フランツ・カフカ作品のページ


Franz Kafka 1883~1924 プラハ生まれのドイツ語作家。オーストリア・ハンガリー帝国下のプラハで、中流階級のユダヤ人家庭に生まれる。商人だった父親は権威主義的な人物であり、この父親の存在がカフカに閉塞感をもたらし、作品に影響を与えたといわれる。プラハ大学で法律を学び、1908年からプラハ労働者傷害保険協会に勤務する傍ら小説を書き続ける。何人かの女性と恋愛をしたものの、ついに結婚することはなかった。1917年に結核を患い、24年ウィーン郊外キーリングのサナトリウムにて死去。
カフカは、自分の死後未刊原稿をすべて焼却するよう言い残したが、友人の作家マックス・ブロートが約束に反して作品を発表し、カフカの作品は高い評価を得ることとなった。


1.

2.ミレナへの手紙 

3.フェリーツェへの手紙(1) 

  


    

1.

●「 城 」●  ★★★
 
原題:"DAS SCHLOSS"          
訳:前田敬作


カフカ全集画像

1926年発表

角川文庫

1981年02月
新潮社
カフカ全集
第6巻

(3200円)


1981
/03/02

測量師は、村に到着したその時から、城へ近づく努力を強いられ、ストーリィはそのためにだけ展開する。
 
Kから見た村の人間、城の人間は得体の知れない人間達である。ふとしたことから関係を結んだ宿屋の娘フリーダと、フリーダを介して知り合った宿屋の内儀のみが、唯一の人間らしい接触である。
だが、これはKの側から見た村および城の印象であり、逆に村の側からKを見た場合どうなのか。Kこそ、測量師というだけで正体不明の人物、村のしきたりを無視する、まさに無用の人間である。村長もまた「測量師など不要だ」と言っている。

Kこそ、他の人間に同化できない、面倒をただ引き起こすだけの存在に他ならない、そういう見方もできるのである。
そうすると、城そのものの意味が薄らいでしまうが、村人にとって城は不可解であって差し支えない存在である。生活はむしろ、そうした不可解さと折り合うことによって成立している。
しかし、Kはその不可解さが納得できず、不可解さを理由付けようとする。だからこそ調和を破壊し、村に融合することができないでいる。村から嫌われているバルバロス一家も、Kとは異なるが、やはり城を求める存在である。この家族だけが、Kとの共通点を有している。

他人が当然と思うことに疑問を感じ、それを解明しようとして周囲との融和を欠く、それはカフカ自身の姿だったのではないだろうか。

          

●「ミレナへの手紙」●  ★★
 
原題:"BRIEFE AN MILENA"         
訳:辻 瑆(ひかる)


ミレナへの手紙

1952年発表

1981年07月
新潮社刊
カフカ全集
第8巻
(2300円)



2024/03/22



amazon.co.jp

所蔵本、26年ぶりの再読です。
1919~20年、当時(36歳)の恋人だった
ミレナ・イェセンスカー(23歳)に対する夥しい手紙を収録した書簡集。

失われたミレナからカフカへの手紙を創作した、
マリ=フィリップ・ジョンシュレー「あなたの迷宮のなかへ-カフカへの失われた愛の手紙-を読むにあたり、どうせなら、その前に本書をもう一度読んでおこう、と思った次第です。

ミレナに対するカフカの手紙から感じるのは、恋人に向けた愛の手紙というより、同朋へ向けた心情の吐露、という方が相応しいのではないか、ということ。
とにかくカフカという人物は手紙魔。二度婚約し二度とも婚約解消した恋人フェリーツェに対しても夥しい手紙を書いていますが、自分の想いを手紙に書かずにはいられないという性分なのでしょう。
そして手紙である以上、相手が必要。恋人とは、そんなカフカにとって格好の相手であったのではないか。
本書を読むと、そういう印象を強く感じます。

当時ミレナは、既婚者でウィーン居住。一方のカフカはプラハ居住。
会えない距離ではないけれど、そう気軽に会える距離でもない。だからこそ、手紙をやりとりする相手としては格好の相手。
お互いの行き来を敢えて止めようとしている処が感じられるのは、実際に会って身体を触れ合うより、手紙によって精神的に繋がり合う、それこそがカフカの望みであったのでは、と感じられます。

ミレナがカフカに出した手紙が失われていて(カフカは恋愛関係が終わると受け取った手紙を処分していたらしい)、ミレナ側の綴った思いが分からないだけに、カフカの一方的な感情のみが伝わってきます。
さて、ミレナの側はどうだったのか。上記小説を読むのが楽しみになりました。


※ミレナ・イェセンスカー:1896-1944
チェコのジャーナリスト、編集者、翻訳家。
夫は銀行家・文芸評論家であったユダヤ人のエルンスト・ポラック、後に離婚、再婚。
ユダヤ人援護活動に関わり、ナチスの強制収容所に収容、腎臓の悪化で死去。

   

3.

●「フェリーツェへの手紙(1)」● ★★☆
 原題:"BRIEFE AN FELICE"         訳:城山良彦


1967年発表

1981年03月
新潮社
カフカ全集
第10巻
(3200円)


1981
/04/04

毎日毎日、恋人であるドイツ人女性フェリーツェ・バウアー宛てにカフカは手紙を書いている。
そして、しつこい位に相手の細かな事柄まで訊ねる。こんな状態では、仕事ができなくても不自然ではない。カフカ自身、そのことに悩みながら、それでも手紙は綿々と書き続けないではいられない。

一方のフェリーツェはどう思っていたのだろうか? その返事は収録されていないので、そのことは全く判らない。
カフカは、世間の大衆と一致できないことを感じ、その逃避をフィリーツェに求めていたように感じられる。恋愛感情の表現というより、止むに止まれぬ、自分という人間を吐露し続けた、ということではなかったか。

何という膨大な書簡であることか。それのみがカフカの生きる世界であるかのように。また、それ以外のすべてがあたかも虚実であるかのように。

    

読書りすと(カフカ作品)

 


  

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