよりクサンチッペの方に親近感を抱いてしまいますねェ。それは、私が凡人だからでしょうか。

 

3.

●「死と生きる−獄中哲学対話−(陸田真志・共著)● ★★★

 


1999年02月
新潮社刊
(1500円+税)

 

1999/02/24

死刑判決を受けた殺人犯と哲学者・池田晶子さんとの往復書簡集。
死刑囚の手紙というと、犯した罪への慙愧、死への恐怖が主題であると思うのが普通でしょうが、本書に限ってそんな推測は誤りです。
まぎれもなく、これは哲学を論じる対話なのです。それも、かなりハイレベルな。
獄中で「生きる」ということはどういうことなのかと考え、哲学に目覚めた陸田氏。一方、その彼を如何に正しい哲学的考察に導くか、に応じた池田氏。その2人による往復書簡は、まさしく弟子と師との間におけるような哲学対話なのです。
哲学をするという面においては、世俗から切り離され獄中でひとり思索に集中できるという点で、囚人以上にふさわしい環境はないのかもしれません。
池田さんの手紙には、はっ、とするような辛辣な言葉が度々あります。陸田さんに少しの容赦もない。また、それに対する陸田さんはよく耐えている、よく頑張っている、という印象を受けます。
剣豪同士の真剣勝負をすぐ傍で固唾を呑んで見ているような、そんな緊迫感を覚えます。
ですから、本書の内容を理解できているかと言えば、到底私には理解できていない部分がたくさんあります。でも、その真摯さは伝わってくるし、同意できる部分もあります。
本書をよくある獄中手記として読もうとするのなら、止めておくべきです。生きるということはどういうことなのか、を哲学的に考えてみようと思うのでなければ、多分本書は読むに耐えないものでしょう。

陸田真志(むつだ・しんじ):1970年生。大学中退後フリーターをして渡米、帰国後SMクラブ勤務。1995年12月、SMクラブの経営者および店長を同僚2人と共謀して殺害、死体をコンクリート詰めして海中に遺棄。98年06月05日東京地裁にて死刑判決を受け、控訴。2008年06月17日死刑執行。

 


 

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